一枚の絵が、戦争の記憶を刻んだり、国のアイデンティティを作ったり、時には政府を困らせたりすることがある。単に美しいとか有名だとかではなく、社会そのものに何かしらの爪痕を残した絵を、30点選んでみた。
1. 《ラス・メニーナス》ベラスケス(1656年)

幼い王女を描いたはずの絵なのに、鏡には国王夫妻が映り込み、誰が誰を見ているのか、見る人を混乱させる仕掛けになっている。この構図の謎かけは、後世マネやピカソが繰り返し取り上げるほど、絵画とは何かという問いそのものを、投げかけ続けてきた。

2. 《ゲルニカ》ピカソ(1937年)

スペイン内戦中、ナチス・ドイツによる爆撃を受けた町の惨状を描いた作品。国連本部にはこの絵のタペストリー版が飾られていたが、2003年のアメリカによるイラク攻撃の説明会見の際、あえて覆い隠されたという出来事があった。それだけで、この絵が今も政治的にどれほどの重みを持つかがわかる。

3. 《叫び》ムンク(1893年)

不安という、それまで絵画の主題としてあまり扱われてこなかった感情を、真正面から描いた。20世紀の表現主義全体に、大きな影響を残している。

4. 《民衆を導く自由の女神》ドラクロワ(1830年)

1830年のフランス七月革命を描いた絵で、今もフランスの紙幣やパスポートのデザインに、その姿の一部が使われている。革命の記憶を、視覚的に国の象徴へと変えてしまった一枚だ。

5. 《神奈川沖浪裏》葛飾北斎(1831年頃)

日本ではただの浮世絵の一枚だったこの絵が、19世紀後半、開国とともにヨーロッパへ渡ると、ジャポニスムという一大ブームを巻き起こした。モネは自邸に250点を超える日本の版画を集め、ゴッホは弟テオへの手紙で「波が爪のようだ」とこの絵について書いている。ドビュッシーは自作の管弦楽曲『海』の楽譜の表紙に、この絵をそのまま使った。一枚の木版画が、西洋美術の色彩や構図の常識を、静かに書き換えてしまった。

6. 《清明上河図》張択端(12世紀)

北宋の都・開封の賑わいを、5メートルを超える長い巻物に描いた作品。800人を超える人物が、行商人から役人まで、実に細かく描き分けられている。単なる風俗画としてだけでなく、当時の社会や経済の姿を伝える歴史資料としても扱われ、後世の中国で何度も模写・再制作が繰り返された。今日でも「中国のモナ・リザ」と呼ばれるほど、中国文化における一つの原点として、扱われ続けている。

7. 《バーラト・マーター》アバニンドラナート・タゴール(1905年)

イギリスによるベンガル分割に反発する、スワデーシ運動のさなかに描かれた一枚。当初は「母なるベンガル」として構想されたが、まもなく「母なるインド」として、インド全体の独立運動を象徴する絵へと、姿を変えていった。ポスターや雑誌に繰り返し複製され、後の独立運動の指導者たちにも、繰り返し言及されている。一枚の水彩画が、国そのものを女神として思い描くという、政治的な想像力の型を作った。

8. 《モナ・リザ》ダ・ヴィンチ(1503年頃)

なぜこの一枚だけが、これほど特別視されるのか。正直なところ、これという決定的な理由はない。ただ、1911年の盗難事件やスフマート技法の完成度など、いくつもの要素が積み重なって、今の地位を作り上げた。

9. 《1808年5月3日》ゴヤ(1814年)

ナポレオン軍によるスペイン市民の処刑を描いた作品。戦争を英雄譚としてではなく、一方的な暴力として描いたという点で、後のマネやピカソの戦争画に、直接つながる系譜を作った。

10. 《アメリカン・ゴシック》グラント・ウッド(1930年)

農夫と娘(あるいは妻)を描いた、一見素朴な絵だが、アメリカの田舎の保守性を象徴するイメージとして、広告からパロディまで、無数に引用され続けている。

11. 《グレーとブラックのアレンジメント第1番》(ホイッスラーの母)(1871年)

作者本人は、これを色彩と構成の実験として描いたつもりだったらしい。しかし1934年、アメリカで母の日の記念切手のモチーフに選ばれたことをきっかけに、世間の受け取り方はまったく別のものになった。大恐慌の時代、この絵はアメリカ人の忍耐と家族の絆を象徴するイメージへと、静かに姿を変えていった。

12. 《記憶の固執》ダリ(1931年)

溶けた時計というモチーフが、シュルレアリスムという運動そのものを、一般の人にも一目でわかる形にしてしまった。今でも「シュルレアリスム」と聞いて、多くの人が真っ先に思い浮かべる絵だろう。

13. 《オランピア》マネ(1863年)

裸婦を描いた絵自体は珍しくなかった時代に、あえて現実の娼婦を、鑑賞者を見据える視線とともに描いた。この一枚がパリのサロンで巻き起こしたスキャンダルは、印象派という次の世代の画家たちを、後押しすることになった。

14. 《夜警》レンブラント(1642年)

集団肖像画という、当時ありふれていたジャンルを、劇的な光と影の演出によって、まるで一瞬の動きを切り取ったかのような画面に変えてしまった。

15. 《星月夜》ゴッホ(1889年)

精神的に不安定な時期に、療養先で描かれた一枚。生前ほとんど無名だった画家の絵が、死後これほど広く愛される作品になったこと自体が、美術史における評価というものの、気まぐれさを物語っている。

16. 《ヴィーナスの誕生》ボッティチェリ(1480年代)

キリスト教が支配的だった時代に、あえて異教の神話を主題に選んだこと自体が、当時としては新しい試みだった。ルネサンス期のフィレンツェが、古代への関心を取り戻していく流れを、象徴する一枚。

17. 《真珠の耳飾りの少女》フェルメール(1665年頃)

生前ほぼ無名だった画家の作品で、19世紀の再評価を経て、今では最も広く知られる肖像画の一つになった。1999年の同名小説、2003年の映画化を経て、絵そのものへの関心も、大きく高まっている。

18. 《最後の晩餐》ダ・ヴィンチ(1495〜98年)

修道院の食堂の壁に描かれた、キリストと弟子たちの食事の場面。完成直後から劣化が進んだにもかかわらず、構図の緊張感と人物の心理描写は、後の宗教画の規範であり続けた。

19. システィーナ礼拝堂天井画 ミケランジェロ(1508〜12年)

一人の彫刻家が、絵画にはほとんど関心がなかったにもかかわらず、教皇の依頼を受けて描いた天井画。今日、カトリック教会の権威を象徴する空間の一つになっている。

20. 《デラウェア川を渡るワシントン》ロイツェ(1851年)

アメリカ独立戦争の一場面を描いた、愛国的な絵の代名詞のような一枚。だが実際には、掲げられている星条旗は事件の翌年まで存在せず、船の形も実物とは異なり、真夜中の出来事が明け方の光で描かれるなど、史実との食い違いが数多く指摘されている。それでもこの絵がアメリカ人の集合的な記憶に与えた影響は、揺るがない。

21. 《マラーの死》ダヴィッド(1793年)

フランス革命の指導者マラーが暗殺された直後に描かれた絵。政治的な殉教者のイメージを作り出す、いわばプロパガンダとしての絵画の、初期の完成形と言える。

22. 《アルプスを越えるナポレオン》ダヴィッド(1801年)

実際にはラバに乗って山を越えたナポレオンを、勇壮な軍馬にまたがる英雄として描いた。政治的な自己演出のために、絵画がどう使われてきたかを、わかりやすく示す例だ。

23. 《メデューズ号の筏》ジェリコー(1818〜19年)

実際に起きた海難事故を題材に、政府の無能さを告発するような形で描かれた大作。当時のフランス政府にとって、かなり都合の悪い絵だったはずだ。

24. 《アメリカの進歩》ジョン・ガスト(1872年)

女神のような姿の「コロンビア」が、西へ向かう開拓者たちを導く様子を描いた絵。「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」という、西部開拓を正当化する思想を、視覚的に定着させた一枚として、今日では批判的にも読み直されている。

25. 《干し草車》コンスタブル(1821年)

イギリスでの発表当初はあまり評価されなかったが、1824年、パリ・サロンに出品されると一転して評判を呼び、国王シャルル10世から金賞を授けられた。この絵に衝撃を受けたドラクロワは、自らの出品作を描き直したとまで伝えられている。フランスの若い画家たちが、自然の描き方を見直すきっかけの一つになった。

26. 《印象・日の出》モネ(1872年)

この絵のタイトルが、批評家の皮肉な物言いをきっかけに、そのまま「印象派」という運動の名前になった。絵そのものの評価以前に、名付け親としての役割が大きい一枚だ。

27. 《接吻》クリムト(1908年)

金箔をふんだんに使った装飾性が、世紀末ウィーンの退廃的な美意識を、象徴する存在になった。今日でもポスターやグッズとして、最も複製される絵の一つ。

28. 《アヴィニョンの娘たち》ピカソ(1907年)

発表当初、仲間の画家たちからも困惑をもって迎えられたというこの絵は、後にキュビスムという運動の出発点として、位置づけられるようになった。

29. 《三等車》ドーミエ(1862〜64年頃)

貴族や英雄ではなく、名もない庶民の疲れた表情を、正面から描いた。それまでの絵画の「誰を描くに値するか」という暗黙のルールを、静かに揺さぶった一枚。

30. 《落ち穂拾い》ミレー(1857年)

農民の労働という、それまで絵の主役になりにくかった主題を、堂々とした構図で描いた。当時のフランス社会には、これを社会主義的な絵だと警戒する声もあったという。

よくある誤解
誤解①有名な絵は、発表当初から高く評価されていた
《オランピア》も《アヴィニョンの娘たち》も、発表当初はむしろ、スキャンダルや困惑をもって迎えられている。今日の評価は、後から積み上げられたものであることが多い。
誤解②絵にまつわる有名な逸話は、すべて史実に基づいている
広く語られている逸話の中には、後年になって年代の食い違いが指摘され、後世の創作である可能性が高いとされるものもある。絵にまつわるドラマチックな話ほど、鵜呑みにせず、時系列を確かめてみる価値がある。
まとめ
30枚を並べてみて気づくのは、社会に影響を与えた絵の多くが、発表された瞬間には、必ずしも歓迎されていなかったということだ。スキャンダルになったり、政府に都合が悪かったり、仲間内でさえ困惑されたり。むしろその摩擦の大きさこそが、後になって、絵が歴史に残る理由になっている。西洋の絵だけを見ていては、この構図には気づけなかった。国境を越えて渡った絵と、国境の内側でこそ意味を持ち続けた絵。両方があって、初めて見えてくるものがある。
