《アヴィニョンの娘たち》とは|親友たちにさえ酷評された、キュビスム誕生の衝撃作を徹底解説

《アヴィニョンの娘たち》(1907年)は、20世紀美術を塗り替えたスペイン出身の画家パブロ・ピカソによる油彩画で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵する作品です。5人の裸婦を、角ばった幾何学的な形態と分裂した仮面のような顔で描いたこの絵は、キュビスムの誕生を告げた記念碑的作品と評されながらも、発表当初はピカソの最も近しい友人たちからさえ酷評され、10年近くも公の目に触れることのないまま封印されていた、意外な過去を持つ作品です。

目次

基本情報

項目内容
作者パブロ・ピカソ(1881〜1973)
制作年1907年
技法・素材油彩・カンヴァス
サイズ243.9×233.7cm
所蔵ニューヨーク近代美術館(MoMA、1939年より所蔵)
制作場所バトー=ラヴォワール(パリ・モンマルトルのアトリエ)
原題(当初)《アヴィニョンの娼館》

一言でいうと

《アヴィニョンの娘たち》は、5人の娼婦を、単一透視図法や理想化された美という西洋絵画の伝統をことごとく打ち破りながら、角ばった幾何学的な形態と、アフリカやイベリアの仮面を思わせる顔立ちで描いた作品でありながら、発表当初はピカソの盟友マティスやブラックにさえ「悪趣味な冗談」と酷評され、その後10年近く彼のアトリエに巻かれたまま眠り続けていた、キュビスム誕生を告げる衝撃作である。

制作背景

この絵は、1907年、当時25歳だったピカソが、パリ・モンマルトルのアトリエ「バトー=ラヴォワール」で制作しました。タイトルの「アヴィニョン」とは、フランスの都市ではなく、バルセロナにある娼館街として知られたアヴィニョ通り(カレル・ダヴィニョ)を指しており、描かれているのはその通りの娼婦たちです。ピカソ自身が当初つけていた題名は、より直接的な《アヴィニョンの娼館》でしたが、この絵を1916年に初めて公に紹介した詩人・批評家アンドレ・サルモンによって、より穏やかな現在の題名へと改められました。

見どころ

構図:5人の女性は、大きく引き伸ばされた身体を持ち、肩や腰、四肢は角ばった線と平面的な幾何学模様によって分解されています。画面左の3人の顔立ちは、スペイン出身のピカソが強い関心を寄せていたイベリア美術の様式を反映しており、画面右の2人の顔は、ピカソが民族学博物館で目にしたアフリカの仮面から直接着想を得たものとされています。画面右下でうずくまる女性は、身体を後ろ向きにねじりながら、顔だけがこちらを正面から見つめるという、解剖学的にありえない姿勢で描かれており、これは後のキュビスムの様式を先取りする表現として知られています。

様式上の断絶:ピカソはこの絵で、単一の光源や遠近法、身体の理想化といった、西洋絵画が長く前提としてきた約束事をことごとく放棄しました。奥行きのある空間ではなく、平坦で断片化された画面構成そのものが、この絵の内容と密接に結びついています。

制作の背景にあるもの:ピカソはこの絵を制作するにあたり、フランスの植民地を通じて流入していたアフリカ、イベリア、オセアニアの仮面や彫像に強く惹かれていました。同時に、女性との複雑な関係にまつわる欲望と不安も、この絵には色濃く反映されているとされています。

評価と受容

ピカソがこの絵を完成させ、親しい友人たちに見せた際の反応は、総じて否定的なものでした。アンリ・マティスはこれを冗談か、あるいは意図的な挑発だと受け止め、ジョルジュ・ブラックは「まるでガソリンを飲んで火を吐くような気分だ」と評したと伝えられています。画商ダニエル=アンリ・カーンワイラーでさえ、当初は困惑を隠せませんでした。あまりに否定的な反応を受け、この絵は巻かれたままピカソのアトリエに長年しまい込まれ、公に展示されることはありませんでした。ようやく人々の目に触れたのは1916年、詩人アンドレ・サルモンが企画した「サロン・ダンタン」展でのことで、この時ですら、一部からは不道徳な作品だとの評価を受けています。

しかし今日では、この絵はキュビスムの誕生を告げた画期的な作品として、20世紀美術史における決定的な転換点の一つに数えられています。1939年、ニューヨーク近代美術館で開催された大規模な回顧展「ピカソ:芸術の40年」への出品を経て、この絵は同館の永久コレクションに加わりました。一方で近年では、アフリカ美術からの着想の取り入れ方について、当時の植民地主義的な文脈への配慮を欠いているとする批判も、現代の美術史家やアフリカ出身の芸術家たちから寄せられています。

よくある誤解

誤解①「この絵は完成直後から革新的な傑作として称賛された」→ 実際はピカソの親しい友人たちからも酷評され、長年封印されていた
今日の高い評価から、発表当初から傑作として認められていたと思われがちですが、実際にはマティスやブラックといったピカソの最も近しい仲間たちからも否定的な反応を受け、この絵は完成から約10年近く、ピカソのアトリエに巻かれたまま公開されることはありませんでした。

誤解②「《アヴィニョンの娘たち》という穏やかな題名はピカソ自身がつけたものである」→ 実際はピカソが当初つけていたのはより直接的な《アヴィニョンの娼館》だった
現在の詩的な響きを持つ題名から、ピカソ自身が最初からこの名前をつけたと思われがちですが、実際にはピカソが当初つけていた題名は《アヴィニョンの娼館》というより直接的なものであり、現在の題名は、この絵を1916年に初めて公開した詩人アンドレ・サルモンによって後から改められたものです。

FAQ

Q. 《アヴィニョンの娘たち》とはどんな作品ですか?
A. ピカソが1907年に手がけた油彩画で、バルセロナの娼館街の女性たちを、角ばった幾何学的な形態とアフリカの仮面を思わせる顔立ちで描いています。ニューヨーク近代美術館が所蔵しています。

Q. なぜこの絵はキュビスムの誕生を告げる作品とされているのですか?
A. 単一透視図法や身体の理想化といった西洋絵画の伝統的な約束事を放棄し、平坦で断片化された幾何学的な画面構成を打ち出したことが、後のキュビスムへとつながる決定的な様式上の転換だったためです。

Q. なぜ発表当初は酷評されたのですか?
A. あまりに大胆な様式の断絶と、伝統的な美の理想からの逸脱が、ピカソの盟友であったマティスやブラックをはじめとする同時代の芸術家たちにも衝撃を与え、否定的な反応を招いたためです。

Q. 《アヴィニョンの娘たち》はどこで見られますか?
A. アメリカ・ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵しています。

まとめ

《アヴィニョンの娘たち》は、5人の娼婦を、単一透視図法や理想化された美という西洋絵画の伝統をことごとく打ち破りながら、角ばった幾何学的な形態と、アフリカやイベリアの仮面を思わせる顔立ちで描いた作品でありながら、発表当初はピカソの盟友マティスやブラックにさえ「悪趣味な冗談」と酷評され、その後10年近く彼のアトリエに巻かれたまま眠り続けていた、キュビスム誕生を告げる衝撃作です。100年以上前に酷評されたこの一枚は、今では西洋美術史における決定的な転換点として位置づけられています。

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