《バーラト・マータ》とは|タゴールが描いたインド独立運動の象徴を徹底解説

《バーラト・マータ》(梵:Bhārat Mātā、意味は「母なるインド」)は、インドの画家アバニンドラナート・タゴールが1905年に手がけた水彩・グアッシュ画で、現在はコルカタのヴィクトリア記念堂に所蔵されています。サフラン色の衣をまとった女性が4本の腕にそれぞれ異なる贈り物を捧げ持つこの絵は、インドという国家そのものを母なる女神として視覚化した先駆的な作品であり、イギリス植民地支配に対する独立運動のさなかで生まれました。この記事では、制作の経緯と、4本の手が象徴するものを見ていきます。

目次

《バーラト・マータ》とは — 基本情報

項目内容
作者アバニンドラナート・タゴール(1871〜1951)
制作年1905年
技法・素材水彩・グアッシュ
サイズ縦26.6×横15.2cm
所蔵ヴィクトリア記念堂(コルカタ)
原題『バンガ・マータ(母なるベンガル)』
主題インドを擬人化した女神

一言でいうと

《バーラト・マータ》は、インドという国家を一人の穏やかな女神の姿に託し、食糧・衣服・知識・信仰という4つの贈り物を人々に差し出す姿として描いた作品です。政治的な主張を、宗教画のような静謐な図像へと昇華させた点に、本作の独創性があります。

制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか

ベンガル分割令とスワデーシー運動

1905年、インド総督カーゾンはベンガル州をヒンドゥー教徒とイスラーム教徒の多住地域に分割するベンガル分割令を施行しました。これは宗教的対立を利用して民族運動を分断しようとする分割統治政策の一環であり、インド国内の激しい反発を招きます。この抵抗運動のなかで掲げられたのが、英国製品の排斥と国産品の愛用を訴える「スワデーシー(自国製品愛用)」の思想でした。アバニンドラナート・タゴールはこの運動の熱気のなかで本作を描き上げています。

「バンガ・マータ」から「バーラト・マータ」へ

タゴールは当初、本作を「バンガ・マータ(母なるベンガル)」と題し、身近なベンガルの女性、あるいは自身の娘をモデルに、ベンガルの女性たちへの賛歌として構想したと考えられています。しかし完成した絵は普遍的な訴求力を持ち、ベンガルという一地域を超えて、インド全体を象徴する「バーラト・マータ(母なるインド)」として広く受け入れられていきました。

バーラト・マータという図像の系譜

「バーラト・マータ」という言葉自体は、19世紀後半のベンガル語小説『アナンダマト』によって広く知られるようになり、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーやカーリーと分かちがたく結びついた形で語られてきました。タゴールの本作は、この言葉が持つイメージを絵画として最初期に視覚化した作品の一つとされ、以後のインド美術における国家の擬人像の原型となりました。

見どころ徹底解説

4本の腕が捧げ持つもの

女神は4本の腕にそれぞれ異なる品を捧げ持っています。1つは書物で、教育・知識を象徴します。もう1つは稲穂の束で、農業の実りと豊かさを表します。白い布は純粋さと衣服を、数珠(ルドラークシャの数珠)は信仰を象徴しています。食糧・衣服・知識・信仰という4つの贈り物は、国家が国民に約束すべき健やかな未来の礎として位置づけられています。

女神としての威厳

女神の頭部には二重の光輪が描かれ、その姿全体には光の気配がまとわりついています。足元には蓮の花が並び、清浄さと精神的な目覚めを象徴しています。多腕という表現形式そのものが、ヒンドゥー教の伝統的な女神像を思わせる図像であり、一人の女性を単なる人間としてではなく、崇拝の対象としての神格へと昇華させています。

ベンガル派と日本画からの影響

タゴールは、イギリスのラファエル前派を代表する画家バーン=ジョーンズの様式や、日本の国粋主義的な日本画運動(琳派・院展系)の「もの寂び」の美学からも影響を受けたとされています。タゴールはのちに「インド東洋美術協会」を設立し、西洋的な写実主義とは異なるインド独自の絵画様式を確立する「ベンガル派」の創始者として知られるようになりました。本作の淡く滲むような色彩表現には、こうした東西の美意識が融合した、ベンガル派特有の技法が表れています。

発表後の広がり

本作は、思想家シスター・ニヴェディタによって広く紹介され、スワデーシー運動のポスターなど、さまざまな媒体に転用・模写されていきました。一人の画家が私的な想いを込めて描いた小品が、やがて民族運動全体を鼓舞する視覚的な象徴へと成長していった過程は、本作が単なる美術作品にとどまらない、歴史的な意味を持つ理由でもあります。

実際に見るには

本作はインド・コルカタのヴィクトリア記念堂に所蔵されています。アバニンドラナート・タゴールはラビンドラナート・タゴールの甥にあたり、近代インド美術の父とも称される画家です。同館ではベンガル派を代表する作品群とあわせて、本作が生まれた時代の熱気を感じ取ることができます。

よくある誤解

本作はしばしば「単なる女神の宗教画」として紹介されがちですが、実際にはベンガル分割令への抵抗運動という、きわめて具体的な政治的文脈のなかで制作されています。また当初のタイトルが「バンガ・マータ(母なるベンガル)」であったことはあまり知られておらず、地域的な賛歌として構想された作品が、のちにインド全体を象徴する図像へと意味を広げていった経緯を踏まえて鑑賞することが重要です。

FAQ

Q. 《バーラト・マータ》の4本の手には何が握られていますか?
書物(教育)、稲穂の束(農業の実り)、白い布(衣服・純粋さ)、数珠(信仰)という4つの品が握られています。

Q. なぜ「バーラト・マータ」という名前になったのですか?
当初は「バンガ・マータ(母なるベンガル)」として構想されましたが、その普遍的な訴求力からインド全体を象徴する「バーラト・マータ(母なるインド)」として広く受け入れられるようになりました。

Q. 作者のアバニンドラナート・タゴールとはどんな人物ですか?
詩人ラビンドラナート・タゴールの甥にあたる画家で、インド東洋美術協会を設立し、ベンガル派の創始者として知られています。

Q. この絵はどんな歴史的背景のなかで描かれましたか?
1905年のベンガル分割令に対する抵抗運動であるスワデーシー運動のさなかに制作されました。

Q. 本作はどのように広まっていったのですか?
思想家シスター・ニヴェディタによって紹介され、スワデーシー運動のポスターなどに転用・模写されながら、独立運動を象徴する図像として定着していきました。

まとめ

《バーラト・マータ》は、一人の画家の私的な想いから出発しながら、やがてインドという国家そのものを象徴する図像へと成長した作品です。4本の腕が捧げる食糧・衣服・知識・信仰という贈り物には、独立運動が単なる領土の要求ではなく、尊厳ある国民生活の実現を目指していたことが静かに刻み込まれています。

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