《着衣のマハ》(1800〜07年頃)は、スペイン・ロマン主義の巨匠フランシスコ・デ・ゴヤによる油彩画で、マドリードのプラド美術館が所蔵する作品です。当世風の衣装をまとい、こちらをまっすぐに見つめる女性を描いたこの絵は、姉妹作《裸のマハ》と対になる作品でありながら、実はその存在自体が、裸体画を秘密裏に隠すための巧妙な仕掛けだったのではないかとも語り継がれる、いわく付きの一枚です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828) |
| 制作年 | 1800〜07年頃 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| 所蔵 | プラド美術館(マドリード) |
| 対をなす作品 | 《裸のマハ》(1795〜1800年頃、同館所蔵) |
| 当初の所有者 | マヌエル・デ・ゴドイ(スペイン首相) |
一言でいうと
《着衣のマハ》は、裸体画である《裸のマハ》と全く同じポーズをとりながら、当世風の衣装をまとって描かれた、西洋美術史上でも極めて異例の「対の絵画」でありながら、宮廷の秘密の私室に飾られ、異端審問所の取り調べにまでかけられるという、波乱に満ちた運命をたどった作品である。


制作背景
この絵は、後にスペイン首相を二度務めることになるマヌエル・デ・ゴドイの依頼によって、まず先に《裸のマハ》(1795〜1800年頃)が描かれ、その後《着衣のマハ》がその対作品として制作されたと考えられています。ゴドイは、ベラスケスの《鏡のヴィーナス(ロークビー・ヴィーナス)》をはじめとする「際どい絵」ばかりを集めた専用の私室を宮殿内に設けており、この2枚のマハもそこに飾られていました。ある伝承によれば、《着衣のマハ》は《裸のマハ》の前に掛けられ、紐を引くことで着衣の絵を横にずらし、裸体の絵を現すという仕掛けが施されていたとも言われています。
見どころ

構図:女性は寝椅子に横たわり、頭の後ろで両腕を組みながら、こちらへ挑むような、確信に満ちた視線を向けています。この構図と姿勢は、対をなす《裸のマハ》とほぼ完全に一致しており、単に衣服の有無だけが異なるという、極めて珍しい対の構成になっています。
女性像の革新性:当時の一般的な裸体画では、モデルが眠っていたり、見られていることに気づいていないふりをしたりする「言い訳」が用いられるのが通例でしたが、ゴヤはこうした常套手段を一切用いませんでした。マハは恥じらうことなく自らの姿をさらけ出し、見られることを意識した、堂々とした眼差しで鑑賞者と向き合っています。このような、控えめさや弱さとは無縁の、自身の身体に誇りを持った強い女性像は、当時としては極めて先駆的な表現でした。
モデルの正体:この絵のモデルが誰だったのかについては、今日でも確定していません。ゴドイの若き愛人ペピータ・トゥドーだったとする説や、ゴヤ自身と親密な関係にあったとされるアルバ公爵夫人だったとする説、あるいは複数の女性の特徴を組み合わせた架空の人物だったとする説など、諸説が入り乱れています。
来歴
1808年、ゴドイが失脚すると、彼の財産はスペイン王室によって没収されました。1813年、スペインの異端審問所はこの2枚の「マハ」を猥褻な作品と見なして押収し、財産目録の中では単に「ジプシー」の絵などと記されています。1815年、ゴヤは異端審問所の秘密の間に召喚され、誰がこれらの絵を依頼したのか、モデルは誰なのか、どのような意図で制作したのかについて、厳しい追及を受けました。ゴヤがどのように答えたのか、あるいは沈黙を貫いたのかは、今日まで記録に残っていません。
2枚の絵は1836年にようやく返還され、サン・フェルナンド王立美術アカデミーに収蔵された後、1901年にプラド美術館へと移されました。以後今日に至るまで、この2枚は同じ展示室で並んで展示され続けています。
よくある誤解
誤解①「《着衣のマハ》は《裸のマハ》より先に描かれた」→ 実際は《裸のマハ》が先に制作され、《着衣のマハ》はその後に対作品として描かれた
「着衣」という一見穏当な題材から、こちらが先に描かれた本来の作品で、《裸のマハ》がその大胆な派生版だと思われがちですが、実際には制作順序は逆で、まず《裸のマハ》が先に描かれ、《着衣のマハ》はその後、対をなす作品として制作されました。
誤解②「この絵のモデルが誰であるかは判明している」→ 実際は今日まで確定していない
ゴドイの愛人ペピータ・トゥドーやアルバ公爵夫人の名がしばしば挙げられることから、モデルの正体が判明していると思われがちですが、実際にはこれらはあくまで諸説の一つに過ぎず、今日に至るまでモデルの身元は確定的には特定されていません。
FAQ
Q. 《着衣のマハ》とはどんな作品ですか?
A. ゴヤが1800年代初頭に手がけた油彩画で、当世風の衣装をまとい、こちらをまっすぐに見つめる女性を描いています。姉妹作《裸のマハ》と対をなす作品で、プラド美術館が所蔵しています。
Q. なぜこの絵は異端審問所に取り調べを受けたのですか?
A. 姉妹作《裸のマハ》とともに猥褻な作品と見なされ、1815年、ゴヤ自身が誰の依頼で、誰をモデルに、どのような意図で制作したのかについて、異端審問所の秘密の間で厳しく問い詰められたためです。
Q. モデルは誰だったのですか?
A. 依頼主ゴドイの愛人ペピータ・トゥドーとする説や、アルバ公爵夫人とする説などがありますが、今日まで確定的には判明していません。
Q. 《着衣のマハ》はどこで見られますか?
A. スペイン・マドリードのプラド美術館が、姉妹作《裸のマハ》と並べて所蔵しています。
まとめ
《着衣のマハ》は、裸体画である《裸のマハ》と全く同じポーズをとりながら、当世風の衣装をまとって描かれた、西洋美術史上でも極めて異例の「対の絵画」でありながら、宮廷の秘密の私室に飾られ、異端審問所の取り調べにまでかけられるという、波乱に満ちた運命をたどった作品です。220年以上前に描かれたこの女性の堂々とした眼差しは、今もそのままの強さで見る者に迫ってきます。


