《裸のマハ》(1797〜1800年頃)は、フランシスコ・デ・ゴヤによる油彩画で、マドリードのプラド美術館が所蔵する、スペイン美術史上最も物議を醸した作品の一つです。神話や寓意という「言い訳」を用いず、実在の同時代の女性の裸体を正面から描いたこの作品は、敬虔なカトリック国だったスペインに衝撃を与え、ゴヤ自身が異端審問にかけられる事態にまで発展しました。対になる《着衣のマハ》とともに、今もプラド美術館で並んで展示されています。この記事では、この作品の見どころ、異端審問との関係、そしてモデルの正体をめぐる今も解けない謎までを解説します。
《裸のマハ》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828) |
| 制作年 | 1797〜1800年頃 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 97×190cm |
| 所蔵 | プラド美術館(スペイン・マドリード) |
| 対作品 | 《着衣のマハ》(1800〜1805年頃、同サイズ・同ポーズ) |
| 最初の所有者 | マヌエル・デ・ゴドイ(スペイン宰相) |
一言でいうと 《裸のマハ》は、神話という伝統的な「言い訳」を用いず、実在の女性の裸体を正面から描いたことで、当時のスペイン社会に衝撃を与え、女性裸体表現の歴史に新しい時代を切り拓いた革命的な一枚である。
制作背景 — なぜこの作品が生まれたのか
タブーに挑んだ理由
19世紀初頭までのスペインでは、カトリックの倫理と異端審問の存在により、裸婦像は公共空間から排除されるだけでなく、描くこと自体がほぼタブーとされていました。国王カルロス3世、カルロス4世は、王室コレクションにあったティツィアーノやルーベンスの裸体画についてさえ「卑猥な絵は焼却せよ」と命じたと伝えられています。この絵は、1800年の時点でスペイン宰相マヌエル・デ・ゴドイの収集品にあったことが記録されており、ゴドイ自身がこの絵の依頼主だったと考えられています。ベラスケスの《鏡のヴィーナス》(背を向けた裸婦像)と対をなす形で、正面を向いた裸婦像として発注されたのではないかとする説もあります。
「マハ」とは誰のことか
タイトルの「マハ」とは、特定の人物名ではなく、当時のマドリードやアンダルシア地方の民族衣装をまとった、粋で威勢のよい下町女性を指す一般名詞です。18世紀には、上流階級の女性がこうしたマハ風の装いを好んで身にまとうという流行もありました。
見どころ徹底解説

構図 — 正面を見据える視線
多くの裸婦画が、モデルを眠らせたり、視線を逸らさせたり、恥じらいのポーズを取らせたりする中で、このマハは真正面から、大きく目を見開いてこちらを見つめています。両手を頭の後ろで組んだポーズ、斜めに体をひねりS字を描く曲線は、優美でありながら、鑑賞者を静かに見返す強い意志を感じさせます。
技法 — 繊細な肌の質感表現
ゴヤは、肌の質感と温もりを丹念に描き出す繊細な光と色彩の表現によって、単なる理想化された女体ではなく、生々しい実在感を持つ人物像を作り上げました。対をなす《着衣のマハ》では、これとは対照的に、薄いピンクとクリーム色の布地の透け感やレースの細部描写に重点が置かれており、二作の技法の違いから、ゴヤの表現の幅広さがうかがえます。
図像学 — 西洋美術史上初めての表現
この作品は、西洋美術史上初めて、実在する女性の陰毛を描いた作品とされています。それまでの裸婦画の伝統では、神話や寓意という文脈を借りることで、女性の裸体表現が社会的に許容されてきました。しかしゴヤは、その「言い訳」を取り払い、同時代の現実の女性として、正面から堂々と横たわる姿を描きました。この率直さこそが、当時のスペイン社会に最大の衝撃を与えた核心でした。
💡 ここに注目(編集部より) 《裸のマハ》を見るときは、ぜひ隣に並ぶ《着衣のマハ》とも見比べてみてください。同じ人物、同じポーズ、同じ長椅子でありながら、服の有無だけで作品全体の印象がどれほど変わるか、体感することができます。まるで衣装替えの瞬間を目撃しているかのような、この2枚ならではの鑑賞体験です。

作品の来歴 — 異端審問との対決
1808年、ナポレオン軍のスペイン侵攻に伴いゴドイが失脚すると、その邸宅の資産が押収され、《裸のマハ》《着衣のマハ》の存在が明るみに出ます。財産目録を作成したナポレオンの代理人は両作品を「ジプシーの女」と記し、1813年に異端審問所によって押収された際の目録では「ヴィーナス」と呼ばれました。1814年、ゴヤは異端審問所への出頭を命じられます。依頼主が誰であるかを問われたゴヤは沈黙を守り通し、有力な友人の介入もあって、最終的に証拠不十分のまま無罪放免となりました。1815年、異端審問所の審査官が作成した報告書には、押収された「5点の猥褻な絵画」の来歴が記されています。両作品は1836年までサン・フェルナンド王立美術アカデミーに寄託されましたが、この間は隔離保管され、一般に公開されることはありませんでした。1901年、ついにプラド美術館の所蔵となり、初めて一般公開されています。ゴドイの邸宅では、《着衣のマハ》を前面に、《裸のマハ》をその裏に隠す仕掛けがあったとも伝えられていますが、この逸話については史実として確認されているわけではありません。
モデルの正体をめぐる論争
このマハのモデルが誰であるかについては、長年にわたり数えきれないほどの憶測が生まれてきました。最も有力視されてきたのが、ゴヤのパトロンであったアルバ公爵夫人説です。ゴヤは彼女の肖像画を複数手がけており、恋愛関係が噂されたこともありました。もう一つの候補が、ゴドイの愛妾ペピータ・トゥドー説です。しかし現在では、いずれの説にも直接的な証拠はなく、この絵に特定のモデルをめぐる寓意的な意図はなかったとする見方が、美術史家の間で大勢を占めています。ゴヤの息子ハビエルは、父が「ヴィーナス」を描いたのだと証言しており、古代からの女性裸体像の伝統を踏まえながらも、それを超越する新しい概念の裸婦像を創造しようとしたのではないかとも考えられています。
評価と影響
《裸のマハ》は、ジョルジョーネ以来続いてきた「ヴィーナス」という名目での女体表現の伝統に、新しい時代をもたらした作品として評価されています。今日ではプラド美術館を代表する作品の一つとなり、《着衣のマハ》と並べて展示される様子を一目見ようと、世界中から鑑賞者が訪れます。1999年には、この絵をめぐる物語を題材にした映画も制作され、女優ペネロペ・クルスがモデル役を演じました。
実際に見るには
スペイン・マドリードのプラド美術館36〜38号室に、《着衣のマハ》と並んで常設展示されています。日本では2011年から2012年にかけて、国立西洋美術館での展覧会「プラド美術館所蔵 ゴヤ 光と影」において、40年ぶりに公開されました。訪問前に公式サイトで最新の展示状況を確認することをおすすめします(最終確認日:2026年7月10日)。
よくある誤解
誤解①「《裸のマハ》のモデルはアルバ公爵夫人で確定している」→ 実際は確証がなく、今も謎のまま
映画や物語の題材として繰り返し取り上げられてきたことから、アルバ公爵夫人がモデルだと広く信じられていますが、これを裏づける直接的な証拠は存在しません。現在の美術史研究では、モデルの正体は依然として不明であり、そもそも特定の人物を意図したものではない可能性も含めて、議論が続いています。
誤解②「ゴヤは異端審問で有罪判決を受けた」→ 実際は証拠不十分で無罪放免となった
異端審問にかけられたという事実から、何らかの処罰を受けたと誤解されることがありますが、実際にはゴヤは依頼主について沈黙を貫き通し、有力な友人の後押しもあって、証拠不十分のまま無罪放免となっています。
FAQ
Q. 《裸のマハ》とはどんな作品ですか?
A. ゴヤが1797年から1800年頃に制作した油彩画で、実在の女性をモデルにした裸婦像です。神話の文脈を用いず現実の女性を正面から描いたことで、当時のスペイン社会に衝撃を与えました。
Q. 《裸のマハ》のモデルは誰ですか?
A. アルバ公爵夫人説とゴドイの愛妾ペピータ・トゥドー説が有力視されてきましたが、いずれも直接的な証拠はなく、今も特定されていません。
Q. なぜゴヤは異端審問にかけられたのですか?
A. 実在の女性の裸体、特に陰毛まで描いた点が、当時のカトリックの倫理に反するとみなされたためです。1814年に出頭を命じられましたが、依頼主について沈黙を守り、証拠不十分で無罪放免となりました。
Q. 《裸のマハ》はどこで見られますか?
A. スペイン・マドリードのプラド美術館に、対をなす《着衣のマハ》と並んで常設展示されています。
まとめ
《裸のマハ》は、神話という伝統的な「言い訳」を用いず、実在の女性の裸体を正面から描いたことで、当時のスペイン社会に衝撃を与えた革命的な一枚です。異端審問にかけられながらも沈黙を貫いたゴヤ、そして今も特定されていないモデルの正体——この絵にまつわる謎の数々は、200年以上を経た今もなお、見る者の想像力をかき立て続けています。


