《東方三博士の行列》とは|ゴッツォリが礼拝堂に描いたメディチ家の肖像画

《東方三博士の行列(伊:Cavalcata dei Magi、英:Procession of the Magi)》は、初期ルネサンスの画家ベノッツォ・ゴッツォリが1459年から60年にかけて手がけたフレスコ画で、フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿、東方三博士の礼拝堂に今も残されている。ベツレヘムへ向かう東方三博士の一行を描いたこの壁画は、聖書の物語という表向きの主題の裏に、当時の権力者メディチ家とその関係者たちの肖像がびっしりと織り込まれている。今回はこの壁画がどのように依頼され、誰の顔がそこに隠されているのかについて見ていく。

目次

基本情報

項目内容
作者ベノッツォ・ゴッツォリ(1421頃〜1497)
制作年1459〜60年
技法・素材フレスコ
所蔵メディチ・リッカルディ宮殿、東方三博士の礼拝堂(フィレンツェ)
依頼主ピエロ・ディ・コジモ・デ・メディチ

一言でいうと

聖書の東方三博士の旅を描きながら、実際にはメディチ家とその同盟者たちの一大肖像画になってしまう。宗教的な物語という表看板の裏で、当時の権力構造をそのまま可視化してしまった壁画。

制作背景

メディチ家の私設礼拝堂のために

この礼拝堂は、1442年に教皇マルティヌス5世からメディチ家に私設礼拝堂の建設許可が与えられたことに始まる。建築家ミケロッツォ・ディ・バルトロメオによって1446年から49年にかけて建てられたこの礼拝堂は、コジモ・デ・メディチ(大コジモ)によってゴッツォリが装飾画家に選ばれ、彼をフィレンツェへと呼び戻すきっかけになった。実際の依頼と図像プログラムの決定には、コジモの息子ピエロ・デ・メディチと、その友人ロベルト・マルテッリが深く関わっていたとされる。

ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノを手本に

ピエロ・デ・メディチは、先行するジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「東方三博士の礼拝」を手本にするようゴッツォリに提案したと考えられている。1459年の春から夏にかけて制作が始まり、その年のクリスマスまでに完成させるという約束のもと、ゴッツォリは助手(おそらくジョヴァンニ・ディ・ムジェッロ)の助けを借りながら急ピッチで作業を進めた。

実在の人物たちが紛れ込む行列

この壮麗な行列のなかには、メディチ家と縁のある実在の人物たちの肖像が数多く描き込まれている。コジモ、ピエロ、そしてまだ幼かったロレンツォ(のちの「豪華王」)とその弟ジュリアーノの姿が確認されており、さらに1439年にフィレンツェで開催された、ギリシャ正教とラテン教会の合同を目指した公会議に参列した著名人たちの肖像も紛れ込んでいるとされる。ゴッツォリ自身も、帽子の縁に自分の名前を記した自画像として、この行列の一員に加わっている。

見どころ

岩がちな丘を進む行列

画面には、切り立った岩山と緑の丘陵を背景に、色鮮やかな衣装をまとった騎馬の一行が幾重にも連なって描かれている。単なる聖書の再現を超えた、当時のフィレンツェの祝祭行列を思わせる華やかさに満ちている。

金色の衣をまとう若き王

画面右側、白馬にまたがる若い王の姿は、かつてはロレンツォ・デ・メディチの肖像と信じられていたが、当時彼はまだ10歳ほどの少年に過ぎなかった。むしろ実際のロレンツォやジュリアーノ、父ピエロ、祖父コジモの肖像は、周囲を取り巻く群像のなかに見出されている。

遠景に広がる理想化された風景

背景には、遠くの城や緑豊かな丘、動物たちの姿が細やかに描き込まれている。写実的な自然描写への新しい関心が、この壁画全体に生き生きとした奥行きを与えている。

帽子に自分の名を記したゴッツォリの自画像

群衆のなかには、画家自身の自画像も紛れ込んでいる。帽子の縁にはゴッツォリ自身の名が記されており、当時の画家がこうした大規模な依頼作品のなかに自らの存在を刻み込む手法の一例となっている。

実際に見るには

本作はフィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿、東方三博士の礼拝堂に、制作当時のまま保存されている。礼拝堂の図像プログラムは、この行列の場面と、内陣の「幼子キリストの礼拝」および側壁の礼拝する天使たちの場面から構成されており、あわせて鑑賞することで礼拝堂全体の構想を体感することができる。

よくある誤解

この壁画はしばしば「聖書の東方三博士の旅を描いた宗教画」として単純に紹介されがちだが、実際にはメディチ家とその同盟者たちの肖像を巧みに織り込んだ、いわば当時の権力を誇示するための装置でもあった。単なる信仰の記録としてではなく、フィレンツェにおけるメディチ家の権勢を視覚化した資料として見ることで、この壁画の本来の意図がより見えてくる。

FAQ

Q. 《東方三博士の行列》はどこで見られますか?
フィレンツェのメディチ・リッカルディ宮殿、東方三博士の礼拝堂に、制作当時のまま所蔵されている。

Q. なぜメディチ家の人物が描かれているのですか?
依頼主であったメディチ家が、聖書の物語を借りて自らの権勢と人脈を可視化する目的で、家族や関係者の肖像を行列に紛れ込ませたためである。

Q. この壁画はいつ制作されましたか?
1459年から1460年にかけて制作された。

Q. ゴッツォリ自身も描かれているのですか?
はい。行列のなかに自画像を描き込み、帽子の縁に自らの名前を記している。

Q. 手本にした先行作品はありますか?
ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノの「東方三博士の礼拝」が手本にされたと考えられている。

まとめ

《東方三博士の行列》は、聖書の物語を舞台にしながら、実際には当時のフィレンツェを支配していたメディチ家とその人脈をそのまま描き込んだ、いわば政治的な肖像画でもある。華やかな衣装と緻密な風景描写の奥に潜む実在の人物たちを探しながら見ることで、この壁画の本当の面白さが見えてくる。

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