アムリタ・シェール=ギル《タヒチアンとしての自画像》とは|ゴーギャンのタヒチを、自分の身体に重ねて描いた自画像

《タヒチアンとしての自画像》(1934年)は、アムリタ・シェール=ギルが、パリで学んでいた21歳のときに描いた、半身像の自画像です。上半身をあらわにした女が、腰に白い布を巻き、両腕を前で組んで、まっすぐ立っています。背景には、東アジアの絵画から取ってきたような小さな人物たちと、影のような男の姿があります。ゴーギャンのタヒチを、自分自身に引き寄せて描いた、この画家の最も論じられる作品の一つです。

基本情報

作者はアムリタ・シェール=ギル(1913〜1941)、制作年は1934年の初め、制作地はパリです。技法はキャンバスに描いた油彩で、サイズは縦90×横56cm。インド、デリーのキラン・ナダール美術館に所蔵されています。画面の右下には、署名と年号が入っています。インドの古美術・美術品保護法(1972年)により、国宝級の美術品として扱われ、国外へ出すには、政府の許可が必要とされます。

制作背景|パリの最後の年

アムリタは、1929年から、パリで美術を学んでいました。1930年から1934年にかけて、ヨーロッパで描かれた自画像は、19点にのぼります。1934年は、パリでの学びの最後の年で、年末には、インドへ帰ることが決まっていました。

前年の1933年に、アムリタは、ロンドンのテート・ギャラリーで、ゴーギャンの《ファア・イヘイヘ》(1898年)を見ています。本作は、その経験への応答、そして、ゴーギャンへの敬意として、描かれたと見られています。また、1934年1月には、両親へ宛てて、「中国の絵」をアトリエへ持ち帰り、それが大きな役割を果たす絵を描きたいと思う、と書いています。甥のヴィヴァン・スンダラムは、この手紙が、本作を指すと考えています。

サロン・デ・テュイルリーへの出品

1934年4月、アムリタは、友人のドニーズ・プルトーに宛てた手紙で、サロン・デ・テュイルリーに、5点を出品できること、本作を、1932年に描いた友人ボリス・タスリツキーの肖像《リンゴを持つ青年》と、並べたいと書いています。この二点は、青と黄の色調の絵と、ピンクと白の調和の絵として、よい対照になると考えたようです。

プルトーは、のちに、アムリタが、サリーを着て、展覧会へ来たと回想しています。パリの通りでは、めったに見られない光景でした。展示は、大変な評判を呼び、アムリタと他の出品者は、人混みを避けて、カフェに避難しなければならなかったと伝えられます。

見どころ|立つ自分

画面の中央に、アムリタ自身が、斜めを向いて立っています。肌は、茶から黄土色まで、さまざまな色調で塗られ、胴まわりには、白い布が巻かれています。黒く長い髪は、後ろで無造作に結ばれ、背中の側へ、まっすぐ垂れています。眉は濃く、目の下には、暗い影があり、唇は、深い赤です。視線は、画面の左へ流れ、見る者から、わずかにそらされています。

両腕は、体の前で、手首のあたりで交差しています。ウィキペディアは、口の端に、かすかな皮肉の笑みが見えると解説しています。ヤショーダラ・ダルミアは、この表情が、レンブラントの最後の自画像(1669年)の笑みに通じるとして、本作を、アムリタの最も劇的な肖像と呼んでいます。

見どころ|背景の小さな人物と影

背景は、温かい赤茶色の地に、細い線で、東アジア風の屋根を持つ建物と、小さな人物たちが描かれています。左には、結い上げた髪に、長い衣をまとった女性たちが、立っています。右上には、帽子をかぶった男の顔が、画面を見下ろすように、うかがわれます。

英語版ウィキペディアは、彼女が、「見知らぬ男の影」のなかに立ち、背後には、日本または中国の小さな人物たちがいると説明しています。この男の影が、誰かは、はっきりしません。

解釈|ゴーギャンへのオマージュか

本作は、東と西を組み合わせたゴーギャンへの敬意であり、アムリタが、自分を、「異国の他者」として描いたものだ、という見方があります。批評家のW・G・アーチャーとカール・カンダワラは、アムリタが、ゴーギャンに取り憑かれていたと見ました。アーチャーは、アムリタにとって、「インドとはゴーギャンであり、帰国したとき、インドそのものが、ゴーギャンになった」と述べています。

哲学者のナリニ・ブーシャンは、アムリタが、自分のなかのインド人の部分を描き、タヒチ人を、完全に非ヨーロッパ的な存在として表したと見ています。ただし、ゴーギャンのタヒチの女たちは、花で飾られ、官能的な、熱帯の風景のなかの存在として描かれることが多く、アムリタの自画像とは、対照的です。

サローニ・マトゥールは、これを、単なるゴーギャンへの賛辞ではないと主張します。彼女は、ゴーギャンとゴッホが、1880年代後半に行った、自画像と仮装の戦略に、深く関わった作品だと見て、ゴッホの影響を、これまで過小評価されてきたと述べます。ゴッホの《タンギー爺さん》も、背景に日本の版画の人物を置いています。マトゥールは、女が、ほかの絵とは異なり、「落ち着きと、自己の確かさと、静けさに満ちている」と評し、体をわずかにそらす姿勢を、インドへの帰還を願うアムリタの、向き直りに重ねています。

影の男

背後の影を、のぞき見る者(ヴォワイユール)と呼ぶ研究者がいます。マトゥールは、ゴーギャンとゴッホという、二人の画家の支配的な影響と、近代主義の主要な言説のなかに、自分の居場所を探す、アムリタ自身の姿の象徴だと考えます。別の研究者は、アムリタの精神状態の表れだと見ています。

同時代のほかの作品との関連

ウィキペディアは、パウラ・モーダーゾーン=ベッカーの《結婚6周年の自画像》も、アムリタが知っていた可能性が高いと指摘しています。両作とも、わずかに丸みを帯びた腹部と、豊かな胸によって、妊娠の初期を思わせる姿を描いているという読みがあります。ソニャ・クラーも、本作を、フランスの巨匠たちの、オリエントとの関係を、芝居のように演じた作品と評し、オセアニア、東洋、西洋が、混ぜ合わされていると述べています。

まとめ

《タヒチアンとしての自画像》は、アムリタが、ヨーロッパの画家の目を借りて、自分自身を、他者として描いた作品です。ゴーギャンの仮面をかぶりながら、その視線の外へ、まなざしをそらす女。その姿は、のちに、インドの人々と向き合って、自分の絵を築いていくアムリタの、出発点を示しています。

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