《三人の乙女》(1935年)は、アムリタ・シェール=ギルが、ヨーロッパからインドへ戻って、最初に描いたとされる作品です。緑、橙、赤のヴェールをかぶった三人の若い女性が、身を寄せ合い、それぞれ違う方向へ目を伏せています。背景を省き、色と顔に集中した画面は、パリで学んだ写実的な描き方から、新しい画風へ移る節目を示しています。
基本情報
作者はアムリタ・シェール=ギル(1913〜1941)、制作年は1935年1月です。技法は油彩・カンヴァスで、サイズは縦92.5×横66.6cm。ニューデリーの国立近代美術館に所蔵されています。原題は「Three Girls」で、「Group of Three Girls」とも呼ばれます。画面の右下には、赤い文字で、「Amrita Sher-Gil」の署名と、その下に「Indes」と読める文字があります。
制作背景|帰国後、最初の作品
アムリタは、1934年の末に、ヨーロッパからインドへ戻りました。国立近代美術館は、本作を、パリでの修業を終えて帰国した後の、最初の作品と説明しています。アムリタは、1935年1月1日に、母へ宛てた手紙で、「今日、マヒンドラの三人の娘の絵を仕上げた。素晴らしい出来だ」という趣旨のことを書いています。
モデルは、アムリタの従姉妹たちで、マヒンダー・カウルとマンガル・シン・マンの三人の娘です。ウィキペディアは、左からニルヴィール・カウル(ナイリー)、ベアント・カウル、ハルバジャン・カウル(サンド)としています。制作地は、アムリトサルと記す資料があります。
見どころ|緑と赤に包まれた三人

画面は縦長で、三人が、斜めに連なるように並んでいます。左の手前には、淡いミントグリーンのショールを、頭からかぶった少女がいます。顔は、左下へ向けた横顔で、鼻には小さな飾りをつけ、耳飾りが見えます。首もとからは、刺繍のある白い衣の襟がのぞきます。ショールには、筆のあとが残り、厚く、ざらつくような絵具の層が、布の質感を伝えています。
中央の奥には、鮮やかな橙赤のヴェールをかぶった少女が、目を伏せて立っています。頭の分け目と、耳飾りが見えますが、顔の半分は、ヴェールの影のなかにあります。
右には、深い赤の衣と頭巾の少女がいます。大きな黒い目で、画面の左下を見つめ、右手を、手のひらを上に向けて、ゆるやかに伸ばしています。左下の隅には、腕輪をした手が、組まれるように置かれています。
三人は、互いに目を合わせず、見ている人のほうも向いていません。それぞれが、別の方向へ、静かに視線を落としています。背景は、茶と灰色を混ぜた無地で、左上に、暗いアーチ状の影があるだけです。場所や時間を示すものは何もなく、顔、手、衣の色だけが、画面を支えています。
色の面では、緑と赤の組み合わせが、強い対照をつくっています。冷たい緑が、左の少女に置かれ、右の二人の暖かい赤と橙が、それを受けています。顔は、大きな目と、細い鼻筋に単純化され、暗い輪郭線で縁どられています。
画風の転換|ゴーガンの影響
国立近代美術館は、本作に、ゴーガンの影響があり、人物を平らに扱う点が、パリ時代の作品とは異なると解説しています。パリで学んだ、写実的な描き方から、線と色を前面に出した、平らで、現代的な構成へ、移りつつあることを示す作品とされます。
アムリタ自身も、のちに、インドの人々、とりわけ貧しい人々の生活を描き、その悲しげな眼差しが与えた印象を、画面に再現することが、自分の本当の使命だと感じた、という趣旨のことを書いています。
評価とエピソード
1936年12月、ハイデラバードの展覧会に出品された際、収集家のサラール・ジャング3世が、本作を取り寄せました。アムリタは、購入を期待して、さらに別の作品も送り、滞在を延ばしましたが、彼は、すべてを返却し、「こうしたキュビスムの絵は、自分には役に立たない」という趣旨のことを述べたと伝えられます。
しかし、1937年には、この作品が、ボンベイ・アート・ソサエティの年次展で、金賞を受けました。同じ年の11月に、ラホールで開かれた個展にも出品され、700ルピーの値がつけられていました。
三人は何を表すのか
解説では、三人は、変えることのできない運命を、静かに見つめているとされます。アムリタは、女性たちを、官能的には描かず、大きな困難に直面しながらも、それを超えようとする精神を持った存在として描いた、と評されます。
また、別の解説は、女性たちが、受け身で、諦めたような表情をしていることから、女性や少女が、自らの人生で、より能動的な役割を担える日への、期待を読み取る見方を紹介しています。
まとめ
《三人の乙女》は、パリで学んだ画家が、インドの人々と向き合い、自分の表現を探し始めた時期の作品です。背景をなくし、顔と色の面に集中した画面は、その後の、《南インドの村人たち》などへ続く、方向を示しています。

