《貞節なシュザンヌ》とは|ヴァロットンが仕掛けた皮肉を解説

《貞節なシュザンヌ》(仏:La Chaste Suzanne)は、スイス生まれでパリを拠点に活動した画家フェリックス・ヴァロットンが1922年に手がけた油彩画で、現在はローザンヌ州立美術館に所蔵されています。劇場の桟敷席を舞台に、着飾った女性が2人の禿げ頭の男性のあいだで妖艶な微笑みを浮かべるこの絵は、聖書に伝わる「スザンナと長老たち」の物語を、まったく正反対の意味へとひっくり返してしまった一枚です。この記事では、このタイトルにどんな皮肉が込められているのか、そしてヴァロットンがどのような画家だったのかを見ていきます。

目次

《貞節なシュザンヌ》とは — 基本情報

項目内容
作者フェリックス・ヴァロットン(1865〜1925)
制作年1922年
技法・素材油彩・カンヴァス
所蔵ローザンヌ州立美術館(スイス)
主題「スザンナと長老たち」の逆転劇

一言でいうと

《貞節なシュザンヌ》は、本来「貞淑さ」の象徴だったはずのスザンナという名を借りながら、実際には娼婦らしき女性が中年男性たちを誘惑する場面を描くことで、タイトルと内容とのあいだに強烈なずれを生み出した作品です。

制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか

「スザンナと長老たち」という伝統的主題

「スザンナと長老たち」は、旧約聖書外典に記された物語です。貞淑な人妻スザンナが水浴びをしているところを2人の好色な長老が覗き見し、言うことを聞かなければ姦通の罪をでっち上げると脅しますが、スザンナは屈することなく貞節を守り通します。この主題は西洋絵画史のなかで幾度となく描かれ、誘惑に負けない女性の美徳を称える図像として定着してきました。

タイトルに仕込まれた反転

ヴァロットンはこの伝統的な図像をそのまま踏襲するのではなく、あえてタイトルだけを借りながら中身を裏返しています。本作に描かれた「シュザンヌ」は貞淑な人妻ではなく、娼婦のような姿に姿を変え、逆に好色そうな中年男性たちを自ら誘惑する側に回っているのです。「貞節な」という形容詞が、もはや皮肉としてしか機能しないタイトルになっています。

見どころ徹底解説

後ろ姿だけで伝わる下心

画面手前と左側に描かれた2人の男性は、いずれも後ろ姿だけで表情はうかがえません。しかしその禿げ具合や、女性へと向けられた身体の傾き方から、彼らがどのような下心を抱いているかが自然と伝わってきます。顔を見せずに人物の内面を語らせるという手法は、ヴァロットン特有の抑制の効いた表現の巧みさを示しています。

妖艶な微笑みを浮かべる女性

中央の女性はきらびやかな帽子をかぶり、オレンジ色の肩掛けをまとって、口元にわずかな笑みを浮かべています。この笑みは無邪気なものではなく、明らかに誘惑する側の余裕を感じさせるものです。伝統的な図像における「貞淑な犠牲者」としてのスザンナ像とは、まったく異なる立ち位置にこの女性は置かれています。

劇場という舞台装置

場面は劇場の桟敷席に設定されており、ピンクがかった手すりと暗い背景が、艶やかで人工的な雰囲気を強めています。人間関係の駆け引きを、実生活の一場面としてではなく演劇的な空間のなかに置くことで、ヴァロットンはこの逆転劇にさらなる虚構性を加えています。

ヴァロットンという画家について

ヴァロットンは1865年、スイス・ローザンヌの裕福なプロテスタント家庭に生まれ、パリに渡って前衛芸術グループ「ナビ派」の一員として活動しました。抑制の効いたフラットな色面と単純な描線の下に、人間の心理や虚構をひそませる作風で知られ、その作品はしばしば一編の短編小説のような緊張感をたたえていると評されます。男女の親密な関係を主題にした木版画連作『アンティミテ』でも、こうした人間観察の鋭さがいかんなく発揮されています。

実際に見るには

本作はスイス・ローザンヌ州立美術館に所蔵されています。日本では2014年、三菱一号館美術館で開催された日本初のヴァロットン回顧展に出品され、大きな話題を呼びました。同館は木版画連作『アンティミテ』の版画作品も収蔵しており、あわせて鑑賞することで、ヴァロットンが男女の駆け引きをどのように描き続けてきたかを知ることができます。

よくある誤解

本作はしばしばタイトルだけを見て「貞淑な女性を描いた絵」だと誤解されがちですが、実際にはその正反対、誘惑する側に回った女性を描いた作品です。聖書の伝統的な図像を知らずに見ると、この皮肉なずれに気づかないまま鑑賞してしまうことになるため、元になった物語を踏まえて見ることが欠かせません。

FAQ

Q. 「スザンナと長老たち」とはどんな物語ですか?
貞淑な人妻スザンナが水浴び中に2人の好色な長老に覗き見され脅されるものの、貞節を守り通すという聖書外典の物語です。

Q. ヴァロットンはこの物語をどう描き変えたのですか?
貞淑な人妻だったはずのスザンナを娼婦のような女性に置き換え、逆に男性たちを誘惑する立場として描いています。

Q. なぜ男性たちは後ろ姿でしか描かれていないのですか?
表情を見せないことで、かえって彼らの下心をより強く印象づける効果を狙っていると考えられます。

Q. 場面はどこに設定されていますか?
劇場の桟敷席に設定され、艶やかで人工的な雰囲気が強調されています。

Q. 現在この絵はどこにありますか?
スイスのローザンヌ州立美術館に所蔵されています。

まとめ

《貞節なシュザンヌ》は、聖書由来の「貞淑さ」の物語を逆手に取り、タイトルと絵の中身との落差そのものを見せ場にした作品です。表情の見えない男性たちの後ろ姿と、余裕を漂わせる女性の微笑みの対比に、ヴァロットンという画家の皮肉めいた人間観察の鋭さが凝縮されています。

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