《誕生日》(英:Birthday)は、アメリカの画家ドロテア・タニングが1942年、30歳を迎えた年に描いた自画像で、現在はフィラデルフィア美術館に所蔵されています。無数の扉が奥へと連なる薄暗い部屋の前に立ち、胸元をはだけた不思議な衣装をまとって挑むようにこちらを見つめる女性。その傍らには翼を持つ奇怪な生き物がうずくまっています。この一枚が、無名のイラストレーターだったタニングを、シュルレアリスムの世界へと導くきっかけになりました。この記事では、この絵がどのように生まれ、なぜ彼女の人生そのものを変えることになったのかを見ていきます。
《誕生日》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ドロテア・タニング(1910〜2012) |
| 制作年 | 1942年 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| 所蔵 | フィラデルフィア美術館(アメリカ) |
| ジャンル | 自画像 |
一言でいうと
《誕生日》は、30歳という節目に自らの姿を描いた自画像でありながら、画家自身の実生活を大きく動かすことになった一枚です。この絵をきっかけにタニングはシュルレアリストのマックス・エルンストと出会い、のちに夫婦となりました。
制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか
グリニッジビレッジの一室で
タニングはこの頃、フリーランスのイラストレーターとして生計を立てながら、グリニッジビレッジのアパートで絵筆を握っていました。当時30歳を迎えた彼女は、自らを主題にした全身像の自画像を仕上げます。それが本作《誕生日》でした。
エルンストとの出会い
この絵が転機となったのは、画商ペギー・グッゲンハイムの企画による女性作家展のため、当時グッゲンハイムの夫だったマックス・エルンストがタニングのアトリエを訪れたときのことでした。出品作を選びに来たエルンストは、本作にすっかり心を奪われたと伝えられています。絵だけでなく、それを描いたタニング自身にも惹かれたエルンストとの関係はやがて恋愛に発展し、彼はグッゲンハイムのもとを去ることになります。本作はニューヨークの「アート・オブ・ディス・センチュリー・ギャラリー」で展示され、タニングの画家としての出発点を印象づけました。
見どころ徹底解説
胸をはだけた不思議な装い
画面中央に立つタニング自身は、紫と金色をあしらったヴィクトリア朝風の上着を胸元まで開け、根や苔がもつれ合ったような裾のスカートをまとっています。優美でありながらどこか不穏な、この現実離れした衣装が、見る者の視線を釘付けにします。
奥へと連なる無数の扉
背景には開け放たれた扉が幾重にも連なり、その先には暗闇に沈む部屋がどこまでも続いています。この終わりの見えない扉の連なりは、タニングの作品にたびたび登場するモティーフで、内面の奥深くへと分け入っていく心理的な旅路を思わせる仕掛けになっています。
足元にうずくまる怪物
女性の足元には、翼を持つ小さな怪物のような生き物がうずくまっています。この空想上の生き物の存在によって、絵全体は単なる肖像画の枠を超え、現実と夢とが溶け合う独特の空気をまとうことになりました。
「平凡さ」という異色の魅力
美術評論家の巌谷國士は、生い立ちの重さや業の深さがにじみ出る作品を手がけがちだった当時のシュルレアリストたちのなかで、タニングの絵はごく一般的な女性の生きる過程を描いた、当時としてはむしろ珍しい「平凡さ」を特徴としていると指摘しています。本作もまた、劇的な神話やトラウマではなく、一人の女性が自らの内面と向き合う静かな瞬間をとらえた作品だといえます。
その後の画業
タニングは1940年代を通じてこうした具象的なシュルレアリスム絵画を手がけていましたが、1950年代以降は次第に作風を変化させ、より抽象的な独自のスタイルへと移行していきます。エルンストとは1946年に結婚し、彼が1976年に世を去るまで夫婦として歩みを共にしました。タニング自身は101歳まで生き、パリのペール・ラシェーズ墓地にあるエルンストの墓の隣に葬られています。
実際に見るには
本作はアメリカのフィラデルフィア美術館に所蔵されています。20世紀のシュルレアリスム絵画を代表するコレクションのなかで、タニングという画家がこの一枚からどのように出発していったのかを確認できる貴重な機会になります。
よくある誤解
本作はしばしば「単なるエキゾチックな幻想画」として片づけられがちですが、実際にはタニング自身の30歳という節目を記録した自画像であり、同時に彼女の人生そのものを大きく変えた出来事の発端でもあります。またタニングはエルンストの妻として語られることが多いものの、本作はあくまで彼と出会う前、無名の画家として一人で描き上げた作品である点も見落とされがちです。
FAQ
Q. 《誕生日》はいつ、どこで描かれましたか?
1942年、タニングがニューヨークのグリニッジビレッジのアパートで、30歳を迎えた年に描きました。
Q. なぜこの絵がタニングの転機になったのですか?
マックス・エルンストが女性作家展のためアトリエを訪れた際にこの絵に心を奪われ、二人の出会いのきっかけになったためです。
Q. 足元にいる生き物は何を表していますか?
特定の生き物というより、現実と夢の境界を曖昧にする空想上の存在として描かれています。
Q. タニングとエルンストはその後どうなりましたか?
1946年に結婚し、1976年にエルンストが亡くなるまで夫婦として過ごしました。
Q. 現在この絵はどこにありますか?
アメリカのフィラデルフィア美術館に所蔵されています。
まとめ
《誕生日》は、30歳の節目に自らを描いた一枚でありながら、結果として画家自身の人生の扉を開くことになった自画像です。奥へと連なる無数の扉というモティーフそのものが、この絵をきっかけに新しい人生へと足を踏み入れていったタニング自身の歩みを、静かに予告していたのかもしれません。

