依頼主が激怒した。モデルが人生を狂わされた。批評家が酷評し、訴訟にまで発展した。絵を描くという行為は、時に画家と、絵に描かれる側との間に、深刻な軋轢を生む。今回は、そうした「裏切り」の物語を持つ絵を、10点集めてみた。
1. 《マダムX》サージェント(1884年)

社交界の美女ヴィルジニー・ゴートローを描いた肖像画。当初、片方の肩紐がずり落ちた、扇情的な構図で発表されたところ、パリのサロンで大スキャンダルとなった。彼女の母親はサージェントのアトリエに乗り込み、絵を撤回しなければ娘は絶望のあまり死んでしまうと訴えたと伝えられている。肩紐は後に描き直されたが、時すでに遅く、モデルの評判は地に落ち、画家自身もパリを離れ、ロンドンへと拠点を移すことになった。

2. 《チャーチル像》グラハム・サザーランド(1954年)
議会が資金を出し合い、80歳の誕生日を記念して依頼した肖像画。しかしチャーチル本人は、この絵をひどく嫌い、公開の場では礼儀正しく振る舞いつつも、老いを露わにしたその写実性に、深く傷ついたと伝えられている。妻クレメンタインは、夫の死後を待たず、この絵をひそかに燃やしてしまった。今日、絵の実物は現存せず、写真でしかその姿を確認できない。
3. 《十字路に立つ人》ディエゴ・リベラ(1933年)
ロックフェラー・センターのロビーを飾るために依頼された壁画。しかし完成間近、画面の中にレーニンの肖像が描かれていることが発覚し、依頼主一族は激怒した。リベラがこれを削除するよう求められても拒否したため、報酬は全額支払われたものの、壁画自体は未完成のまま覆い隠され、翌1934年、労働者の手によって完全に削り取られてしまった。今日残っているのは、当時撮影された白黒写真と、リベラ自身がメキシコで描き直した複製版のみである。
4. 《アメリカン・ゴシック》グラント・ウッド(1930年)

農夫と娘(あるいは妻)を描いた、素朴な絵。実際のモデルは、画家の妹ナンと、地元の歯科医だったが、この絵が発表されると、彼らは「不細工な田舎者」として、アメリカ中に知られることになった。妹ナンは、自分が実際より老けて描かれたことに、生涯不満を漏らし続けたと伝えられている。

5. 《グロス・クリニック》トマス・エイキンズ(1875年)

麻酔のない時代の外科手術を、生々しく描いた大作。1876年のアメリカ建国100周年記念博覧会に出品を試みたが、審査員たちはあまりの血なまぐささを理由に、美術部門への展示を拒否した。絵は代わりに、会場の隅にある陸軍の医療展示コーナーへと、追いやられている。

6. 《夜警》レンブラント(1642年)

火縄銃組合の集団肖像画として依頼された作品。しかし出資者たちは、それぞれが同じ金額を支払ったにもかかわらず、絵の中で光の当たり方や配置に差があり、影に隠れて自分の顔がほとんど見えない者もいたことに、不満を抱いたと伝えられている。この不満が、後年の伝説的な「レンブラント人気の凋落」の一因になったとする説もあるが、これについては、歴史家の間でも見解が分かれている。

7. 《黒と金のノクターン》ホイッスラー(1875年)

批評家ジョン・ラスキンが、この絵を「観客の顔に絵の具の缶を投げつけたようなものだ」と酷評したことに対し、ホイッスラーは名誉毀損で訴訟を起こした。裁判には勝訴したものの、賠償金はわずか1ファージング(硬貨の最小単位)にとどまり、莫大な訴訟費用がホイッスラーを破産に追い込んだ。

8. 《最後の審判》ミケランジェロ(1541年)

教皇庁の典礼長ビアージョ・ダ・チェゼーナが、この壁画に描かれた裸体の多さを、教皇に激しく訴え出た。腹を立てたミケランジェロは、彼を地獄の裁判官ミノスの姿で、ロバの耳と、股間に蛇が巻きつく姿で、こっそり描き加えたという。ビアージョが撤去を求めても、教皇は「地獄からは救い出せない」と、笑って取り合わなかったと伝えられている。

9. 《教皇インノケンティウス10世の肖像》ベラスケス(1650年)

あまりに写実的な出来栄えに、教皇本人が「真実すぎる(トロッポ・ヴェーロ)」と漏らしたと伝えられる肖像画。この逸話は広く語り継がれているが、同時代の一次資料による、確たる裏付けは見つかっていない。

10. 《カルロス4世の家族》ゴヤ(1800年)
今日の目には、王族を痛烈に風刺したようにも見える集団肖像画。しかし当時の記録によれば、王家自身はこの絵を気に入り、満足していたとされている。皮肉と真意との間の、この奇妙なねじれこそが、この絵が今なお語り継がれる理由の一つになっている。
よくある誤解
誤解①《カルロス4世の家族》は、当時から風刺画として、批判的に受け止められていた
今日の目には、あまりに素朴で威厳を欠いた王族の姿から、当時から嘲笑の対象だったと思われがちだ。しかし記録に残る限り、王家自身はこの絵に満足しており、批判的な解釈は、後世の観客が生み出したものである可能性が高い。
誤解②裏切られた絵は、いずれも二度と評価されなかった
《マダムX》は当時こそ大スキャンダルとなったが、今日ではサージェントの代表作として、メトロポリタン美術館の看板作品の一つになっている。《グロス・クリニック》も、一度は医療展示コーナーに追いやられながら、今日ではアメリカ写実主義を代表する名作として、再評価されている。
まとめ
裏切られた絵の多くに共通しているのは、画家が「真実」を描こうとした瞬間に、依頼主やモデル、あるいは社会そのものが、その真実に耐えられなかったという構図だ。時代が経てば評価が逆転することもあれば、《チャーチル像》のように、永遠に失われてしまうこともある。絵と、それを見る側との関係は、思っている以上に、危ういバランスの上に成り立っている。
