《生首の図》(1842年)は、葛飾北斎が83歳のときに描いた肉筆画で、摘水軒記念文化振興財団が所蔵しています。茶色い絹の地に、長い黒髪の首が、縄と竹の棒、柄杓とともに横たわっています。余白の大きな画面に、陰影を帯びた顔だけが静かに浮かぶ、北斎の作品のなかでも異色の一幅です。
基本情報
作者は葛飾北斎(1760?〜1849)、制作年は天保13年(1842年)。技法は絹本彩色の掛軸で、サイズは縦27.4×横43.1cmと、小ぶりです。落款に「画狂老人 卍筆 齢八十三」とあります。所蔵は摘水軒記念文化振興財団(収蔵番号1-11-0007)です。
作者の晩年|画狂老人卍と肉筆画
北斎は、天保5年(1834年)、75歳のときに刊行した『富嶽百景』で、「画狂老人卍」という最後の画号を使い始めました。以後、亡くなる1849年まで、版画よりも肉筆画に力を注ぎ、動植物、和漢の故事、宗教画など、幅広い題材に取り組んでいます。本作は、その時期の中でも、83歳のときの作品です。
見どころ|絹の地に浮かぶ顔

画面の中央には、横向きに置かれた首が描かれています。頬から顎にかけて、肌には淡い陰影が重ねられ、輪郭線に頼らず、明暗によって顔の立体感が表されています。口元はわずかに開き、歯がのぞきます。額には赤い筋があり、そのまわりに、血の飛沫が小さく散っています。ほつれた長い黒髪は、墨のにじみのように、画面の右へと広がっています。
背景は、絹の織り目が見える、無地の茶色です。余計なものが一切なく、首だけが、画面にぽつんと置かれています。恐ろしい題材でありながら、画面全体は不思議なほど静かで、描写は冷静です。
見どころ|縄と竹と柄杓
首のまわりには、いくつかの品が置かれています。画面の左上から右下へ、斜めに黄色い竹の棒が横切り、そこに橙色の縄が、何重にもからみつくように輪を描いています。左の端には、柄杓が見えます。
縄、竹、柄杓という取り合わせが、何を意味するのか、確認できた資料では分かりませんでした。題名も、単に《生首の図》とされるのみで、誰の首なのか、どの物語の場面なのかも、記されていません。意味を限定しないまま、日常の道具と首が並べられていることが、見る者に、さまざまな想像を促します。
西洋画法との関わり
北斎は、「戴斗」の号を使っていた1810年代に、西洋画法の研究を進めたことが知られています。島根県立美術館が所蔵する、別の《生首図》(1810〜14年頃の扇面)は、墨とわずかな色の面で、明暗と立体感を捉えた作品で、西洋の描法が強く意識されているとされます。この時期には、北斎が油彩画の展覧を告げる案内状も残されていたと言われます。
本作も、輪郭線を抑え、明暗によって顔を表している点で、その延長にある作品と見ることができます。北斎が、生涯を通じて、新しい表現を試み続けたことの、一つの表れです。
評価と影響
本作は、「北斎−Siebold & Hokusai and his Tradition」展(2007〜08年、江戸東京博物館ほか)など、複数の展覧会に出品されてきました。また、北斎の妖怪画を扱った書籍にも取り上げられ、さらに、斬首を扱った医学・美術の研究書(ベオグラード大学の解剖学者による著作、2012年)でも言及されています。
まとめ
《生首の図》は、晩年の北斎が、絹の地に一つの首と、いくつかの日用品を置いただけで、画面を成立させた作品です。何も語らない余白のなかに、見る者の想像をかき立てる静けさがあります。老いてなお、新しい表現に挑み続けた、画狂老人の凄みが伝わってきます。

