《大きな水しぶき(A Bigger Splash)》(1967年)は、英国出身の画家デイヴィッド・ホックニーがカリフォルニアで描いた作品で、ロンドンのテート(テート・ブリテン)が所蔵しています。真っ青な空、モダニズム建築の平屋、静まり返ったプール。そこに人の姿はなく、飛び込みの主が消えた後の水しぶきだけが白く弾けています。1960年代のカリフォルニアの光をポップに定着させた、ホックニーの代名詞的な一枚です。
基本情報
作者はデイヴィッド・ホックニー(1937年生まれ)、制作年は1967年。技法はアクリル・カンヴァスで、サイズは約242.5×243.9cmのほぼ正方形の大画面です。所蔵はロンドンのテートです。同じ主題を扱った《小さな水しぶき》《水しぶき》に続く3作目にあたり、最も大きく、最も洗練された本作に「より大きな(Bigger)」の題が与えられました。
制作背景|カリフォルニアという理想郷
ヨークシャー出身のホックニーは1964年にロサンゼルスへ移り住み、英国の湿った灰色の空とは対照的な、乾いた光と開放的なライフスタイルに魅了されました。プール、シャワー、芝生のスプリンクラーといった「水」のモチーフは、この時期の彼の中心的な主題となります。プールが一部の富裕層の贅沢品である英国と違い、誰もが当たり前にプールを持つカリフォルニアの日常は、彼にとって描くべき新世界でした。
本作の情景は特定の一場面の写生ではなく、プール施工業者の技術書に載っていた水しぶきの写真と、自身が撮影・スケッチしていた建物のイメージを組み合わせて構成されたものです。見たままのようでいて、実は周到に編集された画面である点に、ホックニーの方法の核心があります。
見どころ|二週間かけて描かれた「一瞬」

本作の最大の逸話は、コンマ数秒しか存在しない水しぶきを、ホックニーが約2週間かけて小筆で丹念に描いたことです。彼自身、瞬間的な出来事を長い時間をかけて描くというこの倒錯を面白がっていたと語っています。カメラなら一瞬で凍結できる現象を、あえて絵画の遅い時間で作り上げる。ここには、写真の時代における絵画の存在意義という、ホックニーが生涯考え続けるテーマが早くも顔を出しています。
画面の構成も徹底しています。空、壁、テラス、水面はローラーで塗られた平坦な色面に還元され、余白のような広いフレーム(塗り残しの縁)が画面を縁取ります。垂直の椰子と水平の建物が作る静的な格子のなかで、有機的な形をもつのは水しぶきだけ。動と静、瞬間と永遠の対比が、almost無音の緊張感を生んでいます。
そして誰もいないこと。飛び込み台のしなりと水しぶきは直前まで人がいたことを証すのに、その人物は永遠に水面下に隠されたままです。この不在が、明るい楽園の絵に奇妙な余韻と物語性を与え、鑑賞者の想像を誘い続けてきました。
評価と影響
《大きな水しぶき》は、ポップ・アートの時代精神とホックニー個人の資質が最も幸福に結びついた作品として、20世紀後半の絵画を代表する一枚に数えられています。1974年にはホックニー自身を追ったドキュメンタリー映画の題名にもなり、2015年前後の大規模回顧展を経て、カリフォルニアのプールを描いた一連の作品は現代美術市場でも最高水準の評価を受けるに至りました。広告、映画、写真、イラストレーションに与えた視覚的影響は計り知れず、「カリフォルニアの光」のイメージそのものを、この絵が作ったとさえいわれます。
まとめ
《大きな水しぶき》は、一瞬を描くために長い時間を費やすという逆説の上に成り立った絵画です。人物の不在、編集された現実、写真と絵画の緊張関係。明快でポップな見た目の奥に、絵画とは何かという問いを静かに沈めている点にこそ、この作品が半世紀を超えて見飽きられない理由があります。

