《松島図屏風(英:Waves at Matsushima)》は、江戸時代初期に活躍した絵師・俵屋宗達が1620年代に手がけた六曲一双の屏風絵で、現在はワシントンD.C.のフリーア美術館に所蔵されている。金地に映える松と荒波を描いたこの屏風は、20世紀初頭にアメリカへ渡り、マティスやクリムトといった西洋の画家たちにも影響を与えたとされる。今回はこの屏風がどうやって日本からアメリカへ渡ったのか、そしてその名前の意外な由来について見ていく。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | 俵屋宗達(生没年不詳、1600年ごろ〜1643年ごろ活動) |
| 制作年 | 1620年代 |
| 技法・素材 | 紙本着色、金銀泥 |
| サイズ | 各166×369.9cm(六曲一双) |
| 所蔵 | フリーア美術館(ワシントンD.C.) |
| 収蔵番号 | F1906.231-232 |
一言でいうと
金色の地に打ち寄せる荒波と、そこに根を張る松の木。特定の景色を写したわけではないのに「松島」と呼ばれ、日本の海の恵みと安寧という普遍的なイメージを凝縮した屏風。
制作背景
堺の禅寺のために描かれた屏風
この屏風は、大阪府堺市の祥雲寺という禅宗寺院に、江戸時代を通じて伝わっていたとされる。この寺は有力な海運商人によって建立されたと考えられており、1620年代の寺の開山を祝う目的でこの屏風が依頼された可能性が指摘されている。
「松島」という名は後付けだった
興味深いことに、この屏風は特定の地理的な場所を描いたものではない。「松島」という名前が付けられたのは20世紀初頭になってからのことで、実際には海の恵みと、無事に港へ帰るという願いを象徴する、日本古来の普遍的な図像を呼び起こすものだとされている。
チャールズ・ラング・フリーアによる購入
1906年、デトロイトの実業家であり美術収集家だったチャールズ・ラング・フリーアが、来訪した美術商との「かなり骨の折れる」交渉の末、この屏風を5000ドルで購入した。当初の言い値は1万ドルだったが、フリーアはこれを半額にまで値切ったという。彼はこの屏風を当初、自宅のあるデトロイトに飾っていた。
マティスとクリムトへの影響
この屏風は1913年、ある展覧会に出品されたことをきっかけに広く知られるようになり、アンリ・マティスやグスタフ・クリムトにも影響を与えたとされる。1947年に東京の美術館でマティスの作品と並べて展示された際には、両者の様式の類似性に鑑賞者たちが驚いたと伝えられている。
見どころ

金地に根を張る松
右隻には、荒々しい岩から力強く枝を伸ばす松の木が描かれている。金箔の輝きを背景に、緑の松葉と褐色の幹が力強い存在感を放っている。
デザイン化された荒波
画面全体を覆う波の文様は、写実的な描写というより、抽象的で装飾的なデザインとして表現されている。銀泥による波頭の輝きが、金地の背景と呼応しながら、画面全体に動きとリズムを生み出している。
「橋」と呼ばれる岩の連なり
左隻には、海面から突き出た岩々が連なって描かれ、まるで橋のようなシルエットを作り出している。この岩の造形もまた、実在の地形の写生というより、宗達独自のデザイン感覚によって再構成されたものだ。
「法橋」の号を示す落款
宗達はその芸術的な功績によって、僧侶に准じる名誉称号「法橋」を授かっており、この屏風の落款にもその号が記されている。町人出身の絵師でありながら、後年には宮中のためにも制作を手がけるようになった彼の経歴が、この署名に刻まれている。
実際に見るには
本作はワシントンD.C.のフリーア美術館(現・国立アジア美術館)に所蔵されている。同館の「琳派の屏風」展示室で見ることができ、宗達の現存する屏風作品6組のうちの1組として、高い評価を受けている。
よくある誤解
この屏風はしばしば「宮城県松島の実景を描いた作品」として紹介されがちだが、実際には特定の地理的な場所を写したものではなく、後世になって「松島」という名が与えられただけである。日本の海にまつわる普遍的なイメージを凝縮した作品として見ることで、この屏風の本来の意図がより正しく伝わってくる。
FAQ
Q. 《松島図屏風》はどこで見られますか?
ワシントンD.C.のフリーア美術館に所蔵されている。
Q. なぜ「松島」という名前がついているのですか?
20世紀初頭に便宜的に付けられた名前で、実際には特定の景勝地を描いたものではないとされている。
Q. この屏風はもともとどこにあったのですか?
大阪府堺市の祥雲寺に伝わっていたとされ、寺の開山を祝う目的で依頼された可能性がある。
Q. どのようにしてアメリカへ渡ったのですか?
1906年、収集家チャールズ・ラング・フリーアが日本の美術商との交渉の末、5000ドルで購入した。
Q. この屏風は西洋美術にどんな影響を与えましたか?
1913年の展覧会をきっかけに広く知られるようになり、アンリ・マティスやグスタフ・クリムトに影響を与えたとされている。
まとめ
《松島図屏風》は、特定の景色を描いたわけではないにもかかわらず「松島」という名で親しまれるようになった、宗達ならではのデザイン性に富んだ屏風だ。堺の寺から太平洋を越えてワシントンD.C.へとたどり着いたその旅路もまた、この屏風が持つ普遍的な魅力を物語っている。
