《アレクサンダー大王の戦い》(独:Alexanderschlacht)は、ドイツの画家アルブレヒト・アルトドルファーが1529年に手がけた油彩画で、現在はミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されています。紀元前333年、アレクサンドロス大王がペルシア王ダレイオス3世を打ち破ったイッソスの戦いを描いたこの作品は、ルネサンス期の風景画としては前例のない壮大さで知られています。この記事では、この絵に込められた同時代への暗示と、後にナポレオンの手に渡ることになった数奇な経緯を見ていきます。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | アルブレヒト・アルトドルファー(1480年ごろ〜1538) |
| 制作年 | 1529年 |
| 技法・素材 | 油彩・板 |
| サイズ | 158.4×120.3cm |
| 所蔵 | アルテ・ピナコテーク(ミュンヘン) |
| 依頼主 | バイエルン公ヴィルヘルム4世 |
一言でいうと
《アレクサンダー大王の戦い》は、紀元前の古代の戦いを描きながら、無数の兵士を緻密に描き込んだ戦場と、宇宙的とも呼べるほど壮大な風景表現とを一つの画面に同居させた作品です。当時のヨーロッパがオスマン帝国と対峙していた緊張感も、この絵には静かに重ね合わされています。
制作背景
バイエルン公からの依頼
本作は、バイエルン公ヴィルヘルム4世の依頼によって制作されました。ヴィルヘルム4世はこの絵を歴史に残る傑作とみなし、自らが暮らすミュンヘンに展示するよう定めています。
オスマン帝国との戦いへの暗示
現代の評論家たちは、本作がアレクサンドロスの英雄的な勝利を、当時のヨーロッパ諸国とオスマン帝国との戦いに重ね合わせたものだと考えています。とりわけ、本作が完成したのと同じ1529年に起きた第一次ウィーン包囲でのスレイマン1世の敗北が、アルトドルファーに大きな着想を与えたと推測されています。画面を覆う異様な空の表現には、『ダニエル書』の予言や、当時の人々が抱いていた終末への不安が反映されているとも言われています。
見どころ

数万に及ぶ兵士たちの群像
画面には、槍を掲げる歩兵や騎馬兵たちが、うねるような大群となって描き込まれています。目を凝らすと、両軍の兵士一人ひとり、馬の一頭一頭までもが実に緻密に、整然と描き分けられていることが分かります。画面中央には、三頭立ての馬車で逃げるダレイオス3世と、槍を手にそれを追うアレクサンドロスの姿が確認できます。
宇宙的な広がりを持つ風景
兵士たちの群れから目を遠方に移すと、山々や海、地中海に浮かぶ島々までもが見晴らせる、壮大な風景表現が広がっています。画面左上には三日月が、右上には雲間から差し込む光り輝く太陽が描かれており、これはそれぞれペルシア(東方)とアレクサンドロス(西方)を象徴していると解釈されています。
天から吊るされた銘文
画面上部には、この戦いの詳細を記した銘文が掲げられています。ラテン語で「アレクサンダー大王はダレイオスを打ち破り、10万を超えるペルシア歩兵と1万を超える騎兵を戦場で殺害した。一方ダレイオスは1000人に満たない騎兵とともに逃亡し、その母、妻、子どもたちは捕虜となった」という趣旨の文章が記されています。この文章はもともとドイツ語で書かれていたものが、のちにラテン語へと書き換えられたとされ、ヴィルヘルム宮廷の歴史家ヨハネス・アヴェンティヌスが考案したのではないかとも言われています。
来歴 — ナポレオンの浴室に掛けられた名画
本作は何世紀ものあいだバイエルン公のコレクションとして受け継がれ、18世紀後半までシュライスハイム城のギャラリーに展示されていました。しかし1800年、ナポレオンの大陸軍によって奪われた72点の美術品の一つとしてパリへ移送されてしまいます。1804年までルーヴル美術館に保管されたのち、ナポレオンが皇帝に即位した際、彼個人の所有物となりました。アレクサンドロス大王を崇拝していたことで知られるナポレオンは、この絵を自らの浴室に掲げていたと伝えられています。1814年、対仏大同盟軍によるパリ陥落にともない、プロイセンがこの絵を奪還し、以来ミュンヘンのアルテ・ピナコテークに収められています。
実際に見るには
本作はドイツ・ミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されています。ヴィルヘルム4世が所有していた本作を含む5点の作品群が同館にまとまって展示されており、あわせて鑑賞することでこの時代のバイエルン公室の美術への関心の高さを知ることができます。
よくある誤解
本作はしばしば「単なる古代の戦争を描いた歴史画」として片づけられがちですが、実際には当時のヨーロッパとオスマン帝国との緊張関係、さらには終末への宗教的な不安までもが重ね合わされた、きわめて象徴的な作品です。またこの絵がナポレオンの個人的な所有物となり、浴室に掲げられていたという逸話も、名画がたどった数奇な運命として見逃せないポイントです。
FAQ
Q. 《アレクサンダー大王の戦い》はどんな出来事を描いていますか?
紀元前333年、アレクサンドロス大王がペルシア王ダレイオス3世を打ち破ったイッソスの戦いを描いています。
Q. なぜこれほど壮大な風景が描かれているのですか?
古代の戦いを描きながら、当時のヨーロッパとオスマン帝国との戦いや終末への不安を重ね合わせる、象徴的な意図があったと考えられています。
Q. 画面上部の三日月と太陽には何の意味がありますか?
三日月はペルシア(東方)を、太陽はアレクサンドロス(西方)を象徴していると解釈されています。
Q. この絵はナポレオンとどんな関係がありますか?
1800年に大陸軍によってパリへ移送され、ナポレオンが皇帝に即位した際に個人の所有物となり、浴室に掲げられていたと伝えられています。
Q. 現在この絵はどこにありますか?
ドイツ・ミュンヘンのアルテ・ピナコテークに所蔵されています。
まとめ
《アレクサンダー大王の戦い》は、古代の戦いを描きながら、当時のヨーロッパが直面していたオスマン帝国との緊張関係や終末への不安までも重ね合わせた、きわめて重層的な作品です。ナポレオンの浴室に掲げられていたという逸話も含め、この一枚がたどってきた数奇な運命そのものが、名画としての重みを物語っています。
