《川辺の浴女たち》(仏:Les Demoiselles à la rivière)は、フランスの画家アンリ・マティスが1909年から1917年にかけて、実に8年もの歳月をかけて描き上げた油彩画で、現在はシカゴ美術館に所蔵されています。当初は牧歌的な楽園の情景として構想されたこの絵は、制作を重ねるなかでまったく異なる姿へと変貌を遂げました。この記事では、なぜこれほど長い時間がかかったのか、そしてその過程で何が失われ、何が生まれたのかを見ていきます。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | アンリ・マティス(1869〜1954) |
| 制作年 | 1909〜1917年(断続的に8年) |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 261×392cm |
| 所蔵 | シカゴ美術館(アメリカ) |
一言でいうと
《川辺の浴女たち》は、当初は牧歌的な楽園の情景として構想されながら、8年の制作期間を経るうちに、流れるような曲線を持つ裸婦像から、幾何学的で抑制された抽象的な人物像へと大きく姿を変えていった作品です。
制作背景
ロシアの収集家からの依頼と挫折
本作はもともと、ロシアの美術収集家セルゲイ・シチューキンからの依頼を受けて構想されました。当初の構想は「アルカディア的な安らぎの情景」というもので、1909年から制作が始まっています。しかしシチューキンは、この絵の初期段階の水彩習作を目にして依頼を取り下げてしまいます。
8年にわたる断続的な制作
依頼主を失ったのちも、マティスはこのカンヴァスに向き合い続けました。1910年、1913年、1916年と断続的に手を加え、最終的に1917年秋にようやく完成させています。この制作期間は、彼が同時期に手がけた《ピアノのレッスン》や《モロッコ人》とともに、第一次世界大戦のヴェルダンの戦いの時期と重なっており、当時の重苦しい時代の空気が作品にも影を落としていると考えられています。
見どころ

曲線から直線への変容
美術史家ジョン・エルダーフィールドの観察によれば、制作初期には流れるような曲線で描かれていた女性の身体は、幾度もの描き直しを経て、次第に直線的で抽象的な線へと変わっていきました。最終的には画面全体が幾何学的な構成へと還元されています。近年のX線などの技術による分析でも、完成画の下には初期の柔らかな描写の痕跡が「亡霊」のように残されていることが確認されています。
4つの帯に分割された画面
完成した画面は、左から縞模様や葉の意匠、緑の茂み、黒、そして淡い色調へと続く、垂直に区切られた色面によって構成されています。裸婦たちの身体は顔立ちがほとんど省略され、記念碑的な存在感を持つ人物像として描かれており、初期のフォーヴィスム的な鮮やかさとは対照的な、抑制された重厚さをたたえています。
試行錯誤の痕跡そのものが主題に
本作は、単に完成した一枚の絵としてだけでなく、8年にわたる制作過程そのものが作品の意味の一部になっています。2010年にニューヨーク近代美術館で開催された「マティス:1913年から1917年間の過激な創造」という展覧会では、こうした技術分析による変遷の解明が大きな見どころとして紹介されました。
来歴
本作は画商ポール・ギヨームの手を経て、1934年からはジャン・ヴァルテールが、1951年からは収集家ヘンリー・パールマンが所有し、1953年からシカゴ美術館の所蔵品となっています。
実際に見るには
本作はアメリカ・シカゴのシカゴ美術館に所蔵されています。260センチを超える大画面のため、実際に間近で見ることで、色面の重なりと筆致の痕跡をより深く感じ取ることができます。
よくある誤解
本作はしばしば「マティスらしい鮮やかな色彩の楽園画」として紹介されがちですが、実際には制作過程で当初の牧歌的な構想から大きく離れ、抑制された色調と幾何学的な構成へと変貌を遂げた作品です。8年という長い制作期間のあいだに、マティス自身の画風がどれほど大きく揺れ動いていたかを踏まえて鑑賞する必要があります。
FAQ
Q. なぜ制作にこれほど長い年月がかかったのですか?
1909年に着手されたのち、1910年、1913年、1916年と断続的に手が加えられ、1917年にようやく完成したためです。
Q. 依頼主はなぜこの絵を受け取らなかったのですか?
依頼主のセルゲイ・シチューキンが、初期段階の水彩習作を見て依頼を取り下げたためです。
Q. 完成画の下に何か痕跡は残っていますか?
X線分析により、初期の柔らかな曲線的描写の痕跡が下層に残っていることが確認されています。
Q. この時期のマティスは何を経験していましたか?
第一次世界大戦のヴェルダンの戦いと同じ時期に、本作を含む重厚な作品群を手がけていました。
Q. 現在この絵はどこにありますか?
アメリカのシカゴ美術館に所蔵されています。
まとめ
《川辺の浴女たち》は、8年という長い歳月のなかで当初の構想から大きく姿を変えていった作品です。曲線から直線へ、鮮やかさから抑制された重厚さへと移り変わったその過程こそが、この一枚が持つもっとも興味深い物語だといえます。
