《風神雷神図屏風》は、江戸時代初期の画家・俵屋宗達が手がけた二曲一双の屏風絵で、京都・建仁寺に伝わる国宝です。金地の大画面に、白い風神と緑の雷神が左右から向き合うように配置されたこの作品は、日本美術史上もっともよく知られた図像の一つであり、後世の画家たちによって幾度も模写され続けてきました。この記事では、この二神がどこから生まれた図像なのか、そして200年にわたって受け継がれた模写の系譜を見ていきます。
《風神雷神図屏風》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | 俵屋宗達(生没年不詳、17世紀前半) |
| 制作年 | 17世紀 |
| 技法・素材 | 紙本金地著色・二曲一双屏風 |
| サイズ | 各縦154.5×横169.8cm |
| 所蔵 | 建仁寺(京都)・京都国立博物館寄託 |
| 指定 | 国宝(1952年指定) |
| 主題 | 風神と雷神 |
一言でいうと
《風神雷神図屏風》は、もともと物語絵巻の一場面にすぎなかった風神と雷神という脇役の神々を、物語から切り離し、金地の大画面のなかに解き放つことで、二神そのものを画面の主役へと昇格させた作品です。この大胆な構図の転換こそが、宗達の独創性の核心にあります。
制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか
天神縁起絵巻からの引用
本作の図様の原案は、鎌倉時代から描き継がれてきた「北野天神縁起絵巻」にあります。この絵巻には、清涼殿への落雷という劇的な場面が描かれており、そこに登場する風神・雷神の姿を、宗達は物語の文脈からそのまま引き抜き、金地の大画面へと単独で配置し直しました。物語を語るための脇役だった二神を、絵巻から独立させて画面全体の主題に据えたところに、宗達の斬新な発想があります。
落款も印章もない作品
本作には作者を示す落款も印章も残されていません。それでもなお、本作が俵屋宗達の手によるものであることを疑う研究者はいないとされ、様式的な特徴からその作者が確実視されています。
見どころ徹底解説

対峙する風神と雷神
向かって右隻には白い肌の風神が、左隻には緑の肌の雷神が描かれ、互いに画面の中央へ向かって迫るように配置されています。風神は風の袋を担ぎ、雷神は太鼓の輪を背負い、いずれも躍動感あふれる姿態でとらえられています。画面中央には大きな余白が広がっており、この空白こそが二神のあいだの緊張感と、金地の輝きを最大限に生かす仕掛けになっています。
金地がもたらす非現実的な空間
背景には具体的な風景や雲の描写がほとんどなく、ただ金地が広がるのみです。この徹底した省略によって、二神は特定の時間や場所から切り離され、抽象的で永遠性を帯びた存在として立ち現れています。
光琳・抱一へと受け継がれた模写の系譜
本作は、のちの琳派を代表する画家たちによって繰り返し模写されてきました。18世紀、尾形光琳が宗達本を模写した《風神雷神図屏風》(東京国立博物館蔵、重要文化財)を手がけ、さらに19世紀、酒井抱一が光琳本を模写した《風神雷神図屏風》(出光美術館蔵)を制作しています。直接の師弟関係を持たない3人の画家が、時代を隔てて互いを慕い模範として学び合う「私淑」という形で本作を引き継いでいったことから、この3作品は琳派という画系の継承を最も端的に示す象徴的な存在とされています。
抱一の模写は、宗達本や光琳本そのものではなく、写本などを介して制作されたためか、描写にやや不安定な部分も見られると指摘されています。しかし抱一の屏風には特筆すべき点があります。この金屏風の裏面には、天上の神々から風雨を受けて地上で揺らめく草花を描いた《風雨草花図(夏秋草図屏風)》が描かれており、これは光琳の《風神雷神図》に対する抱一なりの「返歌」の意味合いを込めた、風雅な趣向だと考えられています。
実際に見るには
宗達筆の原本は建仁寺に伝わる国宝で、現在は京都国立博物館に寄託されています。光琳の模写は東京国立博物館に、抱一の模写は出光美術館にそれぞれ所蔵されており、過去には3作品が一堂に会する展覧会も開催されました。3人の筆致の違いを見比べることで、同じ図様がいかに画家ごとの個性によって描き分けられているかを実感できます。
よくある誤解
本作はしばしば「宗達のオリジナルの発想による作品」として語られがちですが、実際には天神縁起絵巻という既存の図像から風神・雷神の姿を引用し、それを大胆に再構成したものです。ゼロから生み出された図像ではなく、既存のモティーフを大胆に切り出し、新しい文脈へと置き直した宗達の編集的な創造力にこそ、本作の独創性があります。
FAQ
Q. 《風神雷神図屏風》は誰が描いた作品ですか?
17世紀前半に活躍した俵屋宗達の作とされていますが、落款や印章は残されていません。
Q. 風神と雷神の図様はどこから来ていますか?
「北野天神縁起絵巻」に描かれた清涼殿への落雷の場面に登場する風神・雷神の姿から引用されたと考えられています。
Q. なぜ模写が繰り返されたのですか?
直接の師弟関係を持たない琳派の画家たちが、互いを慕い模範として学び合う「私淑」という関係のなかで、本作が画系継承の象徴として受け継がれていったためです。
Q. 光琳と抱一の模写はどこにありますか?
光琳の模写は東京国立博物館に、抱一の模写は出光美術館にそれぞれ所蔵されています。
Q. 抱一の屏風の裏には何が描かれていますか?
天上の神々から風雨を受けて揺らめく草花を描いた《風雨草花図(夏秋草図屏風)》が描かれています。
まとめ
《風神雷神図屏風》は、物語の脇役だった二神を金地の大画面に解き放つという大胆な発想によって、日本絵画史に残る図像を生み出した作品です。宗達から光琳、抱一へと200年近くにわたって受け継がれた模写の連なりそのものが、この一枚がいかに後世の画家たちを魅了し続けてきたかを物語っています。
