《女史箴図》(じょししんず)は、中国東晋時代の画家・顧愷之(こがいし)の作と伝えられる絵巻物で、現在はロンドンの大英博物館に所蔵されています。宮中に仕える女官の心得を説いた文章「女史箴」に基づいて描かれたこの絵巻は、中国絵画史の出発点を語るうえで欠かせない作品でありながら、義和団の乱の混乱のなかで流出し、異国の地で保管され続けるという数奇な運命をたどってきました。この記事では、この絵がどのような文章をもとに描かれたのか、そしてどのようにして大英博物館にたどり着いたのかを見ていきます。
《女史箴図》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 伝承筆者 | 顧愷之(4世紀末〜5世紀初、東晋) |
| 制作年 | 現存本は唐代の模本とされる |
| 技法・素材 | 絹本・墨画淡彩(巻物) |
| サイズ | 349.3×24.8cm(大英博物館本) |
| 所蔵 | 大英博物館(ロンドン) |
| 原典 | 張華「女史箴」 |
一言でいうと
《女史箴図》は、宮中の女性たちに徳を説いた戒めの文章を、具体的な物語の場面として絵画化することで、抽象的な教訓を親しみやすく伝えようとした作品です。同時に、道徳的な説教を描きながらも、鏡に向かう貴婦人の美しい姿など、感覚的な魅力にあふれた場面が数多く含まれている点も見どころです。
制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか
悪政への諫言として書かれた「女史箴」
本作の原典となった「女史箴」は、西晋の重臣・張華によって書かれた文章です。当時の西晋では、暗愚な恵帝のもとで皇后賈南風が権力を握り、嫉妬深く残忍な振る舞いによって朝廷を混乱させていました。張華はこの状況を憂い、古代の徳ある皇后や妃たちの行いを称える文章を著すことで、遠回しに時の権力者を諫めようとしたのです。
物語として視覚化する試み
「女史箴」の文章は11の段落から成り、顧愷之はそれぞれの内容に対応する場面を絵として描き添えました。抽象的な道徳の教えを、具体的な人物の物語として視覚化することで、より分かりやすく人々に伝えようとする狙いがあったと考えられています。
見どころ徹底解説


熊に立ち向かう馮婕妤
見どころの一つに、皇帝を守るため猛獣の熊に自ら立ち向かう馮婕妤(ふうしょうよ)の場面があります。恐れることなく危険に飛び込むその姿は、忠義と勇気を体現する場面として描かれています。
輿を辞退する班婕妤
漢の成帝から同乗を勧められた班婕妤(はんしょうよ)が、それを辞退する場面も描かれています。寵愛を求めるのではなく、礼節をわきまえた振る舞いを貫く彼女の姿が、理想的な女性像として提示されています。
鏡に向かう女性という逆説的な場面
とりわけ印象的なのが、「人咸知修其容、莫知飾其性(女はみな自分の容貌を整えることは知っているが、自らの徳性を磨くことは知らない)」という戒めの一節に対応する場面です。ここで顧愷之は、鏡に向かって化粧をする美しい貴婦人の姿を描いています。見る者の視線はつい鏡に映る艶やかな容貌に引き寄せられてしまいますが、この場面が本来伝えようとしているのは、外見の美しさよりも徳を重んじるべきだという教訓です。教訓を視覚化する技法が、かえって感覚的な魅力を生み出してしまうという逆説が、この場面の面白さになっています。
来歴 — 円明園から大英博物館へ
現存する《女史箴図》の最古の模本は唐代に制作されたとされ、清朝の宮廷コレクションに収められていました。しかし1900年、義和団の乱に際して北京に進攻した八カ国連合軍によって、本作は頤和園から流出します。イギリス軍将校クラレンス・A・K・ジョンソンによってロンドンへ持ち帰られ、1903年、わずか25ポンドで大英博物館に売却されました。
大英博物館は本作を、日本の折屏風のような形式で額装し直しましたが、この処置については、中国の書画鑑蔵の伝統を踏まえない西洋的な手法だとして、明清時代の文人による跋文の多くが失われたことも含め、批判の声が上がっています。現存する大英博物館本には、もともと12段あったとされる場面のうち9段が残っています。
もう一つの模本
北京の故宮博物院には、南宋時代に制作されたとされる別の模本が所蔵されています。芸術性では大英博物館本にやや劣ると評価されることが多いものの、大英博物館本より2段多い11段が完全な形で残っており、《女史箴図》の原本の姿や伝来を知るうえで貴重な資料となっています。
実際に見るには
大英博物館本は、絹地が光に弱く傷みやすいため、常時展示されているわけではなく、特別な機会に限って公開されています。BBCが選ぶ「100のモノが語る世界の歴史」にも選出されるなど、世界的にその価値が認められた作品です。故宮博物院の模本とあわせて、両者の違いを見比べることで、原本がどのような姿だったのかを想像する手がかりが得られます。
よくある誤解
本作はしばしば「顧愷之の真筆」として紹介されがちですが、現存する大英博物館本は唐代末から宋代初頭にかけての模本である可能性が高いというのが現在の主流の見解です。顧愷之自身の真筆は現存しておらず、本作はあくまで彼の画風を伝える最古の模本という位置づけであることを踏まえて鑑賞する必要があります。
FAQ
Q. 《女史箴図》は何をもとに描かれた絵ですか?
西晋の重臣・張華が著した戒めの文章「女史箴」をもとに、その内容を場面ごとに絵画化したものです。
Q. 本当に顧愷之が描いたのですか?
現存する大英博物館本は、唐代末から宋代初頭にかけての模本である可能性が高いとされ、顧愷之自身の真筆とは考えられていません。
Q. なぜ大英博物館に所蔵されているのですか?
1900年の義和団の乱の混乱のなかで頤和園から流出し、イギリス軍将校によってロンドンへ持ち帰られ、1903年に大英博物館へ売却されたためです。
Q. 鏡に向かう女性の場面にはどんな意味がありますか?
外見を整えることばかりに気を取られ、内面の徳を磨くことを忘れがちな人間の姿を戒めた場面です。
Q. 他に模本はありますか?
北京の故宮博物院に、南宋時代の模本が所蔵されており、大英博物館本より多くの場面が残っています。
まとめ
《女史箴図》は、宮中の女性への戒めという道徳的な文章を、具体的な物語として視覚化することで、教訓と感覚的な魅力を同時に成立させた作品です。義和団の乱を経て異国の地にたどり着いたその来歴もまた、この絵巻が歩んできた歴史の重みを物語っています。
