ニューヨークのメトロポリタン美術館に、縦長の2枚の板絵が並んで展示されている。《キリスト磔刑と最後の審判(英:The Crucifixion; The Last Judgment)》と呼ばれるこの作品は、初期フランドル絵画を代表する画家ヤン・ファン・エイクとその工房が15世紀前半に手がけたものだ。長らく「対をなす二連画」として扱われてきたが、近年の技術調査によって、実はその成り立ち自体が謎に包まれていることが明らかになってきた。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ヤン・ファン・エイク(1390年頃〜1441)および工房 |
| 制作年 | 1440〜41年頃 |
| 技法・素材 | 油彩(板からカンヴァスへ移し替え) |
| サイズ | 各56.5×19.7cm |
| 所蔵 | メトロポリタン美術館(ニューヨーク) |
三連画の失われた中央部だったのか
この作品は1933年、メトロポリタン美術館が二連画として購入して以来、そのように扱われてきた。ところが2016年に同館が開いた調査展示「ファン・エイクの傑作を新たに見る」では、赤外線反射法による下絵の分析や額縁そのものの科学調査を通じて、実はこの2枚が当初から対をなす二連画として構想されたものではなかった可能性が浮かび上がった。むしろ、いまは失われてしまった中央部を持つ三連画の両翼か、あるいは聖遺物箱・聖遺物容器の扉として作られたのではないかという説が有力視されている。
この調査では、ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が新たに取得した、ファン・エイク作とされる「磔刑」の素描との関連も検討された。この素描はメトロポリタン美術館の《磔刑》とよく似た構図を持ちながら、細部にいくつかの違いがあり、両者がどのような順序で描かれたのかは今なお研究者のあいだで議論が続いている。
さらに、額縁のX線調査によって、ラテン語の聖書引用に加え、中世オランダ語(中期オランダ語)による断片的な文字が新たに発見された。この発見をもとにした近年の研究では、この2枚がブリュッセルの聖ミカエル・聖グドゥラ教会に安置されていた「奇跡の血のホスチア」という聖遺物への信仰と関わっていた可能性が指摘されている。
ブルゴーニュ公の宮廷画家として
ファン・エイクは、ブルゴーニュ公フィリップ善良公の宮廷画家として仕えた人物で、その技量は主君からも高く評価されていたと伝えられている。1426年には外交使節としてイタリアや聖地への旅に同行しており、この旅を通じて得た経験が、《磔刑》の背景に描かれた写実的な山岳風景に生かされているとされる。
見どころ

十字架にかけられた3人の姿
左側の《磔刑》では、中央のキリストと、その左右で処刑される2人の盗賊の姿が描かれている。背景には、実在しない理想化されたエルサレムの街並みが広がり、雪を頂いた山々がその奥に続いている。
群衆に見る多様な感情表現
十字架の周囲には、無関心な様子で談笑する騎馬の兵士たちから、悲嘆に暮れる聖母マリアとその周囲の女性たちまで、実に幅広い感情表現を持つ人物たちが描き込まれている。近年の研究では、この群衆表現が当時の反ユダヤ的な図像伝統とどう関わっていたのかについても、慎重な再検討が進められている。
天上のキリストと審判の情景
右側の《最後の審判》では、画面最上部の虹の上に座すキリストを中心に、聖母マリアと洗礼者ヨハネが両脇でとりなしを行い、その下に無数の聖人と選ばれし者たちが並んでいる。トランペットを吹く天使たちが、審判の到来を告げる場面として描かれている。
骸骨の翼が形づくる地獄の口
画面下部には、翼を広げた骸骨(死の擬人像)が横たわり、その肋骨と翼のあいだから、罪人たちが無数の悪魔とともに責め苦を受ける地獄の光景がひしめき合っている。この執拗なまでに緻密な地獄描写は、後のヒエロニムス・ボスの作品を予感させるものとして、しばしば言及される。
実際に見るには
本作はニューヨークのメトロポリタン美術館の常設コレクションで見ることができる。近年の技術調査の成果を踏まえた解説も館内で提供されており、単に絵画として鑑賞するだけでなく、この2枚がそもそも何のために作られたのかという謎そのものを楽しむことができる展示になっている。
FAQ
Q. 《キリスト磔刑と最後の審判》はどこで見られますか?
ニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されている。
Q. なぜ「本当に二連画だったのか」が問題になっているのですか?
額縁や下絵の技術調査により、この2枚が失われた中央部を持つ三連画の両翼、あるいは聖遺物容器の扉として作られた可能性が浮上したためである。
Q. ロッテルダムの素描とはどんな関係がありますか?
《磔刑》とよく似た構図を持つファン・エイク作とされる素描で、両者の制作順序や関係性が現在も研究されている。
Q. 額縁からは何が見つかったのですか?
X線調査により、ラテン語の聖書引用に加え、中世オランダ語による断片的な文字が新たに発見された。
Q. ファン・エイクはどんな画家でしたか?
ブルゴーニュ公フィリップ善良公に仕えた宮廷画家で、初期フランドル絵画を代表する存在として知られる。
まとめ
《キリスト磔刑と最後の審判》は、長らく単純な二連画として扱われてきたが、近年の科学調査によって、その本来の姿がむしろ大きな謎として浮かび上がってきた1枚だ。緻密な群衆表現と地獄の情景を前にすると、ファン・エイクの卓越した技量以上に、この作品がそもそも何のために、どんな形で作られたのかという、いまだ解かれきらない問いの重さが際立ってくる。
