「完成」という言葉が、必ずしもすべての名画にふさわしいとは限らない。何年もかけて手を加え続けた末に画家自身が満足せず筆を置いた絵もあれば、死がその手を止めた絵もある。今回は、そんな「途方もない時間」と分かちがたく結びついた作品を、10点集めてみた。
1. ミケランジェロ《ロンダニーニのピエタ》(1552年頃〜64年、彫刻)

ミケランジェロが死の6日前まで鑿を振るい続けたとされる、生涯最後の彫刻。当初は別の構図で彫り進めていたにもかかわらず、途中で母子の姿を大きく彫り直し、キリストの体の一部を削り取ってやり直した痕跡が、今も像の中に残っている。完成を拒み続けるように形を変え続けたこの作品は、未完成であること自体が、老いた巨匠の内面の探求そのものを物語っている。

2. ポール・セザンヌ《大水浴図》(1898〜1905年頃)
晩年のセザンヌが約7年をかけて取り組みながら、本人が「完成した」と述べることのないまま世を去った大作。三角形に組み上げられた木々と、幾何学的に単純化された裸婦群像は、印象派の一瞬の光を追う絵画から離れ、堅牢な構築物としての絵画を目指したセザンヌの探究の到達点であり、同時に終わりのない探究そのものでもあった。
3. ジョルジュ・スーラ《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884〜86年)
点描技法という制作方法そのものが、途方もない時間を要求する絵である。無数の小さな色点を根気強く打ち続け、約2年をかけて完成させた本作の背後には、構図を練るための油彩・素描の習作が数十点も残されている。一瞬の休日の情景を、これほど周到で長い時間をかけて作り上げたという逆説が、この絵の静謐さの正体でもある。
4. ミケランジェロ「ユリウス2世の墓廟」(1505〜1545年)

当初、ミケランジェロ自身が構想した壮大な独立霊廟は、彫像40体以上を擁する空前の規模でした。しかし依頼主である教皇ユリウス2世の死、資金難、政治情勢の変化により計画は幾度も縮小を余儀なくされ、最終的な完成までに実に40年を要しました。制作の過程で生まれた《瀕死の奴隷》《抵抗する奴隷》などの未完の彫像群は、単体でもミケランジェロの代表作として名高く、「終わらない仕事」がそれ自体傑作を生み落とすという稀有な例となっています。

5. レオナルド・ダ・ヴィンチ《聖アンナと聖母子》(1503年頃〜死去まで)
構想から手元での改変まで10年以上にわたり手を加え続けたとされる作品です。レオナルドは生涯を通じて絵を「完成させて手放す」ことに消極的で、本作も最後まで自らの手元に置き続けたまま、明確な完成宣言のないまま世を去りました。慎重な検討を重ねながら、決して手放そうとしない画家の性格が色濃く表れた一枚です。
6. ティツィアーノ《ピエタ》(1575〜76年)
自らの墓を飾る絵として、老齢のティツィアーノ自身が着手した作品です。しかし完成を見ないまま画家は世を去り、弟子のパルマ・イル・ジョーヴァネが引き継いで仕上げました。師の最後の筆致と弟子による補筆が同居するこの絵は、一人の画家の生涯そのものが「未完」で終わったことを、そのまま画布に刻んでいます。
7. ヤン&フーベルト・ファン・エイク《ヘントの祭壇画》(1420年代〜1432年)
兄フーベルトが着手し、弟ヤンが引き継いで完成させたとされる、初期フランドル絵画を代表する多翼祭壇画です。制作には十数年、しかも画家二代にわたる歳月が費やされました。極めて精緻な油彩技法によって描き込まれた多数のパネルは、一枚の絵というより、ひとつの建築的事業に近い規模とスケールを持っています。
8. グスタフ・クリムト《花嫁》(1917〜18年、未完)
クリムトが取り組んでいた最後の作品のひとつで、1918年、脳卒中による急逝によって画架に置かれたまま未完に終わりました。画面の一部にはまだ下描きの段階の人物が残り、完成した部分の華やかな色彩と、描きかけの素描がそのまま同居する画面は、画家の死がいかに突然だったかを生々しく伝えています。
9. ピート・モンドリアン《勝利のブギウギ》(1942〜44年、未完)
晩年、ニューヨークに移住したモンドリアンが取り組んでいた最後の大作です。色付きのテープを画面に何度も貼っては剥がし、配置を試行錯誤し続ける制作方法そのものが膨大な時間を要し、完成を見ないまま1944年に死去しました。カンヴァスに残されたテープの跡そのものが、思考の途上を留めた記録となっています。
10. エドヴァルド・ムンク《太陽》(1909〜16年、オスロ大学講堂壁画)
ムンクが精神の療養から回復した直後に着手し、オスロ大学創立100周年を飾る講堂壁画のコンペで第一席を獲得した大作です。縦約4.5m、横約7.8mという生涯最大規模の画面に取り組み、完成までに約7年を要しました。長らく暗闇と不安を描き続けてきたムンクが、この長い制作期間を経て光に満ちた画面へとたどり着いたことは、彼自身の回復の歩みとも重なって語られています。
よくある誤解
誤解①未完成の絵は、完成した絵より価値が劣る
ミケランジェロの《ロンダニーニのピエタ》や《奴隷》像のように、未完成であることそのものが、制作過程や画家の思考を生々しく伝える資料として、むしろ高く評価される例は少なくありません。
誤解②長い年月をかけた絵は、その間ずっと同じ状態で描き続けられていた
《猫》(長谷川潾二郎)や《大水浴図》のように、モデルの都合や季節の制約、画家自身の逡巡によって、制作が長期間中断されたり再開されたりを繰り返した末に、ようやく現在の姿にたどり着いた作品も多くあります。

まとめ
途方もない時間をかけられた絵に共通しているのは、画家が「これで良い」という一点に、簡単にはたどり着けなかったという事実です。完成を焦らず、あるいは完成を許されないまま終わった絵の数々は、結果として、絵画とは本来どこまでも書き直しの利く、終わりのない営みなのだということを、静かに物語っています。
