《カムデン・タウンの殺人》とは|シッカートが描いた不穏な連作を徹底解説

《カムデン・タウンの殺人》(英:The Camden Town Murder)は、イギリスの画家ウォルター・シッカートが1908年から1909年にかけて手がけた油彩画の連作で、裸の女性が横たわるベッドのそばに、絶望したようにうつむく男性が座る場面を描いています。ロンドン・カムデン・タウンで実際に起きた猟奇殺人事件と同じ題を与えられたこの連作は、事件そのものを直接描いているわけではないにもかかわらず、強い不穏さを漂わせ、発表当初から大きな論争を呼びました。この記事では、実際の事件との関係と、この絵がなぜこれほどまでに不気味な印象を与えるのかを見ていきます。

目次

《カムデン・タウンの殺人》とは — 基本情報

項目内容
作者ウォルター・シッカート(1860〜1942)
制作年1908〜1909年(全4点の連作)
技法・素材油彩・カンヴァス
主題ベッドに横たわる裸の女性とうつむく男性
関連事件1907年のカムデン・タウン殺人事件

一言でいうと

《カムデン・タウンの殺人》は、実際の殺人事件を直接描写しているわけではないにもかかわらず、そのタイトルによって画面に不穏な緊張感を与えた連作です。凄惨な場面をあからさまに描くよりも、女性が眠っているのか、それとも死んでいるのか判然としない曖昧さこそが、見る者の想像力を強くかき立てています。

制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか

労働者階級の暮らしへの関心

シッカートは1899年に離婚してロンドンに戻ったのち、1905年、自身のアトリエを労働者階級の人々が住むカムデン・タウンに移しました。多くの印象派画家が自然や街の美しい風景を愛したのに対し、シッカートは労働者階級の人々の生々しい暮らしそのものに強く惹かれていました。彼はこの時期より前から、鉄製のベッドに横たわる裸婦を主題とした作品を数多く手がけています。

カムデン・タウン殺人事件

1907年9月11日、シッカートがアトリエを構えていたカムデン・タウンで、娼婦エミリー・ディモックが自宅アパートで殺害されるという事件が発生しました。犯人は性交後、眠っている彼女の喉を切り裂くという残忍な手口で彼女を殺害したとされています。容疑者は裁判で無罪となり、真犯人は結局見つからないまま、この「カムデン・タウン殺人事件」はセンセーショナルな話題として広く報じられました。

事件と直接関係のないタイトル

事件から約1年後、シッカートは1908年から1909年にかけて手がけた4つの作品に、あえて『カムデン・タウンの殺人』という題をつけて発表しました。しかし、そのうちの1点の本来のタイトルは『家賃をどうしよう』というもので、現実に起きた殺人事件とは直接の関係がありませんでした。それにもかかわらず、薄暗い雰囲気を漂わせるこの絵に「殺人」という言葉を含むタイトルを与えることで、画面には実際の凄惨さを上回るほどの不穏なテンションが生まれることになったのです。

見どころ徹底解説

曖昧なままの女性の状態

画面には、裸の女性がベッドに横たわり、その傍らに衣服をまとった男性が絶望したようにうつむいて座る様子が描かれています。女性が眠っているのか、意識を失っているのか、あるいはすでに命を落としているのかは、はっきりとは判別できません。この曖昧さこそが、あからさまな暴力の描写以上に見る者を不安にさせる、本作最大の仕掛けになっています。

想像力を刺激する演出

凄惨な場面を直接描くのではなく、事件を連想させるタイトルと薄暗い室内の雰囲気だけを提示することで、シッカートは鑑賞者自身の想像のなかに恐怖を生み出させています。何が起きたのかを説明しすぎないことによって、かえって不穏さが増幅されるという逆説的な効果が、この連作全体を貫いています。

「切り裂きジャック」との関係をめぐる憶測

シッカートは生前、切り裂きジャック事件に対して極めて強い関心を抱いていたことが多くの証言から知られています。彼が構えていたカムデン・タウンのアトリエ、モーニントン・クレッセント6番地について、シッカート自身が「かつて切り裂きジャックが住んでいた」と考えていたとも伝えられています。本作に先立って手がけられた《切り裂きジャックの寝室》という作品もあり、こうした関心の強さから、のちにアメリカの推理小説作家パトリシア・コーンウェルが巨額の費用をかけて調査を行い、「切り裂きジャックの正体はシッカートである」という大胆な説を主張したことでも知られています。ただし、この説は物証に乏しく、多くの反論も寄せられており、確定的な結論には至っていません。

実際に見るには

《カムデン・タウンの殺人》連作は複数の版が存在し、それぞれ異なる収蔵先に分かれています。ロンドンのコートールド・ギャラリーでは、シッカートが1905年から1913年にかけてカムデン・タウンで手がけた裸婦の作品群を集めた展覧会が開催されたこともあり、こうした機会にまとめて鑑賞することができます。

よくある誤解

本作はしばしば「実際の殺人事件をそのまま描いた作品」として紹介されがちですが、実際には4点のうち少なくとも1点は、事件とは無関係な『家賃をどうしよう』という別のタイトルで構想されていました。あくまで「殺人」という言葉をタイトルに添えることで不穏な効果を狙った、演出上の仕掛けであることを踏まえて鑑賞する必要があります。

FAQ

Q. 《カムデン・タウンの殺人》は実際の事件を描いた絵ですか?
直接描いたものではありません。1907年に実際に起きた殺人事件と同じ題をあえてつけることで、不穏な緊張感を演出した作品です。

Q. なぜシッカートはこの題材を選んだのですか?
以前から鉄製のベッドに横たわる裸婦を主題にしていたシッカートが、近隣で起きた事件をきっかけに、その主題により強い意味合いを持たせようとしたためと考えられています。

Q. シッカートは切り裂きジャックなのですか?
作家パトリシア・コーンウェルがそう主張したことで話題になりましたが、物証に乏しく、多くの反論もあり確定的な結論には至っていません。

Q. 4点の作品はどこで見られますか?
複数の収蔵先に分かれており、ロンドンのコートールド・ギャラリーなどで開催された特別展でまとめて鑑賞できる機会がありました。

Q. 女性は眠っているのですか、それとも死んでいるのですか?
意図的に判然としないまま描かれており、この曖昧さが本作の不穏さを強めています。

まとめ

《カムデン・タウンの殺人》は、実際の事件を直接描くのではなく、タイトルと薄暗い雰囲気だけで見る者の想像力を刺激するという、きわめて効果的な演出によって不穏さを生み出した連作です。事件との距離の取り方そのものにこそ、シッカートという画家の巧みさが表れているといえるでしょう。

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