切り落とされたばかりの生首のまぶたを、指でこじ開けようとする女。その顔にはグロテスクなまでの化粧が施されています。《サロメ》(通称《サロメII》、1900年)は、ドイツの画家ロヴィス・コリントによる油彩画で、ライプツィヒ市立美術館が所蔵しています。ミュンヘン分離派に拒絶され、ベルリン分離派に受け入れられたこの一枚は、コリントの画業における大きな転機となりました。
基本情報
作者:ロヴィス・コリント(1858〜1925)
制作年:1900年
技法・素材:油彩・カンヴァス
サイズ:約127×147cm
所蔵:ライプツィヒ市立美術館(ドイツ)
原案:オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』
経緯:同年、ミュンヘン分離派に拒絶され、ベルリン分離派に受け入れられる
一言でいうと
《サロメ》は、聖書に登場する誘惑的な王女サロメが、ヘロデ王の前でこの上なく官能的な踊りを披露した褒美として、洗礼者ヨハネの首を要求し、その生首のまぶたを開こうとする場面を描いた作品です。ある同時代の批評家は、けばけばしく化粧を施されたサロメが生首のまぶたをこじ開けるこの描写を「とりわけ倒錯的だ」と評しています。
制作背景
この絵の題材は、オスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』に基づいています。ワイルドの戯曲では、サロメが洗礼者ヨハネ(劇中では「ヨカナーン」と呼ばれる)の切られた首に向かって、「なぜわたしを見てくれないの、ヨカナーン。あれほど恐ろしく、怒りと軽蔑に満ちていたあなたの目は、もう閉じられている。なぜ閉じたままなの」と語りかける場面で幕を閉じます。この戯曲の中心にあるのは、欲望と死とが絡み合う倒錯した眼差しの連鎖であり、コリントはこの絵の中で、まさにその視線の連鎖を巧みに描き出しています。
コリントは1891年から1900年までミュンヘンを拠点に活動していましたが、この時期は制作量としてはあまり実り多いものではなく、むしろ大量の赤ワインとシャンパンを飲む豪快さの方で知られていたと伝えられています。この《サロメ》が1900年、ミュンヘン分離派の審査によって拒絶される一方、同じ年、より進歩的だったベルリン分離派には歓迎されて受け入れられました。この経験が、コリントが1901年から翌年にかけてミュンヘンを離れ、ベルリンへと拠点を移す一因になったとされています。
見どころ

視線が織りなす連鎖
サロメの視線は、ヨハネの生首へとまっすぐ注がれています。この絵の緊張感は、単なる残酷な場面の描写にとどまらず、ワイルドの戯曲が突き詰めた「見ること」と「見られること」をめぐる欲望の構造を、絵画という静止した媒体の中に凝縮している点にあります。
けばけばしい化粧の顔
サロメの顔には、過剰なまでの化粧が施されています。この誇張された表現が、彼女の美しさを単なる魅力としてではなく、どこか病的で不穏な色気として印象づけています。
官能と暴力性の同居
この主題は、19世紀末から20世紀初頭にかけての美術や文学で繰り返し取り上げられており、宗教的な題材でありながら、強い性的魅力をも同時に持ち合わせるものでした。コリントもまた、生涯を通じてこのサロメという主題に何度も立ち返っています。
評価と受容
この絵の成功と、ベルリンへの移住を機に、コリントは「肉の画家」という異名で呼ばれるようになり、この評判が彼のベルリンでの活動基盤を確立することになりました。1901年、コリントは正式にベルリン分離派に加わり、翌1902年には女性のための絵画学校を開設し、そこで出会った、自身より20歳ほど年下の教え子シャルロッテ・ベーレントと結婚しています。コリントは後年、マックス・リーバーマン、マックス・スレーフォークトとともに「ドイツ印象派の三巨頭」と称されるようになり、フランス印象派との共通性を持ちながらも、後年には表現主義へと接近していく独自の画風を築き上げました。
よくある誤解
誤解①「コリントはこの一枚しかサロメを描いていない」→ 実際は生涯を通じて複数のバージョンを手がけている
一枚の代表作として語られがちですが、実際にはコリントはこの主題に生涯を通じて何度も立ち返っており、1900年のこの作品以外にも異なる時期に手がけたサロメの作品が複数存在します。
誤解②「この絵はミュンヘンでもベルリンでも同じように受け入れられた」→ 実際は同じ年に拒絶と受容という正反対の評価を受けている
一貫して高く評価されてきたと思われがちですが、実際にはこの絵は1900年、ミュンヘン分離派には拒絶され、その一方でベルリン分離派には歓迎されるという、正反対の評価を同じ年のうちに経験しています。
FAQ
Q. 《サロメ》とはどんな作品ですか?
A. コリントが1900年に手がけた油彩画で、洗礼者ヨハネの首を求めたサロメが、その生首のまぶたを開こうとする場面を描いています。ライプツィヒ市立美術館が所蔵しています。
Q. なぜこの絵はミュンヘンで拒絶されたのですか?
A. その官能的で倒錯的とも評された表現が、当時のミュンヘン分離派の審査基準には受け入れがたいものと判断されたためです。
Q. この絵はコリントの画業にどんな影響を与えましたか?
A. この絵の成功をきっかけに、コリントは「肉の画家」という評判を得て、ベルリンでの活動基盤を確立し、画業の大きな転機を迎えることになりました。
Q. 《サロメ》はどこで見られますか?
A. ドイツ・ライプツィヒのライプツィヒ市立美術館が所蔵しています。
まとめ
一つの都市から拒まれ、もう一つの都市に迎え入れられたこの絵が、結果としてコリントの人生そのものの舵を切ることになりました。ミュンヘンでの豪快な日々に見切りをつけさせたのが、皮肉にも一枚の絵に対する拒絶だったという事実は、芸術家の運命がいかに一枚のカンヴァスによって左右されうるかを物語っています。
