《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》(1896〜98年)は、素朴派の画家アンリ・ルソーが描いた油彩画で、神奈川県箱根町のポーラ美術館が所蔵しています。夕日に染まる空の下、完成してまもないエッフェル塔と、二本の塔を持つトロカデロ宮殿が並ぶパリの景色です。静かで、どこか夢の中のような空気が漂うこの絵は、ルソーが描いた「現代のパリ」を代表する一枚です。
基本情報

作者はアンリ・ルソー(1844〜1910)、制作年は1896〜98年。技法は油彩・カンヴァスで、サイズは49.7×65.5cmです。所蔵はポーラ美術館で、2010年の没後100年記念展では「国内最大のルソー・コレクション」として紹介されました。
制作背景|パリを描いた「日曜画家」
ルソーは、パリで税関の仕事を長く務めたあと、画業に専念した画家です。正式な美術教育を受けず、独学で絵を学びました。そのため「税関吏ルソー」の名で親しまれ、当初は素人の絵として笑われることも少なくありませんでした。
しかし、その純粋で独特な絵は、やがてピカソをはじめとするモンマルトルの前衛画家たちに評価されます。ピカソは、この老画家を深く敬愛していました。ルソーは、熱帯のジャングルを描いた夢幻的な作品と、パリとその近郊の近代的な風景の両方で知られています。本作は後者の代表例です。
描かれたエッフェル塔は、1889年のパリ万国博覧会にあわせて完成した、当時としてはまったく新しい建造物です。画面右に見えるトロカデロ宮殿は、1878年の万博のために建てられた建物で、のちに1937年に取り壊されています。新しい時代の象徴と、すでに過去のものとなった万博の遺産が、一つの画面に並んでいます。
見どころ|夕暮れの空と、細かな葉

画面の上半分を占める空が、まず目を引きます。低い位置に、淡い橙色の太陽が丸く浮かび、その下に、橙、赤、黄、灰色の細い帯が何層にも重なっています。実際の夕焼けを写したというよりも、色の帯を整然と並べたような、静かな美しさです。ちぎれた灰色の雲が、空にゆったりと浮かんでいます。
木々の葉は、小さな筆の跡が丁寧に重ねられています。画面の左では緑と黄土色、右の大きな木では赤茶色が混じり、秋の気配が感じられます。葉の一枚一枚まで手を抜かずに描くルソーの姿勢が、画面から伝わってきます。
エッフェル塔の頂上には、三色旗が小さくはためいています。赤、白、青の小さな旗は、画面の中で一際くっきりとした色の点になっています。
見どころ|静まり返った人と街
画面の手前には、いくつかの人影があります。川には黄色い屋根のついた船があり、その上に立つ人物が見えます。川のほとりには、暗い服に帽子をかぶった人物が、こちらに背を向けて立っています。橋の下には赤い小舟も浮かんでいます。
どの人物も小さく、動きは止まったように静かです。橋の欄干には、街灯が二つずつ並び、アーチの下の水面には夕焼けが映っています。にぎやかなはずの都会の風景が、時間の止まった舞台のように見えるのも、ルソーの絵の魅力です。
画面の右端にある、石像のような大きな塊と、その奥に見える二本の塔を持つ建物が、画面に奥行きをもたらしています。
評価と影響
ルソーの絵は、遠近や比例の「正しさ」とは違う論理で組み立てられています。そのため、現実の風景をそのまま写したものとは違う、不思議な静けさがあります。本作も、パリの名所を描きながら、どこにもない世界のような雰囲気を湛えています。ルソーのパリ風景は、のちの画家たちに、絵に必要なのは写実ではなく、独自のまなざしであることを教えてくれました。
まとめ
《エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望》は、最新の建造物と万博の遺産を描きながら、時間の止まったような静けさを湛えた夕景です。素朴な筆で、一枚一枚丁寧に重ねられた葉と空の帯。ルソーの絵の前に立つと、見慣れたはずのパリが、見たことのない街のように思えてきます。

