一人の人間の思想や行動が、時に何十億もの人々の生き方を変え、何百年にもわたる影響を残すことがあります。この記事では、政治・宗教・科学・思想・芸術という、あらゆる領域から、人類の歩みそのものを変えた人物を30人、古い時代から順に紹介します。
1. 釈迦(ブッダ)
紀元前5〜6世紀頃、インド北部の小王国シャーキャ族の王子として生まれた釈迦は、何不自由ない暮らしを送っていましたが、老い・病・死という人間の苦しみに直面し、29歳で出家しました。6年に及ぶ苦行の末、それでも悟りに至らなかった彼は、苦行を捨てて瞑想に専念し、菩提樹の下で悟りを開いたと伝えられています。彼が説いた「四諦」と「八正道」という教えは、弟子たちを通じてインド全土に広まり、その後アショーカ王の保護を経て、東アジア・東南アジア全域へと伝播しました。今日、世界人口の1割近くが信仰する仏教は、この一人の元・王子の思索から、始まっています。

2. 孔子
紀元前551年頃、中国・魯の国に生まれた孔子は、若くして父を亡くし、貧しい少年時代を過ごしました。諸国を遊説して回るも、生前、自らの理想とする政治を実現する機会には、ほとんど恵まれませんでした。彼の死後、弟子たちがまとめた言行録『論語』は、仁・礼・徳という彼の思想の核心を、後世に伝えることになります。この儒教という思想体系は、2000年以上にわたって中国の科挙制度や官僚のあり方、家族観そのものを規定し続け、朝鮮・日本・ベトナムをはじめとする東アジア諸国の文化的な基盤ともなりました。

3. アレクサンドロス大王
紀元前356年、マケドニア王フィリッポス2世の子として生まれ、13歳の頃、哲学者アリストテレスに師事しました。20歳で王位を継ぐと、ペルシャ帝国への遠征を開始し、わずか10年余りのうちに、エジプトからインド北西部にまで及ぶ、当時の人類史上最大級の帝国を築き上げます。彼が各地に建設した都市「アレクサンドリア」は、ギリシャ文化と現地文化が融合する拠点となり、「ヘレニズム」と呼ばれる新たな文化圏を、生み出しました。紀元前323年、32歳という若さで熱病のため急逝しますが、彼の遠征がもたらした東西文化の交流は、その後何世紀にもわたって、地中海世界とアジアの歴史を形作り続けています。

4. 秦の始皇帝
紀元前221年、それまで戦国時代を通じて争い続けていた中国の諸国を、初めて統一した皇帝です。彼は文字・度量衡・貨幣を統一し、道路網を整備することで、広大な領土を一つの行政システムのもとに、統合しました。北方の異民族の侵入を防ぐため、既存の城壁をつなぎ合わせて築いた防衛線は、後の万里の長城の原型となっています。その厳格な法治主義による統治は、しばしば圧政としても記憶されていますが、彼が確立した中央集権的な統治の仕組みは、以後2000年以上にわたる、中国の統治体制の基礎であり続けました。

5. イエス・キリスト
紀元前後のパレスチナ、ローマ帝国の支配下にあったユダヤの地で、宣教活動を行った人物です。彼の教えは、当時のユダヤ教社会の秩序に対する挑戦と見なされ、ローマ総督ポンティウス・ピラトゥスのもとで、十字架刑に処されました。彼の死後、使徒パウロをはじめとする弟子たちが、その教えを地中海世界全域に広め、紀元313年、ローマ皇帝コンスタンティヌスがキリスト教を公認したことで、この宗教は帝国全土に、急速に浸透していきます。今日、世界人口の3分の1近くが、何らかの形でこの宗教とかかわりを持っており、西洋の暦・芸術・倫理観の多くが、この教えを土台にしています。

6. ムハンマド
570年頃、アラビア半島のメッカに生まれ、幼くして両親を亡くしたムハンマドは、隊商交易に携わりながら成長しました。40歳の頃、洞窟での瞑想中に、大天使ガブリエルからの啓示を受けたとされ、これがイスラム教の始まりとなります。メッカでの迫害を逃れ、622年、メディナへ移住した出来事(ヒジュラ)は、イスラム暦の元年として、今日まで数えられています。632年に世を去るまでに、彼はアラビア半島のほぼ全域を統一し、その死後、イスラム帝国は急速に拡大しました。今日、世界人口の4分の1近くが信仰するイスラム教は、この一人の商人の啓示体験から、始まっています。

7. チンギス・ハン
1162年頃、モンゴル高原の一部族の子として生まれ、幼くして父を毒殺され、部族から見捨てられるという過酷な少年時代を過ごしました。1206年、諸部族を統一し、「チンギス・ハン」として即位すると、以後わずか数十年のうちに、中国からロシア、中央アジアにまで及ぶ、史上最大の陸上帝国を築き上げます。彼の征服は、多くの都市に破壊と犠牲をもたらす一方、「パクス・モンゴリカ」と呼ばれる比較的安定した時代を通じて、シルクロードを通じた東西交易を、かつてない規模で活性化させました。マルコ・ポーロをはじめとするヨーロッパ人が、東方の富と文化を知るきっかけとなったのも、この帝国が築いた交流網あってのことです。

8. ヨハネス・グーテンベルク
15世紀のドイツ・マインツで、金細工師として働いていたグーテンベルクは、1440年頃、可動式の金属活字と、ワイン用の圧搾機を応用した印刷機を組み合わせ、活版印刷術を実用化しました。1455年頃に刊行された「グーテンベルク聖書」は、この技術を用いた、最初期の本格的な書物として知られています。それまで、書物一冊を作るのに何か月もかかっていた写本の作業が、飛躍的に効率化されたことで、知識の複製と流通のコストは、劇的に下がりました。この技術の普及がなければ、宗教改革でルターの主張が広まることも、科学革命で新たな知見が急速に共有されることも、なかったかもしれません。

9. クリストファー・コロンブス
イタリア・ジェノヴァ生まれの航海者コロンブスは、アジアへの西回り航路を開拓しようと、スペイン女王イサベル1世の支援を取り付け、1492年8月、3隻の船で大西洋へと乗り出しました。同年10月、彼が実際にたどり着いたのはアジアではなく、カリブ海の島々でしたが、彼は生涯、そこをインドの一部だと信じ続けていたと伝えられています。この航海を皮切りに、ヨーロッパ人によるアメリカ大陸への進出が本格化し、作物・家畜・病原体が大西洋を挟んで行き来する「コロンブス交換」が始まりました。この接触は、新大陸の先住民社会に、甚大な人口減少と文化的な破壊をもたらす一方、世界の食文化と経済構造を、根本から作り変えることになります。

10. マルティン・ルター
ドイツの神学者ルターは、1517年、カトリック教会による免罪符の販売を批判する「95か条の論題」を、ヴィッテンベルクの教会の扉に掲げたと伝えられています。1521年、ヴォルムス帝国議会に召喚された彼は、自説の撤回を拒み、これがきっかけで、ローマ教会から破門されることになりました。潜伏先の城で、彼は聖書をラテン語からドイツ語へと翻訳し、この訳業は、ドイツ語という言語そのものの標準化にも、大きく貢献しています。彼の行動は、キリスト教世界をカトリックとプロテスタントへと分裂させ、その後のヨーロッパの政治・社会構造を、根底から作り変えることになりました。

11. ガリレオ・ガリレイ
イタリアの科学者ガリレオは、1609年、自ら改良した望遠鏡を天体に向け、月面の凹凸や木星の衛星、太陽の黒点といった、それまで誰も目にしたことのない観測結果を、次々と発表しました。これらの発見は、コペルニクスが唱えていた地動説に、実証的な裏づけを与えるものでした。1633年、ローマの異端審問にかけられた彼は、地動説を放棄する声明を、強いられることになります。それでも彼が確立した、実験と観察に基づいて自然を探求するという方法は、その後の科学のあり方そのものの、礎となりました。

12. アイザック・ニュートン
17世紀イギリスの科学者ニュートンは、1687年に発表した著作『プリンキピア』の中で、運動の3法則と万有引力の法則を、体系的にまとめ上げました。りんごが木から落ちる様子を見て、重力の存在に思い至ったという逸話は、後世の創作である可能性が高いとされていますが、彼が示した「天体の運動も、地上の物体の運動も、同じ法則に従う」という発想は、当時としては画期的なものでした。彼はまた、微積分学をも独自に発展させています(ドイツのライプニッツとの間で、その発見の優先権をめぐる論争が起きました)。彼が打ち立てた物理学の枠組みは、以後3世紀近くにわたって、科学の基本的な土台であり続けました。

13. ジャン=ジャック・ルソー
18世紀フランスの思想家ルソーは、1762年に発表した著作『社会契約論』の中で、「人は自由に生まれ、いたるところで鎖につながれている」という有名な一節とともに、統治の正当性は人民の意志にのみ由来するという、当時としては革命的な理念を、打ち立てました。彼が唱えた「一般意志」という概念は、王権神授説に基づく従来の統治観を、根底から揺るがすものでした。彼自身は、この著作の刊行後、フランスとスイスの双方から迫害を受け、亡命生活を余儀なくされています。それでも彼の思想は、フランス革命の指導者たちに大きな影響を与え、後の世界各地の民主主義運動の、重要な理論的支柱となりました。

14. ジョージ・ワシントン
アメリカ独立戦争において、大陸軍の総司令官を務めたワシントンは、資金も装備も不足する中、8年に及ぶ戦いを指揮し、最終的にイギリスからの独立を、勝ち取りました。1789年、アメリカ合衆国初代大統領に就任した彼は、2期8年を務めた後、当時としては異例なことに、自ら大統領職を退くことを選びます。この前例は、権力に固執しない、平和的な権力移譲という、民主主義の重要な慣習を、確立することになりました。「建国の父」と呼ばれる彼の名は、今日、アメリカの首都と、最高額紙幣の一つに、刻まれ続けています。

15. ナポレオン・ボナパルト
コルシカ島出身の軍人ナポレオンは、フランス革命後の混乱の中で急速に台頭し、1804年、フランス皇帝として即位しました。彼が同年制定した「ナポレオン法典」は、私有財産権の保護と法の下の平等という、革命の理念を法制度に落とし込んだもので、この法典は、ヨーロッパ各地に広まり、今日の大陸法体系の基礎ともなっています。軍事的な天才として、ヨーロッパの大部分を席巻した彼でしたが、1812年のロシア遠征の失敗を機に勢力を失い、1815年、ワーテルローの戦いでの敗北をもって、その覇権に終止符が打たれました。

16. チャールズ・ダーウィン
イギリスの博物学者ダーウィンは、1831年から36年にかけて、測量船ビーグル号での航海に同行し、南米やガラパゴス諸島で、多様な動植物を観察しました。この経験をもとに、彼は20年以上をかけて理論を練り上げ、1859年、『種の起源』を発表します。自然選択によって種が変化していくという彼の進化論は、聖書の創造説に基づいていた、当時の人類観を、根底から揺るがすものでした。この理論は、生物学の分野を超えて、宗教・哲学・社会思想全般に、今日まで続く、大きな論争と影響を、及ぼし続けています。

17. カール・マルクス
19世紀ドイツの思想家マルクスは、盟友フリードリヒ・エンゲルスとともに、1848年、『共産党宣言』を発表し、資本主義社会における労働者階級の窮状と、革命の必然性を、訴えました。1867年に刊行された主著『資本論』は、資本主義経済の構造を、労働価値説に基づいて分析した、大著です。生前の彼は、貧困の中で亡くなりましたが、その思想は20世紀に入ると、ロシア革命をはじめとする、世界各地の革命運動を、理論的に支えることになります。最盛期には、世界人口の3分の1近くが、彼の名にちなむ体制のもとで、生活する事態を、招きました。

18. エイブラハム・リンカーン
アメリカ第16代大統領リンカーンは、南北戦争という国家分裂の危機のさなか、1863年、奴隷解放宣言を発表し、反乱州における奴隷の解放を、宣言しました。同年11月、ゲティスバーグの戦没者墓地で行った、わずか2分ほどの演説は、「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉とともに、アメリカ史上、最も有名な演説の一つとして、記憶されています。1865年、南北戦争の終結からわずか数日後、彼は劇場で銃撃され、暗殺されました。連邦の統一を守り抜き、奴隷制に終止符を打ったその指導力は、後の人権をめぐる世界的な議論の、重要な出発点となっています。

19. トーマス・エジソン
アメリカの発明家エジソンは、生涯に1000件を超える特許を取得し、蓄音機・実用的な白熱電球・映写機など、数多くの発明を、世に送り出しました。1879年に実用化した電球は、それ以前にも複数の発明家が試作を重ねていましたが、耐久性の面で、初めて実用レベルに達したものです。彼が設立した「メンロパーク研究所」は、個人の閃きに頼るのではなく、組織的にチームで研究開発を進めるという、当時としては新しい手法を、確立しました。この手法そのものが、今日の企業における技術革新の、一つのモデルとなっています。

20. アルベルト・アインシュタイン
ドイツ生まれの物理学者アインシュタインは、1905年、特殊相対性理論を発表し、時間と空間が、観測者の運動状態によって変化しうることを、示しました。「E=mc²」という、質量とエネルギーの等価性を表す式も、この年の発表に、含まれています。1915年には、これをさらに発展させた一般相対性理論を発表し、重力を空間の歪みとして、説明しました。彼が1921年にノーベル物理学賞を受賞したのは、実は相対性理論ではなく、光電効果の研究によるものでしたが、彼の理論はその後、GPSや原子力技術をはじめ、今日の科学技術の、基礎の一部となっています。

21. ウラジーミル・レーニン
ロシアの革命家レーニンは、1917年10月(ロシア暦)、ボリシェヴィキを率いて臨時政府を打倒し、ロシア革命を、成功させました。彼が掲げたマルクス主義に基づく統治は、世界初の共産主義国家「ソビエト連邦」の樹立へと、つながっていきます。1918年から始まったロシア内戦を経て、1922年、この連邦は正式に成立しました。彼自身は1924年に世を去りますが、彼が築いた体制は、20世紀を通じて、冷戦という形で世界を二分する対立構造の、一方の中心であり続けることになります。

22. マハトマ・ガンディー
インドの法律家ガンディーは、南アフリカでインド系住民への差別を経験したことをきっかけに、非暴力・非協力の哲学「サティヤーグラハ」を、発展させました。1930年、イギリスによる塩の専売に抗議して行った「塩の行進」は、この非暴力抵抗運動を象徴する出来事として、広く知られています。1947年、インドはついに独立を果たしましたが、この独立は、ヒンドゥー教徒とムスリムとの分離という、深い代償を伴うものでした。翌1948年、彼はヒンドゥー至上主義者によって暗殺されますが、彼が示した非暴力の生き方は、後にマーティン・ルーサー・キング・ジュニアやネルソン・マンデラをはじめとする、世界中の人権運動の指導者たちに、受け継がれています。

23. アドルフ・ヒトラー
ドイツのナチ党を率いたヒトラーは、1933年、首相に任命されると、急速に独裁体制を確立し、1939年のポーランド侵攻を機に、第二次世界大戦を引き起こしました。彼が主導した、ユダヤ人をはじめとする人々への組織的な大量虐殺(ホロコースト)では、600万人ものユダヤ人の命が、奪われています。1945年、ベルリンが陥落する直前、彼は自ら命を絶ちました。彼がもたらした未曾有の破壊と犠牲は、戦後、国際連合の設立や、人権をめぐる国際法の整備、そして国家権力の抑制のあり方を、根本から見直させる、重い教訓となっています。

24. アレクサンダー・フレミング
イギリスの細菌学者フレミングは、1928年、休暇から研究室に戻ると、培養していたブドウ球菌の一部に、青カビが混入し、その周辺だけ細菌が死滅していることに、偶然気づきました。この発見から生まれたペニシリンは、当初、大量生産の技術が確立できず、実用化までには時間を要しています。第二次世界大戦中、量産体制がようやく整うと、それまで致命的だった多くの細菌感染症が、治療可能なものへと変わりました。1945年、彼はこの功績によりノーベル生理学・医学賞を受賞し、彼が発見した抗生物質は、人類の平均寿命の延伸に、最も大きく貢献した医療の一つと、評価されています。

25. ウィンストン・チャーチル
1940年、イギリス首相に就任したチャーチルは、ナチス・ドイツを相手に、イギリスがほぼ単独で戦い続けた、最も過酷な時期の指導者となりました。就任直後の演説で語った「私に提供できるものは、血と労苦と涙と汗以外に何もない」という言葉は、国民を鼓舞する言葉として、今日まで語り継がれています。彼はまた、優れた文筆家としても知られ、1953年にはノーベル文学賞を受賞しました。彼の不屈の指導力は、ヨーロッパにおけるファシズムの拡大を食い止める上で、決定的な役割を果たしています。

26. 毛沢東
中国共産党の指導者毛沢東は、国民党との内戦を経て、1949年、中華人民共和国の樹立を宣言し、初代最高指導者となりました。彼が1958年から進めた「大躍進政策」は、急速な工業化を目指すものでしたが、結果として深刻な飢饉を引き起こし、推定1500万人から5500万人もの命が、失われています。1966年から始まった「文化大革命」もまた、中国社会に大きな混乱と犠牲を、もたらしました。功績と過ちが極端な形で同居する彼の統治は、それでも中国という国のあり方を根本から作り変え、今日の大国としての中国の、直接の出発点となっています。

27. ネルソン・マンデラ
南アフリカの反アパルトヘイト運動の指導者マンデラは、1964年、国家転覆の共謀罪で終身刑を宣告され、以後27年にわたって、獄中生活を送りました。ロベン島での過酷な収監生活にもかかわらず、彼は闘争への意志を失わず、1990年、ついに釈放されます。1994年、南アフリカ初の全人種参加の総選挙を経て、彼はこの国初の黒人大統領に、就任しました。復讐ではなく赦しと和解を選んだ彼の姿勢は、対立を乗り越える指導者のあり方の一つの理想像として、世界中で参照され続けています。

28. マーティン・ルーサー・キング・ジュニア
アメリカの公民権運動を主導したキング牧師は、非暴力の手法を貫きながら、人種差別の撤廃を、訴え続けました。1963年、ワシントン大行進で行った「私には夢がある」の演説は、アメリカ史上、最も有名な演説の一つとして、記憶されています。彼の活動は、翌1964年の公民権法、1965年の投票権法の成立を、大きく後押ししました。1968年、テネシー州メンフィスで銃撃され、39歳という若さで世を去りましたが、彼が掲げた非暴力による社会変革の理念は、今日まで受け継がれています。

29. ティム・バーナーズ=リー
イギリスの計算機科学者バーナーズ=リーは、スイスの欧州原子核研究機構(CERN)で働いていた1989年、研究者間の情報共有を目的として、ワールド・ワイド・ウェブという仕組みを、考案しました。1991年、彼は世界初のウェブサイトを公開し、この技術を誰でも無償で使えるよう、特許化せずに公開する決断を、下しています。この判断がなければ、インターネットは、一部の研究者や軍事目的に限られた、閉じた技術のままだったかもしれません。彼の発明は、今日、世界中の人々が日常的に使う、開かれた情報空間を、生み出しました。

30. スティーブ・ジョブズ
1976年、アップルを共同創業したジョブズは、1984年に発売したマッキントッシュを皮切りに、テクノロジーと日常生活との関係を、次々と作り変えていきました。一度は自ら創業した会社を追われるという挫折を経験しますが、1997年にアップルへ復帰すると、iMac・iPod・iPhoneといった製品を、相次いで世に送り出します。とりわけ2007年に発表したiPhoneは、携帯電話・音楽プレーヤー・インターネット端末を一つに統合し、スマートフォンという、新たな製品カテゴリーそのものを、確立しました。2011年、膵臓がんのため56歳で世を去りましたが、彼が率いたアップルの製品群は、今日も世界中の人々の、情報との接し方を規定し続けています。

よくある誤解
誤解①「人類史に影響を与えた人物は、皆、肯定的な功績を残した人物である」
「影響力」という言葉から、良い功績を残した人物だけが選ばれると思われがちです。しかし実際には、ヒトラーのように破壊と犠牲を通じて、その後の国際秩序のあり方そのものを変えた人物も、歴史における影響力という観点では無視できない存在です。
誤解②「宗教の開祖たちは、当初から世界宗教になることを意図していた」
釈迦やイエス、ムハンマドといった宗教の開祖たちは、当初から世界規模の宗教を築こうとしていたわけではありません。それぞれの教えが、弟子や後継者たちによって時間をかけて広められた結果、今日の世界宗教へと発展しています。
FAQ
Q. 人類史上、最も影響力の大きい人物は誰ですか?
A. 単一の答えはありませんが、釈迦・イエス・ムハンマドといった世界宗教の開祖たちは、今日も数十億人の信仰の基盤となっているという点で、最も持続的な影響力を持つ人物とされることが多いです。
Q. 科学の分野で最も影響力の大きい人物は誰ですか?
A. ガリレオ・ガリレイ、アイザック・ニュートン、チャールズ・ダーウィン、アルベルト・アインシュタインは、いずれも人類の世界観そのものを書き換えた科学者として、広く評価されています。
まとめ
こうして30人を並べてみると、ある共通点に気づきます。彼らの多くは、生きていた当時、必ずしも「歴史を変えている」という自覚を持っていたわけではなさそうだということです。釈迦は世界宗教の開祖になろうとしたわけではなく、ティム・バーナーズ=リーも、自分の発明が世界を丸ごと作り変えるとまでは、予想していなかったかもしれません。歴史的な影響力とは、当人の意図とは別のところで、後から積み上がっていくものなのかもしれません。
