読み書きのできない両親のもとに生まれ、正式な学校教育はわずか1年に満たない。それでも独学で法律家となり、最終的にはアメリカ合衆国第16代大統領にまで上り詰めた男がいる。しかしその生涯は、国を救った直後、一発の銃弾によって突然幕を閉じることになった。この記事では、エイブラハム・リンカーンの生涯をたどっていく。
生涯
ケンタッキーの丸太小屋
リンカーンは1809年2月12日、ケンタッキー州ハーディン郡(現在のラルー郡)にある、一部屋だけの丸太小屋で生まれた。父トマス・リンカーンは農夫兼大工、母ナンシー・ハンクスとともに、二人とも読み書きのできない開拓農民だった。9歳の時に母を亡くしたリンカーンは、その後家族とともにインディアナ州、そしてイリノイ州へと移り住んでいく。
独学による自己形成
リンカーンが受けた正式な学校教育は、生涯を通じて合計1年にも満たなかった。しかし彼は、聖書やイソップ物語、法律や歴史に関する書物を借りては読みふけり、独学で驚くほどの知識を身につけていった。19歳の時には、農産物を積んだ平底船でミシシッピ川を下り、ニューオーリンズまで旅した経験もある。青年時代のリンカーンは、船頭・商店の店員・兵士・測量士・郵便局長など、実にさまざまな職を転々としながら生計を立てていた。
弁護士から政治家へ
1834年、リンカーンはイリノイ州議会の議員に選出され、政治の道を歩み始める。同じ頃、彼は独学で法律を学び、1836年に弁護士資格を取得した。誠実な人柄から「正直者エイブ」という愛称で親しまれるようになったのも、この頃のことである。1842年にはメアリー・トッドと結婚し、4人の息子をもうけたが、成人まで生き残ったのは長男ロバートただ一人だった。1846年、リンカーンは連邦下院議員に選出されるが、米墨戦争への強い反対姿勢がイリノイ州の有権者の一部から不評を買い、任期を1期務めた後、いったん法律実務の世界へ戻っている。
政界への復帰と全国的な名声
1854年、奴隷制を新たな準州にも拡大しうる「カンザス・ネブラスカ法」の成立に強い危機感を抱いたリンカーンは、政界に復帰する。彼はまもなく、新たに結成された共和党の指導的な存在となっていった。1858年、上院議員選挙において対立候補スティーブン・ダグラスと繰り広げた一連の討論会は、リンカーンの名を全国に知らしめる契機となる。この選挙自体には敗れたものの、1860年2月、ニューヨークのクーパー・ユニオンで行った演説によって、彼の評価はさらに高まっていった。同年5月、共和党はリンカーンを大統領候補に指名し、同年11月、彼は第16代アメリカ合衆国大統領に選出される。
大統領としての激動の日々
1861年3月、リンカーンが大統領に就任してまもなく、南北戦争が勃発した。彼は連邦の統一を守り抜くという強い意志のもと、この戦争を通じて国家を率い続けた。1863年の奴隷解放宣言と、同年のゲティスバーグでの演説は、彼の政治的な遺産の中でも特に重要な出来事として、今日まで語り継がれている。
暗殺という悲劇的な最期
1865年4月9日、南部連合軍が降伏し、長かった戦争にようやく終止符が打たれた。しかしその5日後、4月14日の夜、リンカーンはワシントンのフォード劇場で観劇中、南部連合の支持者だった俳優ジョン・ウィルクス・ブースによって銃撃された。翌15日の朝、リンカーンは56歳でこの世を去った。彼の遺体はイリノイ州スプリングフィールドのオーク・リッジ墓地に埋葬されている。
主要な出来事
- 1809年2月12日:ケンタッキー州の丸太小屋で誕生
- 1818年:母ナンシーが死去
- 1834年:イリノイ州議会議員に選出
- 1836年:弁護士資格を取得
- 1846年:連邦下院議員に選出
- 1858年:スティーブン・ダグラスとの上院選挙討論会
- 1860年11月:第16代アメリカ合衆国大統領に選出
- 1863年:奴隷解放宣言を発布
- 1865年4月14日:フォード劇場で銃撃される
- 1865年4月15日:56歳で死去
現代への影響
リンカーンは今日、アメリカ史上最も偉大な大統領の一人として、世論調査でも学術的な評価でも、常に高い位置に挙げられ続けている。連邦の統一を守り抜き、奴隷制廃止への道筋をつけたその功績は、後の憲法修正第13条の成立にもつながった。彼を記念するリンカーン記念堂やラシュモア山の彫像、そして1セント硬貨と5ドル紙幣に刻まれたその肖像は、今日も彼の存在をアメリカ社会に留め続けている。暗殺という悲劇的な結末は、彼を自由と統一の象徴的な殉教者として、いっそう強く歴史に刻み込む結果となった。
よくある誤解
誤解①「リンカーンは裕福な家庭に生まれ、正規の教育を受けて大統領になった」→ 実際は極貧の家庭に生まれ、1年に満たない学校教育しか受けていない
大統領という地位から、相応の教育を受けた人物だったと思われがちだが、実際には読み書きのできない両親のもとに生まれ、正式な学校教育はわずか1年に満たず、彼が身につけた知識のほとんどは、独学による読書を通じて得られたものだった。
誤解②「リンカーンは大統領選挙で常に勝ち続けた、政治的に順調な経歴の持ち主だった」→ 実際は上院選挙での敗北を含む、幾度もの挫折を経験している
大統領という最終的な成功のイメージから、政治家としての歩みも順調だったと思われがちだが、実際には1858年の上院議員選挙で敗北するなど、彼の政治キャリアは決して平坦なものではなく、幾度もの挫折を乗り越えた末に、大統領の座にたどり着いている。
FAQ
Q. リンカーンとはどんな人物ですか?
A. ケンタッキー州の丸太小屋に生まれ、独学で弁護士となり、1860年にアメリカ合衆国第16代大統領に選出された人物です。南北戦争を通じて連邦の統一を守り、奴隷解放宣言を発布しました。
Q. リンカーンはどんな教育を受けたのですか?
A. 正式な学校教育は生涯を通じて1年に満たず、聖書や法律書などの独学による読書を通じて、驚くほどの知識を身につけていきました。
Q. リンカーンはなぜ暗殺されたのですか?
A. 南部連合の支持者だった俳優ジョン・ウィルクス・ブースによって、1865年4月14日、南部連合の降伏からわずか5日後、フォード劇場での観劇中に銃撃されました。
Q. リンカーンの最大の功績は何ですか?
A. 南北戦争を通じてアメリカ連邦の統一を守り抜いたことと、1863年の奴隷解放宣言を通じて奴隷制廃止への道筋をつけたことが、彼の最大の功績とされています。
まとめ
読み書きのできない両親のもとに生まれた少年が、独学で法律を学び、幾度もの選挙での挫折を乗り越え、最終的には分断された国を再び一つに縫い合わせる大統領となった。しかしその功績を見届けることなく、彼は劇場での一発の銃弾によって、あまりにも唐突に生涯を閉じることになる。丸太小屋から始まった道のりの果てに待っていたのは、栄光と同じだけの重さを持つ、悲劇だった。
