《奴隷船》とは|ターナー渾身の告発画に潜む複雑な真実を徹底解説

《奴隷船》(1840年)は、イギリスの画家J.M.W.ターナーによる油彩画で、アメリカ・ボストン美術館が所蔵する作品です。正式なタイトルは《死者と瀕死の者を海に投げ込む奴隷商人たち——迫り来る台風》。実際に起きた「ゾング号事件」という凄惨な奴隷船の虐殺事件に着想を得たこの絵は、燃えるような夕焼けの中に人間の亡骸を浮かべるという、美しさと恐怖が同居する強烈な作品です。しかし近年の研究により、ターナー自身がかつて奴隷制と関わりのある事業に投資していたという、複雑な事実も明らかになっています。

目次

基本情報

項目内容
作者J.M.W.ターナー(1775〜1851)
制作年1840年(ロイヤル・アカデミー初展示)
技法・素材油彩・カンヴァス
サイズ約91×123cm
所蔵ボストン美術館(アメリカ)
原題Slavers Throwing overboard the Dead and Dying—Typhon coming on
主題1781年、奴隷船ゾング号での虐殺事件

一言でいうと
《奴隷船》は、保険金目当てに大勢の奴隷を海に投げ込んだ実際の事件を、燃えるような色彩と荒れ狂う海の「崇高さ」によって告発した、奴隷制廃止運動と美術史の両方に刻まれる問題作でありながら、その制作者自身の奴隷制との関わりという、複雑な真実をも今日に問いかけている作品である。

制作背景

ゾング号の虐殺

1781年、イギリスの奴隷船ゾング号は、水が不足したという理由で、142人にものぼるアフリカ人奴隷を海に投げ込みました。当時の保険制度では、「海で失われた」奴隷にしか保険金が支払われなかったため、病気や衰弱で死なせるより、生きたまま海に落とす方が金銭的に「合理的」だったのです。ターナーは、トマス・クラークソンの著書『奴隷貿易の歴史と廃止』(1839年再版)を読んで、この事件に着想を得たと考えられています。

廃止運動と時を同じくして

1840年、ロンドンでは「一般奴隷制度廃止協会」など、国際的な奴隷制反対の会議が相次いで開催されていました。ターナーがこの絵をロイヤル・アカデミーで発表したのは、まさにこうした運動の高まりと時を同じくしています。カタログには、ターナー自身の未発表の詩「希望の虚妄」の一節「希望よ、虚妄の希望よ! お前の値打ちは今どこにあるのか」も添えられていました。

見どころ

構図:画面奥には、荒れ狂う海を進む1隻の船がかすかに見え、手前には鎖につながれた手足や、海に浮かぶ人間の亡骸が、魚たちに食い荒らされる様子が描かれています。夕日の激しい色彩が、恐ろしい光景をかえって幻想的に照らし出しています。

技法:ターナーは1830年代以降、細部の描写よりも光と色彩を重視する、抽象に近い作風へと変化していきました。クロムオレンジ、コバルトブルー、カドミウムイエローといった当時の新しい合成顔料を駆使し、パレットナイフや指先まで使って絵具を塗り重ねるこの技法により、燃えるような色彩表現が実現されています。哲学者エドマンド・バークが提唱した「崇高」の概念——自然の圧倒的な力を前にした人間の無力さ——を、この絵は見事に体現しています。

評価の分かれ目:水面の上を泳ぐ魚や、浮かんだままの鉄の足枷など、この絵には写実的には不自然な描写も見られます。ロマン主義の画家であったターナーにとって、事実の正確さよりも、見る者の感情に訴えかけることの方が重要だったのです。

発表当時の反響とラスキンによる称賛

1840年の発表時、この絵はその恐ろしい主題と抽象的な様式ゆえに、批評家たちを困惑させました。作家ウィリアム・メイクピース・サッカレーは「この絵は崇高なのか、それとも滑稽なのか。正直、私には分からない」と評しています。この絵は当時売れ残ってしまいましたが、1844年、批評家ジョン・ラスキンが父からの新年の贈り物として譲り受けると、著書『近代画家論』でこの絵を称賛する有名な一節を残しました。「もしターナーの不滅の名声を、たった一つの作品にかけろと言われたら、私はこの絵を選ぶだろう」。この文章はあまりに有名になり、実物を見たことのない人々にまで、この絵のイメージを広めることになりました。

近年明らかになった複雑な真実

長らく、ターナーはこの絵を通じて奴隷制に断固反対した画家として語られてきました。しかし2007年、美術史家サム・スマイルズの調査により、ターナー自身が1805年、奴隷制と関わりのあるジャマイカの砂糖農園関連の事業に投資していたという事実が判明しました。この発見は、ターナーを単純な「奴隷制廃止の英雄」として描く従来の物語に、複雑な陰影を投げかけています。この絵が持つ告発の力そのものは損なわれないとしても、制作者自身の経済的な立場との関係については、今もなお学術的な検討が続いています。

よくある誤解

誤解①「ターナーは一貫して熱心な奴隷制廃止論者だった」→ 実際は本人の経済的な関わりという複雑な事実がある

この絵の強烈な告発的性格から、ターナー自身が終始一貫した奴隷制反対の活動家だったと思われがちですが、実際には彼自身が過去に奴隷制と関わりのある事業に投資していたという事実が、近年の研究で明らかになっており、単純な英雄物語には収まらない複雑さがあります。

誤解②「この絵は発表当初から高く評価されていた」→ 実際は酷評され、売れ残っていた

批評家ラスキンによる称賛から、発表当初から傑作と認められていたと思われがちですが、実際には1840年のロイヤル・アカデミー展では酷評され、買い手もつかないまま売れ残っていました。

FAQ

Q. 《奴隷船》とはどんな作品ですか?
A. ターナーが1840年に発表した油彩画で、1781年に実際に起きたゾング号での奴隷虐殺事件に着想を得ています。ボストン美術館が所蔵しています。

Q. ゾング号事件とは何ですか?
A. イギリスの奴隷船ゾング号の船長が、保険金を得るため、142人にものぼるアフリカ人奴隷を海に投げ込んだ、実際に起きた事件です。

Q. なぜこの絵は美しさと恐ろしさが同居しているのですか?
A. ターナーが、自然の圧倒的な力と美しさ(崇高さ)を通じて、人間の残虐行為への告発を表現しようとしたためです。

Q. 《奴隷船》はどこで見られますか?
A. アメリカのボストン美術館が所蔵しています。

まとめ

《奴隷船》は、保険金目当てに大勢の奴隷を海に投げ込んだ実際の事件を、燃えるような色彩と荒れ狂う海の「崇高さ」によって告発した作品です。批評家ラスキンの称賛によって不滅の名声を得たこの絵は、しかし近年、制作者自身の奴隷制との複雑な関わりという事実も明らかになり、単純な英雄物語ではなく、より深く複雑な歴史的文脈の中で理解されるべき作品として、今も研究が続けられています。

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