《オフィーリア》とは|ラファエル前派の最高傑作を徹底解説

《オフィーリア》(1851〜1852年)は、イギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレイによる油彩画で、ロンドンのテート・ブリテンが所蔵する、ラファエル前派を代表する傑作です。シェイクスピアの戯曲『ハムレット』のヒロインが、歌を口ずさみながら川に沈んでいく、戯曲の中でも舞台には登場しない一瞬を描いています。この絵の制作にあたり、モデルを務めた女性は冷たい浴槽の中で長時間ポーズを取らされ、肺炎になりかけたという逸話でも知られています。この記事では、この作品の見どころ、モデル・シダルにまつわる過酷な制作秘話、そして日本の文豪・夏目漱石との意外なつながりまでを解説します。

目次

《オフィーリア》とは — 基本情報

項目内容
作者ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829〜1896)
制作年1851〜1852年
技法・素材油彩・カンヴァス
サイズ76.2×111.8cm
所蔵テート・ブリテン(ロンドン)
主題シェイクスピア『ハムレット』のヒロイン、オフィーリアの入水の場面
モデルエリザベス・シダル(当時19歳)

一言でいうと 《オフィーリア》は、舞台上には決して現れない「語られるだけの死」の場面を、徹底した自然観察と象徴的な花々によって視覚化した、ラファエル前派の理念を凝縮する傑作である。

制作背景 — なぜこの作品が生まれたのか

舞台にはない場面を描く

《オフィーリア》が描くのは、シェイクスピア『ハムレット』第4幕第7場、王妃ガートルードの台詞の中でのみ語られる、オフィーリアの死の場面です。恋人ハムレットに父を殺されたショックで正気を失ったオフィーリアが、歌を口ずさみながら小川に沈んでいく——この場面は戯曲の中で実際に演じられることのない、語りの中だけに存在する情景です。ミレイはこの「見えない場面」を、絵画として初めて視覚化しました。

ラファエル前派という反逆

1848年、ミレイはダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ、ウィリアム・ホルマン・ハントらとともに「ラファエル前派兄弟団」を結成します。当時のロイヤル・アカデミーが規範としていたラファエロ以降の理想化された絵画様式に反発し、ラファエロ登場以前のイタリア絵画が持っていた鮮やかな色彩と、自然への忠実な観察眼を取り戻すことを掲げた運動でした。《オフィーリア》は、この理念を最も高い水準で体現した作品とされています。

見どころ徹底解説

構図 — 4か月をかけた背景描写

ミレイは、理想に合う川辺の風景を求めてロンドン郊外のホッグズミル川にたどり着き、およそ4か月にわたって現地に通い、背景を徹底的に写生しました。一枚一枚の葉、川面に浮かぶ花々に至るまで、驚くほど精緻に描き込まれたこの背景は、ラファエル前派が掲げた「自然への忠実さ」を体現しています。

技法 — 明るい背景と青ざめた肌の対比

ミレイは、明るく生命力に満ちた自然の描写と、青ざめて生気を失っていくオフィーリアの肌を対比させることで、死の場面でありながら圧倒的な美しさを湛える、独特の緊張感を作り出しています。水面上に出た部分と、水中に沈んだ部分の質感の描き分けにも、ミレイの卓越した観察眼が発揮されています。

図像学 — 花々に込められた意味

オフィーリアの周囲に咲き乱れる花々には、それぞれ意味が込められています。ケシは深い眠りと死を、パンジーは(戯曲の台詞にちなみ)報われない愛や物思いを、スミレは若くしての死を象徴するとされます。これらの花の多くは、実際に戯曲の中でオフィーリア自身が語る台詞にちなんでおり、ミレイがシェイクスピアの原作を細部まで読み込んでいたことがうかがえます。画面左上に描き込まれたコマドリも、オフィーリアが劇中で口ずさむ「かわいいコマドリはわたしのすべての喜び」という歌の一節に由来しています。

💡 ここに注目(編集部より) この作品を見るときは、オフィーリアの表情にも注目してみてください。苦悶ではなく、どこか恍惚としているようにも見えるその顔立ちは、死という主題を扱いながらも、見る者を強く惹きつける独特の魅力を生み出しています。この表情の背後には、モデルを務めた女性の過酷な体験があったことも、あわせて知っておきたい事実です。

モデル、エリザベス・シダルの過酷な撮影秘話

《オフィーリア》のモデルを務めたのは、当時19歳のエリザベス・シダルでした。帽子店で働いていたシダルは、画家ウォルター・デヴェレルに見出され、ラファエル前派の画家たちの間で人気のモデルとなります。オフィーリアが川に浮かぶ場面を描くにあたり、ミレイはシダルを実際の川に入れることはせず、ロンドンのアトリエに置いた金属製の浴槽に水を張り、そこにシダルを横たわらせて描くという方法を選びました。冬の寒さを考慮し、浴槽の下には水を温めるための石油ランプが設置されていましたが、制作に没頭したミレイはランプの火が消えたことに気づかず、シダルは冷たい水の中で長時間ポーズを取り続けることになります。この結果、シダルはひどい風邪(一説には肺炎の症状)を引き起こしました。これに激怒したシダルの父親は、後にミレイに治療費を請求する手紙を送り、ミレイは減額の上でこれを支払ったと伝えられています。

作品の来歴

《オフィーリア》は1851年12月、画商ヘンリー・ファラーに300ギニーで購入されました。その後、ラファエル前派の熱心な収集家B・G・ウィンダスの手に渡り、1862年には748ギニーで転売されています。1852年のロイヤル・アカデミー展での初出品時は評価が分かれましたが、その後、自然描写の正確さと美しさが広く認められるようになりました。1855年の第1回パリ万国博覧会にも出品され、国際的な評価を確立しています。現在の専門家評価額は、少なくとも3,000万ポンドとされています。

評価と影響

《オフィーリア》は、ジョン・ウィリアム・ウォーターハウスをはじめとする後世の画家たちに、オフィーリアを主題とする作品を数多く描かせるきっかけとなりました。日本では、ロンドン留学経験を持つ夏目漱石が、小説『草枕』の中でこの作品に言及しており、明治期の日本における西洋美術受容の代表的な事例としても知られています。現代でも、映画やテレビドラマ、音楽ビデオなど、幅広い分野でこの構図が引用され続けています。

実際に見るには

ロンドンのテート・ブリテンが常設所蔵しています。同館でも屈指の人気作品のため、多くの来場者で賑わいます。展示状況は変更される場合があるため、訪問前に公式サイトでの確認をおすすめします(最終確認日:2026年7月10日)。

よくある誤解

誤解①「オフィーリアが川に沈む場面は、ハムレットの舞台で実際に演じられる」→ 戯曲では語られるだけの場面

絵画があまりに有名なため、この場面が『ハムレット』の舞台上で実際に演じられると思われがちですが、実際には戯曲の中で、王妃ガートルードの台詞を通じて語られるだけの場面です。ミレイは、舞台では目に見えない出来事を、絵画という形式で初めて視覚化しました。

誤解②「モデルのシダルは、この撮影がきっかけで最終的に命を落とした」→ 死因は別の出来事による

浴槽での過酷な体験から、シダルがこの制作が原因で亡くなったと誤解されることがありますが、正確ではありません。シダルは後にロセッティと結婚しますが、その後の人生で患った病や depression(抑うつ)から阿片チンキ(ローダナム)への依存に苦しみ、1862年、薬物の過剰摂取により死去しています。《オフィーリア》の制作時の体調不良と、その後の死とは、直接の因果関係が確認されているわけではありません。

FAQ

Q. 《オフィーリア》のモデルは誰ですか?
A. エリザベス・シダルという、当時19歳の女性です。帽子店で働いていたところを画家に見出され、ラファエル前派の画家たちの人気モデルとなりました。後にダンテ・ゲイブリエル・ロセッティと結婚しています。

Q. なぜモデルは肺炎になりかけたのですか?
A. ミレイが冬場、ロンドンのアトリエで浴槽に水を張り、シダルを横たわらせて描いた際、水を温めるランプの火が消えたことに気づかず、シダルが長時間冷たい水の中でポーズを取り続けることになったためです。

Q. 《オフィーリア》と夏目漱石にはどんな関係がありますか?
A. ロンドン留学経験のある漱石は、小説『草枕』の中でこの絵に言及しています。明治期の日本人が西洋美術をどう受容したかを示す、代表的な事例として知られています。

Q. 花々にはどんな意味が込められていますか?
A. ケシは死と眠りを、パンジーは報われない愛を、スミレは若くしての死を象徴するとされます。多くは戯曲の中でオフィーリア自身が語る台詞にちなんでおり、ミレイの緻密な原作研究がうかがえます。

まとめ

《オフィーリア》は、シェイクスピアの戯曲の中でも語られるだけだった一瞬を、徹底した自然観察と象徴的な花々によって視覚化した、ラファエル前派の理念を凝縮する傑作です。その完成の裏には、モデルを務めたエリザベス・シダルの過酷な体験があったことも、忘れてはならない事実です。美しさと死が同居するこの一枚は、170年以上を経た今もなお、見る者の心を強く捉え続けています。

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