《魔女の夜宴》とは|ゴヤが描いた異端審問への風刺を徹底解説

《魔女の夜宴》(西:El Aquelarre)は、スペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤが1797年から1798年にかけて手がけた油彩画で、現在はマドリードのラサロ・ガルディアーノ美術館に所蔵されています。牡山羊の姿をした悪魔を前に、魔女たちが赤子を供物として差し出すこの絵は、《魔女たちの飛翔》と同じ連作《魔女のテーマ》の1点であり、当時のスペイン社会に根強く残っていた迷信と、異端審問の記憶への痛烈な批判が込められています。この記事では、画面に描かれた赤子たちが何を意味しているのか、そしてゴヤ自身がなぜこの主題に強く惹かれたのかを見ていきます。

目次

《魔女の夜宴》とは — 基本情報

項目内容
作者フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828)
制作年1797〜1798年
技法・素材油彩・カンヴァス
サイズ43×30cm
所蔵ラサロ・ガルディアーノ美術館(マドリード)
連作《魔女のテーマ》全6点のうちの1点

一言でいうと

《魔女の夜宴》は、牡山羊の姿をした悪魔に赤子を供物として捧げる魔女たちの姿を通じて、迷信と異端審問という中世的な恐怖が、政治的・宗教的な利益のために利用され続けてきた歴史をあぶり出した作品です。

制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか

バスク地方の魔女伝説

当時のスペインでは、魔女の夜宴はバスク地方のアケラレの山で行われていると広く伝えられていました。「アケラレ(aquelarre)」という言葉自体、バスク語で「山羊の野原」を意味する語に由来するとされ、牡山羊の姿をした悪魔がその中心に据えられる伝承が根強く残っていました。ゴヤはこうした民間の迷信に強い関心を寄せ、人の道を外れた異端的な儀式のイメージへと発展させて描いています。

オスーナ公爵夫妻からの依頼

本作を含む6点から成る連作《魔女のテーマ》は、啓蒙思想家として知られるオスーナ公爵夫妻の依頼によって制作されました。完成した6点は1798年6月に6000レアルで購入され、マドリード郊外エル・カプリーチョ邸の入口や、のちには公爵家の図書館を飾っていたと伝えられています。これらの作品は、迷信に陥りやすい大衆と、中世的な恐怖への回帰を利用しようとする教会に対するゴヤの軽蔑を反映していると考えられています。

異端審問への個人的な関心

ゴヤの絵のモデルを務めた人物の一人が、実際に魔女かどうかを見定める異端審問にかけられたことがあると伝えられています。こうした身近な経験も、ゴヤが異端審問という制度そのものへの批判的な思いを、この連作のなかに風刺的に込める動機になったと考えられています。

見どころ徹底解説

供物として捧げられる2人の赤子

画面の中心には、樫の葉で編んだ冠を角にかぶった牡山羊姿の悪魔が描かれ、その周囲を魔女たちが取り囲んでいます。画面左側には、痩せ細った赤子の亡骸が棒の先に掲げられており、すでに悪魔への供物として捧げられ命を落とした末路が月明かりの下にさらされています。一方、画面右側では、肉付きの良い健康そうな赤子が母親らしき女性によって差し出され、悪魔の化身から守護を与えられるかのように手を伸ばされています。まるで子どもたちの運命が選別されているかのような、この対照的な2人の赤子の描写が、本作にきわめて残酷な緊張感を与えています。

三日月と夜空を舞うコウモリ

画面上部には細い三日月が浮かび、コウモリたちが夜空を飛び交っています。夜の闇のなかにぼんやりと浮かび上がる登場人物たちの顔や手の描写が、幻想的でありながら不安を掻き立てる独特の雰囲気を生み出しています。

骸骨のような子どもたちの姿

画面手前には、骸骨のように痩せ細った子どもたちの姿や、地面に転がる頭蓋骨も描き込まれています。こうした死のイメージの積み重ねが、単なる不気味な儀式の場面を超えて、迷信によって実際に命を落としていった犠牲者たちへの視線を感じさせます。

晩年に再訪した同じ主題

ゴヤは晩年、「黒い絵」と呼ばれる一連の作品群のなかで、同じ主題を再び手がけています。1821年から1823年ごろに制作された『魔女の夜宴、あるいは偉大なる牡山羊』は、自宅「聾者の家」の壁に直接描かれた壁画で、本作とは対照的にほとんど彩色を排したモノクロームに近い色調で表現されています。この壁画は現在プラド美術館に所蔵されていますが、1874年にキャンバスへ移し替える際、右側の約140センチが切り落とされてしまい、当初とは異なる余白の少ない構図になっているとされています。

実際に見るには

本作はスペイン・マドリードのラサロ・ガルディアーノ美術館に所蔵されています。同じ連作の《呪文》もあわせて同館に収蔵されており、比較しながら鑑賞することができます。晩年の「黒い絵」版《魔女の夜宴》はプラド美術館に所蔵されており、若き日の本作と見比べることで、ゴヤが同じ主題をどれほど異なる表現で描き分けていたかを実感できます。

よくある誤解

本作はしばしば「単なる不気味な悪魔崇拝の絵」として紹介されがちですが、実際には当時のスペイン社会に根強く残っていた迷信と、それを利用してきた異端審問という制度への批判を込めた社会風刺の作品です。晩年の「黒い絵」版と混同されることも多いものの、両者は制作時期も表現様式も大きく異なる別々の作品であることに注意が必要です。

FAQ

Q. 《魔女の夜宴》はどんな場面を描いていますか?
牡山羊の姿をした悪魔を前に、魔女たちが赤子を供物として差し出す夜の集会の場面を描いています。

Q. なぜ2人の赤子が対照的に描かれているのですか?
すでに命を落とした痩せ細った赤子と、まだ健康な赤子とを並べることで、子どもたちの運命が選別されているかのような緊張感を生み出しています。

Q. 「アケラレ」とはどんな意味ですか?
バスク語で「山羊の野原」を意味するとされ、魔女の夜宴が行われるとされたバスク地方の伝承に由来する言葉です。

Q. 晩年に描かれた同じ主題の作品はありますか?
「黒い絵」の1つとして1821年から1823年ごろに制作された『魔女の夜宴、あるいは偉大なる牡山羊』があり、現在はプラド美術館に所蔵されています。

Q. 現在はどこに所蔵されていますか?
マドリードのラサロ・ガルディアーノ美術館に所蔵されています。

まとめ

《魔女の夜宴》は、迷信と異端審問という中世的な恐怖が、いかに人々の命を実際に脅かしてきたかを、赤子の供物という残酷なモティーフを通じて描き出した作品です。晩年に再びこの主題へと立ち返ったことからも、ゴヤがこの迷信というテーマにどれほど深く、そして長く向き合い続けていたかがうかがえます。

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