ロンドンのテート・ブリテンに、生い茂る草むらのなかで、無数の妖精たちが1人の樵の一撃を息を詰めて見守る、驚くほど緻密な油彩画がある。《妖精の樵の会心の一撃(英:The Fairy Feller’s Master-Stroke)》と題されたこの作品は、イギリスの画家リチャード・ダッドが1855年から1864年にかけて手がけたものだ。この絵が描かれた場所は、画家のアトリエではなく、彼が収容されていた精神病院の一室だった。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | リチャード・ダッド(1817〜1886) |
| 制作年 | 1855〜1864年 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 540×394mm |
| 所蔵 | テート・ブリテン(ロンドン) |
才能に恵まれた青年画家を襲った悲劇
ダッドはロイヤル・アカデミー美術学校で学び、若くして周囲から才能を高く評価されていた画家だった。しかし1840年代初頭、裕福な支援者とともに地中海から中東へ旅をした際、彼は深刻な精神の変調をきたす。父親が悪魔に取って代わられたという妄想にとらわれた彼は、1843年8月、ケントの公園で実の父を刺殺してしまう。フランスへの逃亡を試みるも捕らえられ、当時新たに導入されていた精神障害を理由とする責任能力の判断基準によって死刑を免れた彼は、ベスレム王立病院、通称「ベドラム」の重犯罪者用施設へ収容されることになった。
病院の職員から依頼された1枚
収容先の主任職員だったジョージ・ヘンリー・ヘイドンは、ダッドに絵を描き続けるよう勧めた。ヘイドンはダッドの制作にすっかり感銘を受け、本作の制作を依頼したという経緯がある。ダッドは9年もの歳月をこの1枚に費やしたが、それでも最終的に未完のまま残されることになった。1864年、彼はより新しく設立されたブロードムーア精神病院へ移送され、以後1886年に世を去るまでの21年間をそこで過ごしている。
見どころ

斧を振り上げる樵と息を潜める妖精たち
画面中央には、大きな木の実を割ろうと斧を振り上げる「妖精の樵」の姿が描かれている。この木の実は、シェイクスピア『ロミオとジュリエット』でマキューシオが語る、妖精の女王マブの新しい馬車を作るために用いられる予定だ。周囲の妖精たちは、その一撃の瞬間をじっと見守っている。
合図を送る白ひげの家長
中央には、三重の冠を思わせる装いをまとった白ひげの人物が、右手を掲げて樵に「まだ打つな」と合図を送っている。この人物の姿は、当時ヴィクトリア朝で人気だった王殺しの主題を、妖精物語という枠のなかに縮小し、その重苦しさを和らげようとした表現ではないかとも解釈されている。
想像だけで生み出された無数の登場人物
画面上部に描かれたオベロンとタイターニア(シェイクスピア『真夏の夜の夢』の登場人物)を除き、他のすべての人物はダッドが完全に自らの想像力だけで生み出したものだ。楽器を奏でる者、踊る者、佇む者と、実に多彩な人物たちが画面を埋め尽くしている。
顕微鏡的なまでの緻密な描き込み
草の葉1枚、雛菊の花びら1枚、木の実の殻の質感まで、驚くほどの精緻さで描き込まれている。この執拗なまでの緻密さが、画面全体に幻想的でありながらどこか息苦しいほどの密度を与えている。
シーグフリード・サッスーンからテートへ
本作は依頼主ヘイドンの手を離れた後、収集家アルフレッド・モリソンに渡り、その娘を経て、1933年、詩人シーグフリード・サッスーンのもとへ贈られた。サッスーンは1963年、この絵をサザビーズのオークションから取り下げ、第一次世界大戦で命を落としたダッドの縁者3兄弟を偲んでテート・ギャラリーへ寄贈している。なお、ブロードムーアへの移送直後の1864年11月には、より狭い色域で描かれた水彩版も制作されており、こちらはケンブリッジのフィッツウィリアム美術館に所蔵されている。
実際に見るには
本作はロンドンのテート・ブリテンに所蔵されている。フィッツウィリアム美術館の水彩版とあわせて見ることで、ダッドがこの主題にどれほど繰り返し向き合い続けたかがうかがえる。
FAQ
Q. 《妖精の樵の会心の一撃》はどこで見られますか?
ロンドンのテート・ブリテンに所蔵されている。
Q. なぜこの絵は病院で描かれたのですか?
ダッドが実父を殺害した罪により、精神障害を理由に責任能力なしと判断され、ベスレム王立病院に収容されていたためである。
Q. この絵の主題は何ですか?
シェイクスピア『ロミオとジュリエット』に登場する妖精の女王マブの馬車を作るため、木の実を割ろうとする樵と、それを見守る妖精たちの場面である。
Q. なぜ9年もかかったのに未完なのですか?
明確な理由は伝わっていないが、極度に緻密な描き込みを続けるなかで、ダッド自身の基準では完成に至らなかったのではないかと考えられる。
Q. この絵はどのようにしてテートに収蔵されたのですか?
詩人シーグフリード・サッスーンが、第一次世界大戦で戦死したダッドの縁者3兄弟を偲んで、1963年にテート・ギャラリーへ寄贈した。
まとめ
《妖精の樵の会心の一撃》は、精神病院という限られた空間のなかで、9年という歳月をかけてもなお完成に至らなかった1枚だ。斧を振り上げたまま静止する樵の姿を見つめていると、この一撃がついに振り下ろされることのないまま、画家自身の時間も静かに止まってしまったかのように思えてくる。
