《トゥヌグダルスの幻視》(1490〜1500年頃)は、ネーデルラントの画家ヒエロニムス・ボスの工房が制作した油彩画で、マドリードのラサロ・ガルディアーノ財団が所蔵しています。放蕩の騎士が、仮死状態のあいだに天使に導かれて見た、地獄の光景。巨大な顔、燃える建物、奇怪な怪物たちが、画面いっぱいにひしめきます。近年の調査によって、ボスの存命中に、工房で制作された可能性が高いことが分かってきました。
基本情報
制作年は1490〜1500年頃、技法は油彩・板で、所蔵はラサロ・ガルディアーノ財団(マドリード)です。作者は、ヒエロニムス・ボスの工房、あるいはボスに非常に近い追随者や共同制作者とされています。修復の際の調査では、支持体のオークの板2枚が、年輪年代学により、1479年頃に伐採された木だと判明したと伝えられます。
2017年に日本で開かれた「ベルギー奇想の系譜」展では、この作品が展覧会の主要な図版に使われ、広く知られるようになりました。
物語|アイルランドの騎士が見た死後の世界
題材となっているのは、12世紀半ばにアイルランドの修道士マルクスが記したとされる異界巡りの説話です。主人公のトゥヌグダルスは、アイルランドの放蕩の騎士。3日間の仮死状態のあいだに、天使に導かれて天国と地獄をめぐり、そこで恐ろしい罰を目にします。目を覚ました後、彼は悔い改めました。この物語は、ボスの時代のネーデルラントで出版され、人気を集めていました。
画面の左下で、うなだれて頭を抱えているオレンジ色の服の人物がトゥヌグダルスで、その隣に、守護天使が寄り添っています。
見どころ|中央の巨大な顔

目に飛び込んでくるのは、画面中央にそびえる巨大な顔です。頭に布をかぶり、その上には、横たわる人物とフクロウが乗っています。顔の目は黒い空洞で、一方の眼窩に、黒いネズミが入り込もうとしています。鼻からは金貨がこぼれ落ち、その下の大きな桶のなかで、裸の人々が、水に浸かったようにもがいています。
この大きな頭部は、それ自体が罪の象徴であると言われます。黒いネズミは邪淫の象徴とされ、感覚を通じて入り込む誘惑を表しているという解釈もあります。画面を支配するこの顔は、地獄の風景であると同時に、人間の内側にある罪そのものの姿のようにも見えます。
見どころ|罪と罰の小さな場面たち
巨大な顔を取り囲むように、小さな場面がいくつも散りばめられています。右手の大きな壺のなかには、兜や剣とともに、人々が閉じ込められています。その上の天蓋つきの寝台には、横たわる人物が見えます。背後では、大きな建物が炎に包まれ、黒煙を上げています。左上では、煙の出る卵のような球体が宙に浮かび、岩の上には、裸の人物が寄り添っています。
手前の中央には、サイコロの上に座り込む裸の人物がいます。その近くには、ラッパのような口をした鳥のような怪物が、ボスの絵に繰り返し現れる奇妙な生き物として、笛を吹いています。右下では、鳥のような獣にまたがる女性や、骨と頭蓋骨が転がっています。人がワインを無理やり飲まされたり、剣で刺されたりする場面もあり、恐ろしいはずの罰が、どこかユーモラスにも見えるのが、この絵の独特の味わいです。
作者をめぐって|ボスか、工房か
本作は長く、ボス風の作品として扱われてきましたが、近年の科学的・資料的な調査によって、ボスの存命中に制作された可能性が高まりました。ボス本人の作品というより、ボスの工房、またはボスに非常に近い追随者の手によるものと考えられています。
ボスは1450年頃に生まれ、1516年に没したとされます。この作品は、その活動期と重なる時期に、ボスのイメージの世界を共有する工房で描かれたものです。
評価と影響
本作は、罪と罰を精緻に描きながら、どことなくユーモラスでもある、ボス的世界の特徴をよく伝える一枚です。こうした地獄や死のイメージを描く伝統は、その後のブリューゲルらのフランドル絵画、さらに幻想絵画や象徴主義、シュルレアリスムにまで受け継がれました。本作は、その源流のひとつとして、日本でも紹介されました。
まとめ
《トゥヌグダルスの幻視》は、地獄の光景を、巨大な顔と無数の小さな場面によって、画面いっぱいに描き出した作品です。それは恐ろしい罰の記録であると同時に、見る者の目を引きつけてやまない、不思議な魅力を持った、ボス的な想像力の産物でもあります。

