《本朝水滸伝豪傑八百人一個 尾形周馬寛行》(1831年頃)は、歌川国芳が、江戸時代の読本『自来也説話』の主人公、自来也(その正体の名が、尾形周馬寛行)を描いた、武者絵(英雄を描く浮世絵)の一枚です。画面の中央で、派手な甲冑と、紋付の黒い羽織をまとった男が、前かがみになって、鉄砲を構え、画面の下では、巨大な蛇が、大きな口を開いて、こちらをにらんでいます。蛇の体は、画面の右側に、渦を巻いて、重なり、左上でも、もう一匹の蛇の体が、うねっています。濃い色の人物と、蛇の鱗の模様が、大胆に配置された、国芳の初期の代表作の一つです。
基本情報
作者は歌川国芳(1797〜1861)、制作年は、天保2年(1831)頃、形式は大判の錦絵(多色刷りの木版画)、版元は加賀屋吉右衛門(清水堂)です(大阪の万葉の館や、広島県立美術館などの展覧会リストによる)。画面の右上の題箋には、「本朝水滸傳豪傑八百人之一個」の文字と、「尾形周馬寛行」の名があり、下の落款は、「一勇斎国芳画」です。
連作について|『本朝水滸伝豪傑八百人一個』
国芳は、中国の小説『水滸伝』の豪傑たちを描いた連作『通俗水滸伝豪傑百八人之一個』で、人気を得ました。その版元の加賀屋が、次に、日本の英雄を主役に出版した連作が、この『本朝水滸伝豪傑八百人一個』です(日本語版ウィキペディアによる)。
連作は、天保元年(1830)頃に始まり、天保7年(1836)頃まで、出版されたとされます。『南総里見八犬伝』の犬士たちや、軍記物の人物だけでなく、当時、人気の読本の架空の人物も取り上げた、新しい試みでした。確認されているのは、約30図で、全体で800人という題に対し、未完に終わりました。
描かれた人物|自来也
尾形周馬寛行は、感和亭鬼武の読本『自来也説話』(1806年刊)に登場する、義賊・自来也の正体です。三好家の浪人で、盗みに入った家に、「自来也(自ら来たる也)」と書き残して去る、というのが、名の由来です。中国の宋代の盗賊、「我来也(われ来たる也)」の説話を、翻案したものとされます。
個人のブログ(龍元洞雑記帳)の要約では、自来也は、鉄砲で大蛇を撃ち殺して、異人を救い、その異人から、秘伝の術を記した巻物を受け取ります。この場面が、国芳の絵の、蛇と鉄砲に重なるとされます。
のちに、この物語を元にした合巻『児雷也豪傑譚』(1839年〜)が書かれ、蝦蟇の術を使う、児雷也が生まれます。ここでも、鉄砲で、大蛇を退治する場面があり、のちに、「児雷也・大蛇丸・綱手」の「三すくみ」の設定が、生まれました。
見どころ|大胆な構図

画面の縦いっぱいに、身を乗り出した男は、鉄砲を両手で握り、その銃身の先に、大蛇の頭が見えます。男は、髪を高く盛り上げた、芝居の役者のような顔で、険しい表情で、蛇を見据えています。羽織の胸には、白い花のような紋がつき、袖と胴は、黄、桃色、紺の甲冑で、飾られています。袴は、黄と灰色の縞に、花の模様が入っています。
蛇は、茶と橙の、細かな鱗の模様と、青と白の、横縞のある腹が、美しく描き分けられています。大きな目と、鋭い牙、赤い舌が、画面の下で、強い存在感を放ちます。
画面の上方には、版画の題箋と、物語の説明の文章が、並んでいます。「自来也」や、「越後國」といった、土地や人物の名が、読み取れますが、全文の解読は、確認できていません。
まとめ
《尾形周馬寛行》は、読本の怪奇な物語を、一枚の画面に凝縮した、国芳の初期の武者絵です。人物と、蛇の、大胆な組み合わせは、のちの、国芳の、化け物や巨大な生き物を描いた作品に、つながっていきます。
