ゴッホ《モンマルトルの風車》とは|パリの丘で、軽やかな色を試した風景

《モンマルトルの風車》(1886年)は、フィンセント・ファン・ゴッホが、パリに出てきて間もないころに、モンマルトルの丘の風車を描いた風景画です。薄い灰青色の空に、大きな羽根を広げた風車が、斜めに立ち、その手前の斜面には、菜園の柵と、赤や橙の花が、広がります。暗い色調の、オランダ時代の作品から、一歩進んで、短い筆づかいと、明るい色彩を試した、パリ時代の初期の作品です。東京のアーティゾン美術館(石橋財団)が所蔵しています。

基本情報

作者はフィンセント・ファン・ゴッホ(1853〜1890)、制作年は1886年です。技法はキャンバスに描いた油彩で、サイズは、縦48.2×横39.5cmとする資料(アーティゾン美術館の紹介記事など)と、縦46.5×横38cmとする資料(ウィキデータ、日本の絵画サイトなど)があります。カタログ番号は、F273です。画面の右下には、赤い字で、「Vincent」と署名があります。

英語の題は、「Windmills on Montmartre」で、「Le Moulin de Blute-Fin」と呼ばれることもあります。

制作の背景|パリのゴッホ

ゴッホは、1886年の早春に、オランダからパリへ出て、画商の弟テオと、モンマルトルの丘の中腹のアパルトマンで、同居を始めました。当時のモンマルトルは、まだ、風車や、菜園が残る、都市と田園の境でした。

ゴッホは、パリで、モネ、ピサロ、スーラらの、印象派や新印象派の作品に触れ、明るい色彩と、自由な筆づかいに、刺激を受けました。浮世絵にも、強い関心を寄せました。アーティゾン美術館の展覧会の紹介記事は、この作品に、印象派の筆づかいが、前方の花などに、はっきり見られると述べています。

描かれた風車

ここで描かれている風車は、モンマルトルの丘にあった、「ムーラン・ド・ラ・ギャレット」のうちの、「ブリュット=ファン(ブリュート=ファン)」と考えられます。ムーラン・ド・ラ・ギャレットは、食事と、ダンスを楽しめる、娯楽施設で、「ラデ」と「ブリュット=ファン」という、二つの風車が、敷地内にありました。この風車は、本来、小麦を挽くために建てられたもので、当時は、すでに、その機能を失い、社交場として使われていました。

ゴッホは、パリ時代に、この風車を、何度も、角度を変えて、描いています。

見どころ|画面の構成

中央の、斜めに伸びる羽根は、青灰色で、細い骨組みを持ち、その上端には、赤、白、青の小さな旗が、風にたなびいています。風車の本体は、褐色の木の板でできた、四角い塔のような形で、白い壁と、赤い屋根のような部分の上に、乗っています。右奥には、もう一基の、小さな風車が、淡く霞んで、見えます。

手前の斜面には、細かな柵が、斜めに走り、その向こうに、紅や橙色の花が、点々と咲いています。柵のそばでは、青い服の人物が、身をかがめて、菜園の手入れをしているように見えます。画面の右下には、砂色の道が、斜めに広がり、緑や、褐色の影が、重なります。

空は、白、淡い青、薄い桃色の筆の跡が、大きく流れるように、重ねられ、羽根の動きと呼応しています。画面全体は、くすんだ緑と、褐色が基調ですが、赤い花や旗が、ところどころに、明るさを加えています。

見方

ある日本の記事は、この絵が、「さわやかな明るい絵」でありながら、「どこか頼りない風情」があり、「静かだけれど不穏」だと評しています(個人の見方)。また、ゴッホは、風車を、故郷のオランダを思い出させるモチーフとして選びながら、色彩は、オランダ時代のものから、変わっていると、複数の記事が述べています。

同じ主題の作品

ゴッホには、同じ風車を描いた作品が、複数あります。《ムーラン・ド・ラ・ギャレット》(1886年、縦38.4×横46.0cm、ほか)、《ブリュット=ファンの風車》(1886年、オランダのフンダティ美術館)、《モンマルトル:風車と菜園》(1887年、ファン・ゴッホ美術館)などです。フンダティ美術館の作品は、真筆かどうかが、議論になったことがあります。

まとめ

《モンマルトルの風車》は、ゴッホが、パリで、色と筆づかいを、新しく試みはじめたころの、軽やかな風景です。後年のアルルの激しい色彩には、まだ遠いものの、ここには、ゴッホが、自分の画風を探す、青春の輝きがあります。

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