《メラヒ・メトゥア・ノ・テハーマナ》(1893年)は、ポール・ゴーギャンが、最初のタヒチ滞在(1891〜93年)の終わりに描いた、テハーマナという若い女性の肖像画です。青と白の縞模様のドレスを着た少女が、体の前で扇を持ち、こちらをまっすぐに見つめています。背後には、タヒチの女神ヒナとされる像と、イースター島の文字のような黄色い記号が並びます。シカゴ美術館が所蔵しています。
基本情報
作者はポール・ゴーギャン(1848〜1903)、制作年は1893年です。技法はジュート(黄麻)のキャンバスに描いた油彩で、サイズは、シカゴ美術館の現在の記録で、縦75×横53cmです(以前の記録は、縦76.3×横54.3cm)。収蔵番号は1980.613で、「チャールズ・ディアリング・マコーミック夫妻の寄贈」として収蔵されています。画面の下には、「P. Gauguin. / 93」の署名があり、左下には、タヒチ語で「MERAHI METUA NO / TEHAMANA」と、書き込まれています。
題名の意味
タヒチ語の題名は、「テハーマナには多くの親がいる」という意味です。タヒチには、実の親のほかに、里親にも子を委ねる習慣があり、これを指していると、シカゴ美術館は説明しています。ゴーギャンは、のちに、フランス語の題として、「テハーマナの祖先たち(Les Aïeux de Tehamana)」を使いました。これは、すべてのタヒチ人が、神々のタアロアとヒナの結びつきから生まれたという、古い信仰を示唆するとされます。
モデル|テハーマナ
テハーマナは、タヒチ人の若い女性で、ゴーギャンの「現地妻(ヴァヒネ)」と呼ばれました。シカゴ美術館は、この絵を、「13歳のタヒチの少女」の肖像だと紹介しています。英語版ウィキペディアによれば、この結婚は、1日の午後のあいだに、家族のあいだで取り決められ、完了しました。ゴーギャンは、彼女が13歳だったと、主張しています。出生証明書は、見つかっておらず、実際には、10代前半だったと、推定されます。
当時のタヒチでは、フランス人の入植者が、現地の若い女性を、「妻」とすることが、広く行われていました。多くは、未成年の少女で、結婚は、家族の取り決めで進められ、法的な拘束力は、ありませんでした。テハーマナは、自分が、現地の習慣に従った、正式な妻だと考えていたと推測されますが、ゴーギャンにとっては、一時的な取り決めでした。
見どころ|画面の読み解き

画面の中央には、テハーマナが、まっすぐ立っています。黒い髪には、白い花が飾られ、左の耳には、赤い花が、挿されています。英語版ウィキペディアは、この赤いティアレの花が、既婚を示すと述べています。顔つきは、静かで、目は、まっすぐに、こちらを見つめ、口元は、引き締まっています。
着ているのは、青と白の縞模様のドレスで、白いレースの襟がついています。これは、ヨーロッパの宣教師が、現地の女性に着せた、堅苦しい服で、タヒチが、画家の期待した、「原始的な楽園」ではなかったことを、示していると、シカゴ美術館は解説しています。手には、薄いピンク色の扇があります。シカゴ美術館は、これをサモアの扇、ダニエルソンは、編んだヤシの扇と、しています。
左下には、赤褐色の肌の像が立ち、腕を広げています。これは、女神ヒナで、その姿勢は、ヒンドゥー教の彫刻から借りたものとされます。像の足もとの下には、先の碑文があり、さらにその下に、熟した二つのマンゴーが、置かれています。マンゴーは、豊穣や、タヒチの恵みを、表すと解釈されています。
画面の上には、黄色い記号の列が、並びます。これは、イースター島の「ロンゴロンゴ」と呼ばれる文字を、まねたもので、ゴーギャンの記号は、想像によるものです。ロンゴロンゴは、今も解読されておらず、ゴーギャンは、タヒチ文化の不可解さを、強調しようとしたのかもしれないと、英語版ウィキペディアは述べています。テハーマナの肩の後ろには、二つの顔のようなものが、ぼんやりと浮かび、悪霊を表すと解釈されています。
制作と来歴
英語版ウィキペディアによれば、この肖像は、木炭の習作にもとづいており、腕の短さから、モデルを前にして、直接描いたものではない可能性があります。ゴーギャンは、1893年6月14日に、タヒチを去りました。この絵は、1895年のパリのオテル・ドルーオでの競売で、わずか300フランで売れ、のちに、友人のダニエル・ド・モンフレッドに、贈られました。ゴーギャンにとって、この絵が、思い入れのある作品だったことを、示すと考えられています。
批判的な見方
ゴーギャンの描いたタヒチの絵は、近年、植民地主義の観点から、批判的に検討されています。『ノア・ノア』で、テハーマナが、タヒチの神話を語ったという記述は、事実ではなく、フィクションだと、ダニエルソンは指摘しています。彼女は、キリスト教徒であり、昔の神話を、ほとんど知らなかったと考えられるからです。
ゴーギャンが去ったあと、テハーマナは、タヒチ人の若者と結婚し、2人の息子を持ちました。1895年に、ゴーギャンが戻ってきたとき、彼女は、一緒に暮らすことを、拒みました。1918年12月9日に、スペイン風邪で亡くなったと、死亡証明書から分かっています(ダニエルソンの調査による)。
まとめ
《メラヒ・メトゥア・ノ・テハーマナ》は、ゴーギャンが、タヒチの神々や文字を借りながら、一人の少女の姿に、西洋の視線を重ねた作品です。そこには、画家の想像と、現実の少女の姿との間の、大きな隔たりが、あります。少女のまっすぐな視線は、描かれる側と、描く側の、不均衡な関係を、今も、見る者に問いかけています。
