《オペラ座のオーケストラ》(1870年頃)は、エドガー・ドガが、パリ・オペラ座の楽団員たちを描いた、グループ肖像画で、パリのオルセー美術館が所蔵しています。画面の手前では、黒い燕尾服の楽団員たちが、楽器を演奏し、その上には、舞台で踊る踊り子の脚と、チュチュだけが、明るく浮かび上がっています。踊り子ではなく、音楽家を主役にした構図が、ドガの転機となった作品です。
基本情報
作者はエドガー・ドガ(1834〜1917)、制作年は1870年頃です。技法はキャンバスに描いた油彩で、サイズは縦56.5〜56.6×横46cm(額縁を含めると縦78×横69cm)。パリのオルセー美術館(収蔵番号RF 2417)に所蔵されています。1868〜69年の作とする資料もあります。画面の右側、椅子の近くには、「Degas」の署名が見えます。
制作背景|バスーン奏者の友人
この絵は、パリ・オペラ座管弦楽団の、バスーン(ファゴット)奏者、デジレ・ディオーの注文によって描かれたと考えられています(フランス語版ウィキペディアは、「おそらく注文主」としています)。ディオーは、ドガの友人で、ドガをオペラ座に紹介した人物でもあります。ドガは、のちに、オペラ座の踊り子を、何度も描くことになります。
フランス語版ウィキペディアは、この絵が、ドガにとって、家族以外の人々を描いた、最初の集団肖像画で、「集団のなかの一人の肖像」とも呼べると述べています。ドガの家族は、それまで、彼の芸術に半信半疑でしたが、完成した絵が、ディオーに渡され、リールで展示されたとき、「あなたのおかげで、彼はようやく、本当の絵画を、描き上げた」と述べたと伝えられます。
見どころ|楽団員の顔

画面の中央では、バスーンを吹く男が、横顔を見せて、前傾しています。口髭を生やし、白いシャツと白い蝶ネクタイを着け、バスーンの先から出る、曲がった金属管に、口をつけています。彼がディオーです。
その後ろ、画面の左には、頬髯のある男が、チェロを持って、こちらを見ています。オルセー美術館のサイトは、このチェロ奏者を、ルイ=マリ・ピレとしています。さらに、後ろの列には、髭を生やした男たちが、バイオリンや木管楽器を、それぞれの顔つきで、演奏しています。
右の端には、コントラバスの渦巻き型の頭部が、画面の上へ伸び、その奥で、黒い服を着た男が、背を向けて、楽器を弾いています。手前には、赤い板の背もたれの、木の椅子が、空いたまま置かれています。
楽団員たちの名前
オルセー美術館のサイトは、この絵に描かれた人物として、デジレ・ディオー、エマニュエル・シャブリエ、ルイ=マリ・ピレ、ロレンツォ・パガンス、アレクサンドル・ピオ=ノルマン、ピヨ博士などを挙げています。ウィキペディアは、描かれた人物として、ほかに、ジョゼフ=アンリ・アルテス、アシル・グフェなどを挙げ、楽団員は、14人としています。
どの人物が、誰にあたるかは、バスーン奏者(ディオー)とチェロ奏者(ピレ)以外は、確認できていません。
見どころ|切り取られた踊り子
画面の上には、舞台で踊る踊り子の、チュチュと脚だけが、見えます。左では、桃色のチュチュ、右では、青緑のチュチュが、下から強い光を受けて、浮かび上がっています。顔や上半身は、画面の外に切られています。
これは、観客席にいる人の目線で見た、光景です。ウィキペディアによれば、この絵は、ドガの作品のなかで、オペラ座の踊り子が、初めて登場した例です。左上の隅には、桟敷席にいる観客の顔も、小さく見えます。
大胆に切り取られた構図と、暗い楽団席と、明るい舞台の対比は、のちの、ドガのオペラ座の絵の出発点となりました。
影響と日本での展示
ロートレックは、この絵を深く賞賛し、1890年代に、ディオーの肖像を、リトグラフで制作しています(「Pour toi!」は、この絵に着想を得たもの)。日本では、1996年に東京都美術館で開かれた「モデルニテ—パリ・近代の誕生 オルセー美術館展」に出品されたと、個人のブログが述べています。
来歴
この絵は、デジレ・ディオーの所蔵を経て、彼の妹マリ・ディオーのもとにありました。1923年に、国立美術館が、マリ・ディオーから、本人の生存中の使用権を留保したうえで、購入しました。1935年から1947年にかけて、ルーヴル美術館の所属となり、のちにオルセー美術館に移りました。
まとめ
《オペラ座のオーケストラ》は、舞台の華やかさの陰にいる、音楽家たちを描いた作品です。暗い楽団席に並ぶ、一人ひとりの顔と、頭上で光る踊り子の脚。その対比が、ドガの観察眼と、近代的な構図の感覚を、よく表しています。
