《浜辺の騎手たち》(1902年)は、ポール・ゴーギャンが、亡くなる前年に、マルキーズ諸島のヒヴァ・オア島で描いた作品です。鮮やかなピンクの砂浜に、馬に乗った人々が、思い思いの向きに散らばり、その背後には、青い海が広がっています。ゴーギャンは、同じ主題で、2点の作品を残しており、掲載の図は、そのうちの横長の大きな版(II)と思われます。
基本情報
作者はポール・ゴーギャン(1848〜1903)、制作年は1902年、制作地はヒヴァ・オア島です。技法はキャンバスに描いた油彩で、サイズは縦73×横92cm(縦75×横92.5cmとする資料もあります)。所蔵は、ギリシャの、スタヴロス・ニアルコス・コレクションです。署名と年は、画面の左下に、「Paul Gauguin 1902」と入っています。原題は「Cavaliers sur la plage (II)」で、日本語では《浜辺の騎手II》《海辺の騎手たち》とも呼ばれます。
2点の作品
ゴーギャンは、1902年に、浜辺の騎手の場面を、2点描きました。一つは、エッセンのフォルクヴァング美術館にある、縦66×横76cmの《浜辺の騎手I》です。もう一つが、本作で、より大きく、構図も異なります。
WGA(ウェブ・ギャラリー・オブ・アート)は、ヒヴァ・オア島に移った後、ゴーギャンが、馬と騎手の主題に戻り、2点の作品を、パリの競馬場の場面を描いたドガに、明らかに影響を受けて描いたと解説しています。
制作背景|ヒヴァ・オア島
ゴーギャンは、1901年9月、タヒチから、さらに遠いマルキーズ諸島のヒヴァ・オア島に移り、アトゥオナに住み始めました。1902年には、健康が悪化し、足の痛みや、視力の衰えに苦しんでいました。
フランス語の解説は、この2点の騎手の絵が、ヒヴァ・オア島の、サンゴの粉で赤く染まった砂浜を舞台にしていると述べています。島には、タヒチよりも馬が多く、馬に乗る場面は、日常の光景だったと考えられます。
見どころ|ピンクの砂浜

画面の下半分以上を占めるのは、鮮やかなピンクと、淡い紫の砂浜です。絵具は、薄く、軽く塗られ、ところどころに、青や紫の筆の跡が見えます。砂浜の向こうには、濃い青の海が、一本の帯のように広がり、白い波頭が、立っています。空は、青と白の雲が、筆の跡を残しながら、広がっています。左の端には、細い木の幹が、数本、立っています。
その上に、人と馬が、散らばっています。左には、白い衣をまとった人物が、黒褐色の馬に乗り、海のほうへ、背を向けています。そのすぐ前に、上半身をあらわにして、橙色の布を腰に巻いた人物が、立っています。中央には、背を向けた二人の騎手が、海へ向かって進み、右の奥では、黄色と橙色の頭巾をかぶった二人が、灰色や緑がかった馬で、駆けています。右の手前では、頭に白い帯を巻き、上半身をあらわにした青年が、赤茶色の馬に乗って、こちらを向いています。
謎めいた画面
WGAは、横向きの二人の騎手が、水平線と平行に動き、他の騎手の進行をさえぎっているため、この絵が、いくぶん謎めいたものになっていると述べています。
別の解説は、騎手たちが、それぞれ全く無関心に、ばらばらの向きを向いており、顔は簡略化されて、内面を読み取れないと指摘しています。また、砂浜に、ピンクと青を使うことで、日常の光景に、非日常的な意味が与えられ、神秘性が生まれていると述べています。
フォルクヴァング美術館のコレクション解説は、《浜辺の騎手I》について、アルブレヒト・デューラーの『騎士と死と悪魔』(1513年)への言及もあると述べています。ゴーギャンは、この版画を、最晩年の手記『前と後』の表紙に貼っていました。
まとめ
《浜辺の騎手たち》は、ゴーギャンが最期の地で、ドガの記憶と、目の前の島の光景を、一つの画面に重ねた作品です。ピンクの砂浜と、互いに交わらない騎手たち。その静かな不思議さが、人生の終わりに近づいた画家の、澄んだ視線を伝えています。

