葛飾北斎『百物語 こはだ小平二』とは|蚊帳の上から覗き込む、半ば骸骨になった役者の亡霊

『百物語 こはだ小平二』は、葛飾北斎が、怪談シリーズ『百物語』の一図として描いた錦絵です。暗い闇のなかから、半ば骨になった顔が、赤い縁の蚊帳を押し下げるようにして、こちらを覗き込んでいます。骨だけの指が、蚊帳の縁に鉤のようにかかり、飛び出した目が、じっと見据えています。恐ろしい姿でありながら、どこか滑稽さも漂う、北斎の化物絵の代表作です。

基本情報

作者は葛飾北斎(1760?〜1849)、制作は、天保2〜3年(1831〜32年)頃とされます。形式は中判の錦絵で、サイズは縦26.1×横18.4cm前後です。版元は鶴屋喜右衛門、落款は「為一」です。画面の右上には、題と、シリーズ名が記された札が見えます。東京国立博物館、島根県立美術館、すみだ北斎美術館などに所蔵されています。

物語|小幡小平次の亡霊

題材は、山東京伝が著した『復讐奇談安積沼』(1803年)に登場する、役者の小幡小平次です。小平次は、初代尾上松助の門下の旅役者でした。芸は上手くなかったものの、幽霊の役だけは、不思議なほど巧みだったと語られます。

物語のなかで、小平次は、後妻のお塚と密通していた、鼓打ちの安達左九郎に謀られ、安積沼に沈められて殺されます。江戸に戻ると、死んだはずの小平次が、亡霊となって現れ、さまざまな怪異が起こります。小平次が幽霊の役に巧みだったため、周囲の人々は、彼が死んだことに、なかなか気づかなかった、というあらすじです。

北斎が描いたのは、その小平次の亡霊が、妻と間男が寝ている蚊帳の外から、中を覗いている場面とされています。

見どころ|蚊帳の上の顔

画面の上部から、顔が、斜めにせり出しています。顔は、画面の下半分を占め、大きな目が、こちらを見つめています。眼球は、飛び出したように丸く、赤い血筋が、白目に走っています。鼻は崩れ、歯がむき出しになり、顎の骨が、はっきり見えています。

その顔の下には、赤い縁をつけた蚊帳が、画面の対角線に沿うように垂れています。縁には、白い小さな丸が並んでいます。骨だけの長い指が、その縁に、爪のようにかかり、蚊帳を押し下げています。蚊帳は、江戸の夏の風物で、怪談が語られる季節を思わせます。

背景は、青緑がかった濃い闇で、そのなかに、淡い赤や灰色の、ゆらめく筋が、左下に立ちのぼっています。これらが、煙なのか、霊の気配なのかは、画面だけでは判断できません。

見どころ|肉の残る髑髏

骸骨といっても、完全に白骨化してはいません。頭部には、皮膚と髪が残り、画像でも、右の頬や額には、肉の色が見えます。左側は、骨と筋肉がむき出しになり、頭蓋骨の割れ目も見えます。死んで間もない亡霊を、思わせる描き方だと指摘されています。

北斎は、このころ、千住の接骨医、名倉直賢のもとで、患者を写生し、骨格や筋肉の知識を得たと伝えられます。杉田玄白の『解体新書』など、医学書の影響も、指摘されています。

骨の描写をめぐって

この骸骨の骨の描写には、解剖学の研究者から、いくつかの指摘がなされています。額の中心から頭頂へ走る前頭縫合は、加齢とともに消えるはずなのに描かれている、口のなかの歯の数が多すぎる、眉間や乳様突起に女性的な特徴が見られる、といった点です。顎の骨も、成人にしては華奢で、下顎枝が極端に小さい、とされます。

こうした特徴が、亡霊の異様さを強めるための意図的な演出なのかは、分かっていません。作家の原島広至は、幽霊らしさを出すために、あえて、新生児の頭蓋骨の特徴を用いたのではないか、と述べています。

評価と後世への影響

『百物語』は、全100図の予定でしたが、確認されているのは5図(「さらやしき」「笑ひはんにや」「お岩さん」「こはだ小平二」「しうねん」)で、途中で中断したと見られます。美術史家の安村敏信は、5図のなかでは、「さらやしき」と本作を、特に出来がよいものと評しています。ただし、読本の挿絵のころにあった、生々しさや熱っぽさは薄れ、「乾いた恐怖」の世界に達した、とも述べています。

この図は、のちの絵師にも刺激を与えました。幕末の浮世絵師、落合芳幾は、本作から着想を得て、『百もの語 小幡小平治』の図を制作しています。

まとめ

『百物語 こはだ小平二』は、江戸の怪談を、蚊帳と、骸骨の顔という、単純な構図に凝縮した作品です。怖さと可笑しさが、紙一重のところで、同居しています。その後、小平次が、多くの怪談や芝居で語り継がれていくなかで、北斎のこの一枚は、その姿を決定づけた図像の一つとなりました。

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