パリのオランジュリー美術館に、犬を膝に乗せた女性が夢見るような表情で座る肖像画がある。《ココ・シャネルの肖像(仏:Portrait de Mademoiselle Chanel)》と題されたこの絵は、フランスの画家マリー・ローランサンが1923年に手がけたものだ。だがこの絵は、依頼主であったシャネル本人によって、完成後にきっぱりと拒絶されている。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | マリー・ローランサン(1883〜1956) |
| 制作年 | 1923年 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| 所蔵 | オランジュリー美術館(パリ) |
バレエ・リュスを介した出会い
ローランサンとシャネルが出会ったのは、セルジュ・ディアギレフ率いるバレエ・リュス(ロシア・バレエ団)の仕事を通じてのことだった。ローランサンはプーランクの音楽による『牝鹿』の舞台美術を手がけており、シャネルは同じ劇団の『青列車』の衣装デザインを担当していた。当時すでに名の知れた舞台美術家だったローランサンに、シャネルは自身の肖像画の制作を依頼した。奇しくもこの1923年は、後に女性の装いのあり方を大きく変えることになる「シャネル・スーツ」が初めて世に発表された年でもある。
完成した肖像を拒んだシャネル
出来上がった肖像画では、シャネルは夢見るような、けだるい表情で椅子に腰掛け、右腕に頭をもたせかけている。膝の上には小さな白い犬(ポメラニアン、あるいはプードルとされる)が乗せられ、画面右手では、もう1匹の大きな犬が、天から舞い降りてくる1羽の鳩に向かって飛びかかろうとしている。緑・青・ピンクを基調とした柔らかな色彩の調和が、首元に巻かれた1本の黒いスカーフの曲線によって引き締められている。
しかしシャネル本人は、この絵が自分に似ていないとして受け取りを拒み、代金を支払うこともなかった。激怒したローランサンは、描き直しに応じることを拒否し、この絵をそのまま自らの手元に留め置くことになった。
見どころ

けだるく崩れた衣の肩
シャネルの肩からは、まとった衣がずり落ちるようにして胸元があらわになっている。この官能的とも言える無防備な描写は、当時のシャネルが公の場で見せていた、隙のない厳格なイメージとは対照的だ。
膝に抱かれた小さな犬
シャネルの膝には、白い毛並みの小さな犬がちょこんと乗せられている。かつての肖像画で貴婦人や高級娼婦が愛玩犬を抱く伝統的な図像を思わせるこの犬の存在が、画面に親密で私的な雰囲気を添えている。
鳩に飛びかかろうとする大きな犬
画面右側では、もう1匹の大きな犬が、舞い降りてくる鳩に向かって跳びかかろうとしている。この鳩は聖霊を象徴する伝統的な図像を思わせ、あるいは自由の象徴として描かれたのではないかとも解釈されている。
柔らかな色彩とうねる輪郭線
画面全体は、くっきりとした輪郭よりも、ゆるやかにうねる曲線と、けぶるような色彩によって構成されている。この柔らかな様式は、ローランサンがかつて身を置いていたキュビスムからは大きく距離を置いた、彼女独自の成熟した画風を体現している。
実際に見るには
本作はパリのオランジュリー美術館に所蔵されている。なお本作は、後年デザイナーのカール・ラガーフェルドが、シャネルのランウェイ・コレクション(2009年春プレタポルテ、2011年春オートクチュール)の着想源として参照したことでも知られている。かつて依頼主本人に拒絶された1枚が、皮肉にもシャネルというブランドそのもののイメージ形成に影響を与えることになったのは、興味深い巡り合わせだと言える。
FAQ
Q. 《ココ・シャネルの肖像》はどこで見られますか?
パリのオランジュリー美術館に所蔵されている。
Q. なぜシャネルはこの肖像画を拒絶したのですか?
自分に似ていないと感じたためとされ、代金の支払いも拒んだと伝えられている。
Q. ローランサンとシャネルはどうやって知り合ったのですか?
セルジュ・ディアギレフのバレエ・リュスの仕事を通じて、同じ社交圏のなかで出会ったとされている。
Q. なぜ2匹の犬と鳩が描かれているのですか?
膝の犬は親密さを、跳びかかる犬と鳩は自由や聖性を思わせる象徴として描かれたのではないかと解釈されている。
Q. マリー・ローランサンはどんな画家でしたか?
数少ない女性キュビスム画家の1人として出発しながら、後に柔らかく独自の様式を確立し、社交界の女性たちの肖像画で知られるようになったフランスの画家である。
まとめ
《ココ・シャネルの肖像》は、依頼主本人から拒絶されながらも、画家の手元に留め置かれ続けた1枚だ。けだるく崩れた衣と柔らかな色彩。シャネルが公の場では決して見せなかったもう1つの表情を、ローランサンはこの絵に捉えていたのかもしれない。
