岐路に立つ騎士とは|ヴァスネツォフが石碑に刻んだ運命の選択

サンクトペテルブルクの国立ロシア美術館に、夕暮れの荒野で立ち止まる1人の騎士を描いた油彩画がある。《岐路に立つ騎士(露:Витязь на распутье、英:The Knight at the Crossroads)》と題されたこの絵は、ロシアの画家ヴィクトル・ヴァスネツォフが1882年に完成させた作品だ。ロシアの叙事詩に登場する英雄が、進むべき道を選ばされるという古い民話の一場面を、実在の歴史そのままのように描き出している。

基本情報

項目内容
作者ヴィクトル・ヴァスネツォフ(1848〜1926)
制作年1882年(最終版。初版は1878年)
技法・素材油彩・カンヴァス
所蔵国立ロシア美術館(サンクトペテルブルク)

ブィリーナに登場する英雄イリヤー・ムーロメツ

この絵の主題は、ロシアに古くから伝わる英雄叙事詩(ブィリーナ)の1つ「イリヤー・ムーロメツと盗賊たち」、あるいはより広く「イリヤー・ムーロメツの3つの旅」と呼ばれる物語群に由来するとされている。イリヤー・ムーロメツはロシア民話における代表的な勇者(ボガトィリ)で、旅の途中で3つの道のいずれかを選ばねばならないという場面が、この絵のモチーフになっている。

弟の協力を得ながらの制作

ヴァスネツォフは1870年代初頭からこの主題に取り組む素描や下絵を残しており、1877年には弟のアポリナリー・ヴァスネツォフの協力を得て「鎖帷子と兜の戦士」と題する習作を制作している。最初の完成版は1878年、移動展覧会協会(ペレドヴィジニキ)による第6回展に出品された。現在この初版はセルプホフ歴史芸術博物館に所蔵されている。今回取り上げるのは、その後1882年に美術収集家サッヴァ・マモントフのために描き直された最終版で、こちらが現在のロシア美術館の所蔵作品にあたる。

石に刻まれた運命の選択

画面右手には、苔むした石碑がキリル文字の古い書体で何かを刻んでいる。ヴァスネツォフ自身が批評家ヴラジーミル・スターソフへ宛てた手紙のなかで、この碑文の内容を明かしている。それによれば、まっすぐ進めば命はなく、旅人にも通行人にも、飛ぶ鳥にすらも道はないという警告が刻まれているという。一方、右へ進めば妻を娶ることになり、左へ進めば富を得られるという、もう2つの選択肢を示す文言もあったとされるが、画家自身がそれを苔の下に意図的に隠すように描いたと語っている。

この、まっすぐ進めば死、右は結婚、左は富(ただし馬を失う)という3つの選択肢を石碑に刻むという構成は、ロシアの英雄叙事詩に繰り返し登場する伝統的なモチーフである。ヴァスネツォフはこれを単なる寓話としてではなく、実際に起きた歴史的な出来事であるかのように、時代考証に基づいた鎧や武具を身にまとった騎士として描き出している。

見どころ

白馬にまたがり項垂れる騎士

画面中央には、兜と鎖帷子に身を包んだ騎士が、白馬にまたがったまま項垂れるように石碑を見つめている。手にした赤い槍はだらりと地面に向けて下ろされており、その姿からは、進む道を選びかねる重い逡巡が伝わってくる。

明暗を対比させる光と黒い鴉

白馬にまたがる騎士の明るい姿と、石碑の上を舞う黒い鴉との対比が、画面全体に光と闇のコントラストを生み出している。この対比は、単なる色彩上の効果にとどまらず、騎士が置かれた運命の不吉さを暗示する装置としても機能している。

地面に散らばる頭蓋骨と骨

画面手前には、動物や人間のものと思われる頭蓋骨や骨が、草むらのなかに無造作に散らばっている。この光景が、石碑に刻まれた警告の言葉を無視して進んだ者たちの末路を、無言のうちに物語っている。

どこまでも広がるロシアの荒野

騎士の背後には、地平線まで途切れることなく広がる荒野が描かれている。この果てしない広がりが、画面に叙事詩的なスケール感を与え、騎士の孤独をいっそう際立たせている。

実際に見るには

本作(1882年版)はサンクトペテルブルクの国立ロシア美術館に所蔵されている。同じ主題を描いた1878年の初版はセルプホフ歴史芸術博物館に所蔵されており、あわせて見比べることで、ヴァスネツォフがこの構図をどのように練り直していったかをたどることができる。

FAQ

Q. 《岐路に立つ騎士》はどこで見られますか?
1882年の最終版は国立ロシア美術館に、1878年の初版はセルプホフ歴史芸術博物館に、それぞれ所蔵されている。

Q. この絵はどんな物語に基づいていますか?
ロシアの英雄叙事詩に登場する勇者イリヤー・ムーロメツの旅にまつわる民話が題材とされている。

Q. 石碑には何が書かれているのですか?
まっすぐ進めば命がないという警告が刻まれ、右へ進めば結婚、左へ進めば富を得るという文言も苔の下に隠すように描かれている。

Q. なぜ2つのバージョンが存在するのですか?
1878年に最初の完成版が発表された後、1882年に収集家サッヴァ・マモントフのために描き直された版が制作されたためである。

Q. ヴァスネツォフはどんな画家でしたか?
ロシアの神話や歴史を主題とした作品で知られ、移動展覧会協会の一員としても活動した画家である。

まとめ

《岐路に立つ騎士》は、ロシアの英雄叙事詩に伝わる運命の選択という場面を、実在の出来事であるかのような時代考証のもとで描き出した1枚だ。石碑に刻まれた警告と、地に散らばる骨、そして項垂れる騎士の姿が織りなすこの静けさこそ、進むべき道を選びかねる者の重い孤独を、果てしない荒野とともに何より雄弁に伝えている。

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