《山と海》とは|フランケンサーラーが編み出した染み込む絵画

《山と海(英:Mountains and Sea)》は、アメリカの画家ヘレン・フランケンサーラーが1952年、23歳のときに手がけた油彩画で、現在はワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートに長期貸与され展示されている。絵具を垂らして描くというジャクソン・ポロックのやり方に影響を受けながら、彼女はそこにまったく別の質感を持ち込んだ。今回はこの絵がどうやって生まれたのか、そして「ソーク・ステイン」と呼ばれる技法がその後の美術にどんな波紋を広げたのかを見ていく。

目次

基本情報

項目内容
作者ヘレン・フランケンサーラー(1928〜2011)
制作年1952年
技法・素材油彩・木炭、無地の未処理カンヴァス
サイズ約220×297.8cm
所蔵ヘレン・フランケンサーラー財団(ナショナル・ギャラリー・オブ・アートに長期貸与)

一言でいうと

絵具を塗るのではなく、カンヴァスに染み込ませる。23歳の画家がその発想ひとつで、その後のアメリカ抽象絵画の流れを変えてしまった一枚。

制作背景

ノヴァスコシアへの旅

この絵の着想は、フランケンサーラーが1952年に訪れたノヴァスコシア州ケープ・ブレトンの海岸風景から得られたとされている。山と海が出会う荒々しい景色を目の当たりにした経験が、帰京後にこの大きなカンヴァスへと結実した。

ポロックとの出会いから生まれた技法

この絵を語るうえで欠かせないのが、1951年にニューヨークのベティ・パーソンズ画廊で見たジャクソン・ポロックの黒白の絵画との出会いだ。イーゼルを使わず床に広げたカンヴァスに絵具を垂らすポロックのやり方に触発されたフランケンサーラーは、そこに独自の工夫を加えた。テレピン油で油絵具を大きく薄め、下地処理をしていないカンヴァスに直接染み込ませるという「ソーク・ステイン(浸透染色)」の技法を、この絵で初めて実践したのである。ワイパーやスポンジ、木炭による輪郭線を使いながら絵具の溜まりを操るその制作過程は、ポロックの激しい身振りとは違う、もっと呼吸に近い柔らかさを画面にもたらした。

発表当初は不評だった初公開

完成した絵は当初あまり評価されず、フランケンサーラー自身がこの縦7フィート・横10フィートもの大作を自分のアトリエへ持ち帰らざるを得なかったという。しかしその後、批評家クレメント・グリーンバーグに連れられて彼女のアトリエを訪れた画家モリス・ルイスとケネス・ノーランドがこの絵に強い衝撃を受け、彼ら自身もソーク・ステインの技法を取り入れるようになる。ルイスはのちに、この絵を「ポロックと、その先に可能になるものとの架け橋」だったと評したと伝えられている。

見どころ

山と海を思わせる抽象の形

画面には青、緑、ピンク、白といった色彩が、輪郭のはっきりしない有機的な形として広がっている。淡い緑の縁が青い帯へと下りていく部分は、切り立った岩場が水面と出会う海岸線のようにも読み取れ、抽象でありながらどこか風景画のような気配を残している。

カンヴァスの織り目が生む平面性

絵具がカンヴァスの繊維に染み込むことで、色面は塗り重ねられた層としてではなく、カンヴァスそのものと一体化したものとして現れる。この結果、色彩は宙に浮かぶように透明感を帯び、織り目そのものが画面の平面性を強調する役割を果たしている。

にじみが生む輪(ハロー)効果

絵具が染み込む際、塗られた部分の周囲にうっすらとした輪、いわゆるハロー効果が生まれることがある。この偶発的なにじみが、画面全体にとどまることのない揺らぎと運動感を与えており、フランケンサーラーの制作における即興性をそのまま留めている。

その後の展開

《山と海》で編み出されたソーク・ステインの技法は、モリス・ルイスやケネス・ノーランドを通じて「カラーフィールド・ペインティング」という新たな潮流を生み出す原動力になった。フランケンサーラー自身も1950年代後半にかけて、テレピン油で薄めた油絵具から、水で薄めたアクリル絵具へと素材を移行させながら、より大きな色面を扱う制作を続けていった。

実際に見るには

本作はヘレン・フランケンサーラー財団の所蔵作品であり、1989年以降ワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートに長期貸与され、常設展示されている。下地処理をしていないカンヴァスに直接絵具を染み込ませているという制作方法上の脆さから、同館では継続的な保存管理が行われている。

よくある誤解

この絵はしばしば「偶然の産物」として語られがちだが、実際には絵具の希釈度や道具の選び方まで含めて、フランケンサーラー自身が意図的に作り上げた技法の産物である。即興性と綿密な制作判断が同居している点こそ、この絵の核心といえる。

FAQ

Q. 《山と海》はどこで見られますか?
ワシントンのナショナル・ギャラリー・オブ・アートに長期貸与され、常設展示されている。

Q. 「ソーク・ステイン」とはどんな技法ですか?
テレピン油で薄く溶いた絵具を、下地処理をしていないカンヴァスに直接染み込ませる技法で、この絵で初めて用いられたとされる。

Q. この絵はどんな景色から着想を得たのですか?
1952年にフランケンサーラーが訪れたノヴァスコシア州ケープ・ブレトンの海岸風景がもとになっているとされる。

Q. 発表当初の評価はどうだったのですか?
当初はあまり評価されず、大きなカンヴァスを画家自身がアトリエへ持ち帰ることになったと伝えられている。

Q. この絵はその後の美術にどんな影響を与えましたか?
モリス・ルイスやケネス・ノーランドがこの技法に触発され、カラーフィールド・ペインティングという新たな潮流が生まれるきっかけになった。

まとめ

《山と海》は、絵具を「塗る」のではなく「染み込ませる」という発想の転換だけで、その後のアメリカ抽象絵画の地図を書き換えてしまった一枚だ。23歳の画家が海岸で見た景色は、キャンバスの繊維そのものに溶け込む形で、今もその柔らかな揺らぎを保ち続けている。

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