《盲人の治癒》とは|ドゥッチョが描いた「マエスタ」の一場面

《盲人の治癒(英:The Healing of the Man born Blind)》は、シエナ派の画家ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャが1307年から1311年ごろに手がけたテンペラ画で、現在はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。もともと一枚の絵として独立していたわけではなく、シエナ大聖堂の巨大な祭壇画「マエスタ」を構成していたパネルの一部だ。今回はこの絵がどのような文脈で描かれたのか、そして小さな画面に凝縮された物語の仕掛けについて見ていく。

目次

基本情報

項目内容
作者ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(1255頃〜1319以前)
制作年1307〜1311年ごろ
技法・素材テンペラ・板
サイズ45×47cm
所蔵ナショナル・ギャラリー(ロンドン)収蔵番号NG1140
主題新約聖書「ヨハネによる福音書」に基づく奇跡譚

一言でいうと

同じ人物を一枚の画面のなかに2度描くことで、治療の前と後という時間の経過をひと目でわからせてしまう。そんな語りの工夫が詰まっているのが、ドゥッチョのこの小さなパネル画だ。

制作背景

「マエスタ」というモニュメント

この絵はもともと単体の作品ではなく、シエナ大聖堂の主祭壇のために制作された「マエスタ」という巨大な両面祭壇画の一部だった。5段構成、両面に絵が描かれたこの祭壇画は、完成当時としては最も大規模で複雑な祭壇画の一つとされている。《盲人の治癒》は、その最下段にあたるプレデッラ部分、しかも裏面に配置されていたパネルの一枚にすぎない。

キリストの布教活動を描く連作の一場面

祭壇画の裏側のプレデッラには、キリストの布教活動にまつわる場面が連作として並んでいた。このパネルは、おそらく全9場面のうち7番目に位置していたと考えられており、前には「キリストとサマリアの女」、後には「キリストの変容」が続く構成になっていた。18世紀にプレデッラがばらばらに切り分けられる以前は、このパネルに描かれた治癒後の盲人の視線の先に、隣の「キリストの変容」の場面が続いていたという。

工房での分業制作

ドゥッチョはこの絵を一人で仕上げたわけではなく、複数の画家からなる工房の力を借りて制作した。人物像や建築の下描きはドゥッチョ自身が手がけたものの、建築部分の仕上げは弟子の一人が定規を使って直線を刻み込む形で完成させたとされ、その痕跡は今も注意深く見れば画面に確認できるという。

見どころ

File written by Adobe Photoshop¨ 5.0

泥を塗るキリストの手つき

画面中央、キリストは泥と自らの唾液を混ぜたものを盲人の目にそっと塗りつけている。「ヨハネによる福音書」に記されたこの奇跡の場面を、ドゥッチョは決して大げさにせず、静かな手の動きとして描き出している。

同じ人物が2度登場する構成

この絵の面白さは、治療を受ける盲人の姿が画面のなかに2度描かれている点にある。中央でキリストから泥を塗られる場面と、画面右端で泉の水に顔を洗い、杖を落として空を見上げる場面。ひとつの画面のなかに「治療前」と「治療後」という時間の流れを同時に描き込むことで、奇跡が起きた瞬間の変化を鮮やかに伝えている。

弟子たちの群像と表情

画面左側には、キリストの後ろに寄り添うように弟子たちの一団がひしめき合っている。それぞれ異なる色の衣をまとった人物たちの表情や仕草には個性があり、単なる背景の添え物ではなく、物語を見守る観客としての役割を担っている。

童話のような城壁の街並み

画面上部の3分の2ほどを占めるのは、胸壁を備えた塔や連続するアーチが並ぶ都市の景観だ。その精緻な建築表現は、まるで子ども向けのおとぎ話に出てくる城のような趣きを持っており、ドゥッチョが物語の舞台装置にも並々ならぬ関心を注いでいたことがうかがえる。

実際に見るには

本作はロンドンのナショナル・ギャラリーに所蔵されている。1883年にフィレンツェの美術商チャールズ・フェアファックス・マレーから購入されたという記録が残っており、隣に配置されていた「キリストの変容」も同じくナショナル・ギャラリーで見ることができる。かつて一枚の祭壇画としてつながっていた場面同士を見比べることで、「マエスタ」全体の構成を思い描くことができる。

よくある誤解

この絵はしばしば単独の宗教画として鑑賞されがちだが、もとは巨大な両面祭壇画の一部であり、しかもプレデッラという目立たない最下段、さらにその裏面に位置していた作品である。単体で完結した物語ではなく、連作全体の文脈のなかで初めて本来の意味が見えてくる絵だといえる。

FAQ

Q. 《盲人の治癒》はどこで見られますか?
ロンドンのナショナル・ギャラリー(NG1140)に所蔵されている。

Q. この絵はもともと何のために描かれたのですか?
シエナ大聖堂の主祭壇のために制作された「マエスタ」という巨大な両面祭壇画のプレデッラ部分の一枚として描かれた。

Q. なぜ盲人が2度描かれているのですか?
治療を受ける瞬間と、治療後に視力を取り戻して空を見上げる瞬間という、時間の異なる2つの場面を一枚の画面に同時に描き込んでいるためである。

Q. ドゥッチョ一人で描いたのですか?
いいえ。人物や構図の下描きはドゥッチョが手がけたが、建築部分の仕上げは工房の弟子が担当したとされている。

Q. 隣にあった場面は何ですか?
「キリストの変容」で、こちらも同じくナショナル・ギャラリーに所蔵されている。

まとめ

《盲人の治癒》は、小さな一枚の板絵でありながら、時間の経過を同一画面に描き込むという語りの工夫と、工房制作ならではの分業の痕跡を併せ持つ作品だ。かつて連なっていた「マエスタ」全体の姿を思い浮かべながら見ると、この小さなパネルの見え方もまた変わってくる。

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