《清明上河図》(せいめいじょうかず)は、中国北宋末期の宮廷画家・張択端が手がけたとされる絹本の画巻で、現在は北京の故宮博物院に所蔵されています。北宋の都・開封(汴京)を流れる汴河の両岸に広がる街の賑わいを、800人近い人々とともに精緻に描き込んだこの作品は、中国絵画史を代表する傑作の一つであり、国外への持ち出しが禁じられた文物にも指定されています。この記事では、画面に描かれた見どころと、この絵が20世紀にたどった数奇な運命を見ていきます。
《清明上河図》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | 張択端(北宋末期の宮廷画家) |
| 制作年 | 12世紀初頭(徽宗朝) |
| 技法・素材 | 絹本・淡彩(手巻) |
| サイズ | 縦24.8×横528cm |
| 所蔵 | 故宮博物院(北京) |
| 主題 | 開封(汴京)の清明節前後の賑わい |
一言でいうと
《清明上河図》は、北宋の都・開封の日常と繁栄を、あたかも空から見下ろすように連続した一巻の絵巻に収めた作品です。橋や船、店先や路上に描き込まれた無数の人々の営みそのものが、当時の都市の姿を伝える貴重な資料にもなっています。
制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか
開封という都市を描く
本作は、北宋の都・開封(汴京)の東南部にあたる東角子門の内外と、汴河両岸の賑わいを主題としています。「清明」の時節、すなわち春たけなわの季節に、都の人々が行楽に繰り出し街が最も活気づく様子が描かれています。画面は大きく3つの場面に分けられ、郊外の田園風景に始まり、汴河と有名な橋の場面を経て、最後に城内の商店が立ち並ぶ街路の描写へと展開していきます。
800人近い人物と職業の描き分け
画中には、役人、召使い、行商人、車夫、職人、講釈師、床屋、医者、占い師、身分の高い婦人、行脚僧、いたずら好きの子ども、さらには物乞いまで、実にさまざまな身分と職業の人々が描き込まれています。輿や駱駝の隊列、牛車や驢馬車、人力車といった当時の交通手段も克明に再現されており、単なる風景画にとどまらない、都市の生活誌としての価値を持っています。
見どころ徹底解説

虹橋というランドマーク
画面中央部の見どころは、汴河に架かる「虹橋」と呼ばれる橋です。橋脚を使わず、木材を互い違いに組み合わせ縄で結び合わせるだけで、釘を一本も使わずに架けられたこの橋は、当時の木造建築技術の粋を集めたものでした。その優雅な弧を描く姿から「虹のような橋」を意味する虹橋の名がつけられています。橋の上には露店が並び、人や馬、輿、荷担ぎの人々が行き交う、画巻全体でも屈指の賑わいを見せる場面です。
橋の下で起きるひやりとする一幕
虹橋の下では、一艘の客船が橋にぶつかりそうになる緊迫した場面が描かれています。船頭たちが船を橋に近づける作業に気を取られ、まだ帆柱を倒していないことに気づかず、橋の上の人々が慌てて船に向かって叫び、危険を知らせている様子が生き生きと描写されています。この場面では、機転を利かせた船員が長い竿を使って橋との距離を保ち、間一髪で衝突を避けようとする姿も描かれており、画巻全体のなかでも最も劇的な瞬間として知られています。
散点透視法という構図の技法
本作は、手巻という伝統的な形式を用い、「散点透視法」と呼ばれる技法で画面を構成しています。西洋絵画の一点透視法とは異なり、見る者の視点を画面の展開に合わせて移動させながら、静かな野原から広大な河、高くそびえる橋、賑やかな街並みまでを一続きの物語として描き出しています。長大でありながら冗長にならず、多くの人物や建物を描き込みながらも煩雑にならない、一筆で描き切ったかのような緊密な構成が本作最大の特徴です。
来歴 — 皇帝とともに流転した名画
本作は1920年代、退位した最後の皇帝・溥儀の意向によって紫禁城の外へ持ち出され、その後一時「満洲国」の宮中にあったと伝えられています。1945年、日本の敗戦にともない満洲国の宮殿が混乱に陥ると、多くの貴重品が民間に散逸し、本作もその渦中で行方不明になりました。その後通化で発見・押収され、東北博物館での保管を経て北京の故宮博物院に移管され、1953年秋、故宮の絵画館の開館とともに一般公開されるに至りました。
数多く残る模本
本作の名声を受けて、明代以降、同じ画題や構図を継承した画巻が数多く制作されました。中国美術を研究する古原宏伸は世界に41点の類作があるとし、北京故宮関係者による研究書では50点の一覧が示されているとも言われます。なかでも有名なのは、18世紀に清の宮廷画家陳枚らが合作した「清院本」で、現在は台北の国立故宮博物院に所蔵されています。清院本は原作よりも彩色が濃厚で、戯台での演劇や競渡といった、より賑やかな場面が追加されているのが特徴です。
実際に見るには
原本は中国・北京の故宮博物院に所蔵されており、その希少性から常設展示ではなく期間を限定して公開されることが多い作品です。台北の国立故宮博物院には「清院本」をはじめとする複数の模本が所蔵されており、あわせて見比べることで、時代ごとに描き足された細部の違いを楽しむことができます。
よくある誤解
本作はしばしば「単なる風俗画」として紹介されがちですが、実際には都市の交通・商業・建築技術までを記録した、きわめて資料的価値の高い絵画です。また現存する模本の多さから、どれが本物かをめぐって長年議論が続いており、「清明上河学」と呼ばれる専門的な研究分野が成立するほど、単純に語り尽くせない奥行きを持つ作品でもあります。
FAQ
Q. 《清明上河図》は誰が描いたのですか?
北宋末期の宮廷画家・張択端の作とされています。
Q. 虹橋とはどんな橋ですか?
釘を一本も使わず、木材を組み合わせるだけで架けられた橋で、その優雅な弧の形から虹橋と呼ばれています。
Q. なぜこの絵は満洲国にあったのですか?
退位した皇帝・溥儀が紫禁城を去る際に本作を持ち出し、その後満洲国の宮中に保管されていたためです。
Q. どのようにして現在の故宮博物院に戻ったのですか?
1945年の満洲国崩壊の混乱で行方不明になった後、通化で発見・押収され、東北博物館を経て北京の故宮博物院に移管されました。
Q. 模本はどのくらい残っていますか?
研究者によって推計は異なりますが、41点から50点程度の類作が世界各地に伝わっているとされています。
まとめ
《清明上河図》は、北宋の都・開封の賑わいをただ美しく描くだけでなく、当時の都市生活そのものを克明に記録した絵巻です。皇帝の退位や戦乱の混乱を経てなお現代まで伝えられたその来歴自体が、本作が中国絵画史のなかでどれほど特別な位置を占めているかを物語っています。
