《フォリー・ベルジェールのバー》(仏:Un bar aux Folies Bergère)は、フランスの画家エドゥアール・マネが1882年に完成させた油彩画で、現在はロンドンのコートールド・ギャラリーに所蔵されています。パリで屈指の人気を誇ったミュージックホール「フォリー・ベルジェール」のバーカウンターに立つ女性を描いたこの作品は、マネが手がけた最後の主要な完成作であり、鏡の描写をめぐる不可解な仕掛けによって、発表当初から今日まで論争を呼び続けています。この記事では、モデルとなった実在の女性や、鏡が引き起こす視覚的な謎を見ていきます。
《フォリー・ベルジェールのバー》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | エドゥアール・マネ(1832〜1883) |
| 制作年 | 1882年 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 96×130cm |
| 所蔵 | コートールド・ギャラリー(ロンドン) |
| 発表 | 1882年のパリ・サロン |
| 主題 | フォリー・ベルジェールのバーメイド |
一言でいうと
《フォリー・ベルジェールのバー》は、一人のバーメイドとその背後の鏡に映る華やかな劇場の光景を組み合わせることで、見る者の立ち位置そのものを揺るがす不思議な緊張感を生み出した作品です。鏡に映る像が現実の配置と一致しないという矛盾こそが、この絵の最大の謎になっています。
制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか
フォリー・ベルジェールという場所
フォリー・ベルジェールは19世紀パリで最も人気を集めたナイトスポットの一つで、カフェとイベントホールを兼ねた社交場でした。舞台を取り囲むように作られた「遊歩回廊(プロムナード)」が名物で、多くの観客で賑わっていました。一方でこの場所は、娼婦を買うための密かな社交の場としても認識されており、バーメイドの多くが実際に娼婦を兼ねていたとされています。
実在のバーメイド、シュゾン
画面中央に描かれた女性のモデルは、実際にフォリー・ベルジェールで働いていたシュゾンという名のバーメイドです。マネは彼女を自宅のアトリエに呼び寄せてポーズを取らせ、本作を描き上げました。マネにとって本作は最後の主要な完成作となり、この年のパリ・サロンに出品されています。
見どころ徹底解説

華やかさと暗さの対比
バーメイドの背後にある大きな鏡には、観客であふれかえる賑やかな劇場の様子が映り込んでいます。画面左上からは、曲芸師の足だけがニョキッと唐突に伸びており、奇妙なアクセントを添えています。こうした華やかな背景とは対照的に、バーメイド自身の表情はどこか暗く、もの憂げです。フォリー・ベルジェールが表向きは華やかな劇場でありながら、裏では娼婦を買う場としての顔も持っていたことを踏まえると、彼女の沈んだ表情には複雑な事情が重ねられていると考えられます。
カウンターに置かれたオレンジ
バーカウンターに置かれたオレンジの入った皿は、当時の慣習において、バーメイドが娼婦でもあることを暗示するモティーフとして解釈されています。瓶が整然と並ぶ華やかな静物描写のなかに、そうした裏の意味を忍ばせている点も、本作の読み解きどころの一つです。
鏡が引き起こす矛盾
本作が発表当初から批評家を困惑させてきた最大の理由は、鏡の描写にあります。鏡に映るバーメイドの後ろ姿は、実際に彼女が立っている位置と一致していません。手前と鏡のなかとで瓶の本数にも食い違いが見られ、さらに彼女が接客しているはずのシルクハットの紳士は、鏡のなかにしか描かれておらず、手前の画面には存在しません。実際にこの絵と同じ配置で人物や品物を並べ、鏡にどう映るかを検証する試みも行われていますが、現実にはあり得ない映り方であり、複数の空間軸がなければ説明がつかないと指摘されています。
署名が示す境界の曖昧さ
画面手前左端、赤い液体の入った瓶のラベルには「Manet 1882」という署名が書き込まれています。この位置に署名を置くことで、手前の現実の空間と、鏡の向こうの反射の空間との境界そのものを曖昧にする意図が感じられます。写真がすでに広く普及していた時代に、マネは「現実をそのまま写し取る」のではなく、絵画そのものが持つ表象の仕組みを問い直そうとしていたとも考えられています。
来歴 — 隣人の作曲家から美術館へ
本作はもともと、マネの近所に住んでいた作曲家エマニュエル・シャブリエが所有しており、自宅のピアノの上に飾っていたと伝えられています。その後所蔵者を経て、現在はロンドンのコートールド・ギャラリーに収められています。
実際に見るには
本作はイギリス・ロンドンのコートールド・ギャラリーで展示されています。日本でも過去に「コートールド美術館展」として来日展示されたことがあり、その際は本展のキービジュアルとしても使われるなど、世界的に高い人気を誇る一枚です。
よくある誤解
本作はしばしば「華やかなパリの夜を描いた印象派的な一枚」として単純に紹介されがちですが、実際には鏡の反射という視覚的な仕掛けを通じて、見る者の立ち位置そのものを揺るがす、きわめて知的に構成された作品です。またバーメイドという職業についても、単なる接客業としてではなく、当時のフォリー・ベルジェールが持っていた娼館的な側面を踏まえて鑑賞する必要があります。
FAQ
Q. バーメイドのモデルは誰ですか?
フォリー・ベルジェールで実際に働いていたシュゾンという女性で、マネの自宅アトリエでポーズを取って描かれました。
Q. 鏡の描写にはどんな矛盾がありますか?
鏡に映るバーメイドの後ろ姿の位置が実際の立ち位置と一致せず、瓶の本数も手前と鏡とで異なり、接客相手の紳士も鏡のなかにしか描かれていません。
Q. カウンターのオレンジには何の意味がありますか?
当時の慣習において、バーメイドが娼婦を兼ねていることを暗示するモティーフとして解釈されています。
Q. フォリー・ベルジェールとはどんな場所ですか?
19世紀パリで人気を集めたミュージックホールで、表向きは華やかな劇場でしたが、娼婦を買う場としての裏の顔も持っていました。
Q. この絵は誰が最初に所有していましたか?
マネの近所に住んでいた作曲家エマニュエル・シャブリエが所有し、自宅のピアノの上に飾っていたと伝えられています。
まとめ
《フォリー・ベルジェールのバー》は、一見華やかな社交場の一場面でありながら、鏡の反射という仕掛けを通じて、見る者に絶えず問いを投げかけ続ける作品です。マネが最後にたどり着いたこの視覚的な謎かけこそが、本作を世界的な名画たらしめている理由だといえるでしょう。
