《メキシコ湾流》とは|ホーマーが描いた海の寓意を徹底解説

《メキシコ湾流》(英:The Gulf Stream)は、アメリカの画家ウィンスロー・ホーマーが1899年に手がけた油彩画で、現在はニューヨークのメトロポリタン美術館に所蔵されています。マストを失った小舟の上に横たわる一人の黒人男性を、荒れ狂う波とサメの群れ、そして竜巻が取り囲むこの絵は、ホーマーが10年以上にわたって温め続けた主題の集大成とされています。この記事では、制作の背景と、発表当初から今日まで議論が続く解釈の幅を見ていきます。

目次

《メキシコ湾流》とは — 基本情報

項目内容
作者ウィンスロー・ホーマー(1836〜1910)
制作年1899年(1906年に加筆)
技法・素材油彩・カンヴァス
サイズ71.4×124.8cm
所蔵メトロポリタン美術館(ニューヨーク)
主題難破した小舟に取り残された男

一言でいうと

《メキシコ湾流》は、嵐に翻弄される小さな舟と一人の男を通じて、自然の脅威に対する人間の無力さを描いた作品です。同時に、描かれた人物が黒人男性であることから、19世紀末のアメリカ社会における人種的な立場の不安定さを重ね合わせて読む解釈も長く議論されてきました。

制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか

10年以上温め続けた主題

ホーマーはフロリダやキューバ、カリブ海をたびたび訪れ、メキシコ湾流を10回渡ったと自ら述べるほど、その海を熟知していました。この主題への関心は1885年のカリブ海への最初の旅行にまでさかのぼり、マストを失った舟を描いた鉛筆画や、水彩画《漂流物(サメ)》、舟の舳先を描いた大きな水彩習作などを経て練り上げられていきました。1889年の水彩習作では、すでに黒人の船乗りと暴れるサメが描き込まれており、本作の構図の原型が形作られています。

発表当初の賛否

本作は1900年にフィラデルフィアで初公開されましたが、当時の新聞評は賛否が分かれました。あるフィラデルフィアの評者は、この絵を見た観客が笑い出したと報告し、「サメたちがこっけいなほど滑稽な様子で男の周りを踊っている」と評して「微笑むサメたち」と揶揄しています。別の批評家は、ホーマーの本領とは異なる、やや焦点の定まらない印象を指摘しました。本作はその後、ピッツバーグ、ヴェネツィア、シカゴ、デモインへと巡回しましたが、6年間買い手がつかず、メトロポリタン美術館の理事会も1906年10月にいったん購入を見送っています。

芸術家たちの嘆願による収蔵

美術館が購入を断った直後、複数の芸術家からの嘆願を受け、理事会は同年12月に決定を覆し、ウルフ基金を用いて本作を購入しました。長らく買い手のつかなかった作品が、同業の画家たちの働きかけによって美術館の永久収蔵品となった経緯は、本作の評価が時代とともに変化していったことを物語っています。

見どころ徹底解説

男を取り囲む脅威

画面の中央には、マストが折れ舵を失った小舟の上に横たわる筋骨隆々の黒人男性が描かれています。手前にはサメの群れが渦を巻き、そのうちの一頭は大きく口を開けて画面の外へ飛び出してきそうな迫力で描かれています。背景右側には竜巻が海面に向かって伸び、左奥にはかすかに帆船の姿が見えます。ホーマーは本作をフィラデルフィア美術学校の校長に送る際、「このサメは全長15フィート、舟からは30フィート離れている。近づいて嗅ぐのではなく、離れて見てほしい」と書き送っており、遠くから眺めることで初めて全体の構図が意図通りに立ち上がる作品であることをうかがわせます。

ホーマー自身の素っ気ない説明

ある鑑賞者が絵の物語について説明を求めた際、ホーマーはやや苛立った様子でこう答えたと伝えられています。説明が必要な絵を描いてしまったことを残念に思うとしたうえで、舟やサメは取るに足らない付随的な要素にすぎず、この男はハリケーンによって沖まで吹き流されたのだと述べています。また別の画商からの問い合わせに対しては、この不運な船乗りはやがて救助され、家族のもとへ帰り、その後は幸せに暮らすだろうと、ある種突き放したような調子で答えています。

揺れ動く解釈

本作の意図は今もはっきりとは定まっていません。かつてメトロポリタン美術館の学芸員を務めたブライソン・バロウズは、見る者が選び取るならば、本作は壮大な寓意の域に達しうると評しています。一方で、本作が制作された1899年は、ラドヤード・キップリングが植民地支配を正当化する詩を発表した年であり、前年には米西戦争によってアメリカの対外進出が決定的なものとなった時期にも重なります。こうした時代背景から、本作を海の脅威と黒人アメリカ人の不安定な社会的立場という2つの主題を重ね合わせた、アメリカの帝国主義的拡張を映し出す寓意画として読む解釈も提示されてきました。1903年、思想家W・E・B・デュボイスは著書『黒人のたましい』のなかで、荒れ狂う世界の海に翻弄される「小さな舟」という同じイメージを用いて黒人の苦境を語っています。1935年には、ハーレム・ルネサンスを代表する思想家アレイン・ロックが、本作の主人公の筋肉質で力強い姿を「黒人という主題の芸術的な解放を切り開いた」と高く評価しました。

実際に見るには

本作はアメリカ・ニューヨークのメトロポリタン美術館で展示されています。同館はホーマーの海洋画を数多く所蔵しており、あわせて鑑賞することで、彼が生涯を通じて海と人間の関係をどのように描き続けたかを実感できます。

よくある誤解

本作はしばしば「難破した船乗りの運命を描いただけの海洋画」として単純に語られがちですが、発表当初から解釈は大きく分かれてきました。ホーマー自身が物語の説明を拒んだこともあり、単なる海難の一場面としてだけでなく、当時のアメリカ社会における人種的な立場を重ね合わせた寓意として読む視点も、本作の重要な鑑賞のあり方の一つになっています。

FAQ

Q. 《メキシコ湾流》はどんな場面を描いていますか?
ハリケーンによってマストと舵を失った小舟に、一人の黒人男性が取り残され、サメの群れと竜巻に囲まれている場面を描いています。

Q. ホーマーはこの絵についてどう説明していますか?
説明を求められた際、舟やサメは付随的な要素にすぎないと述べ、男はやがて救助されて幸せに暮らすだろうと素っ気なく答えています。

Q. 発表当初の評判はどうでしたか?
評価は分かれており、フィラデルフィアではサメの描写を滑稽だと笑う観客もいたと伝えられています。

Q. なぜメトロポリタン美術館に収蔵されるまで時間がかかったのですか?
6年間買い手がつかず、美術館の理事会もいったん購入を見送りましたが、芸術家たちの嘆願を受けて1906年に購入が決定しました。

Q. この絵にはどんな解釈がありますか?
単純な海難の場面という見方に加え、19世紀末のアメリカにおける黒人の社会的立場や、アメリカの対外進出という時代背景を重ね合わせた寓意画として読む解釈も提示されています。

まとめ

《メキシコ湾流》は、10年以上にわたってホーマーが温め続けた海と人間というテーマの到達点であり、発表から120年以上を経た今もなお、単一の答えに収まらない作品です。ホーマー自身が説明を拒んだその余白にこそ、見る者それぞれの時代や立場を映し出す、この絵の力があるといえるでしょう。

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