《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》(仏:Bonaparte franchissant le Grand-Saint-Bernard)は、フランスの画家ジャック=ルイ・ダヴィッドが1801年から1805年にかけて手がけた、ナポレオン1世の騎馬肖像画の総称です。全部で5枚が制作され、そのうち最初の1枚は現在マルメゾン城に所蔵されています。荒馬にまたがり山頂を指し示すナポレオンの姿は、実際の史実というよりも、政治的な意図によって組み立てられた「理想化された英雄像」です。この記事では、5枚もの絵が生まれた経緯と、ナポレオン自身がモデルを拒み続けたという意外な制作秘話まで見ていきます。
《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》とは — 基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ジャック=ルイ・ダヴィッド(1748〜1825) |
| 制作年 | 1801〜1805年(5枚) |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 約260×220cm(各版でわずかに異なる) |
| 所蔵(1枚目) | マルメゾン城(フランス) |
| 別名 | 『アルプスを越えるナポレオン』 |
| 主題 | 1800年のグラン・サン・ベルナール峠越え |
一言でいうと
《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》は、実際には穏やかな天候のなかラバに乗って峠を越えたナポレオンを、荒馬を乗りこなす英雄として描き直した政治的プロパガンダの絵画です。写実性よりも象徴性を優先することで、ナポレオンという指導者のイメージそのものを作り上げました。
制作背景 — なぜこの絵は生まれたのか
スペイン王からの依頼
1799年のブリュメールのクーデターでフランスの実権を握ったナポレオンは、翌1800年春、予備軍を率いてグラン・サン・ベルナール峠経由でアルプスを越え、オーストリア軍との戦いに挑みました。マレンゴの戦いでの決定的勝利とナポレオンの第一統領就任は、スペイン王カルロス4世との和睦につながります。両国の関係修復の贈答として、スペイン側はナポレオンの肖像画をダヴィッドに依頼することになりました。
立像ではなく騎馬像を
当初の依頼内容は、ナポレオンが第一統領の制服を着て立つ肖像画だったと考えられています。しかしダヴィッドは乗馬姿を描くことを望みました。スペイン大使を通じてどのような表現を求めるか尋ねられたナポレオンは、最初は閲兵の場面を望んでいましたが、最終的にはアルプス越えの場面を選んでいます。実際のアルプス越えは晴天の日に行われ、ナポレオン自身は軍隊に数日遅れてラバに乗り、ガイドに案内されて峠を越えたにすぎませんでした。しかし本作の目的はあくまでプロパガンダであり、ナポレオンがダヴィッドに求めたのは「荒馬を冷静に乗りこなす」姿だったと伝えられています。
モデルを拒み続けたナポレオン
ダヴィッドの通常の制作方法とは異なり、本作にはほとんど下書きや下調べが行われていません。その背景には、ナポレオンがモデルとして座ることを頑なに拒み続けたという事情があります。ナポレオンは肖像画とは身体的特徴ではなく内面的な人格を表現すべきものだと考えており、古代の偉人たちが誰かのために座ってモデルを務めたことなどないだろうという趣旨の発言を残しています。モデルを得られなかったダヴィッドは、やむなく自分の息子を梯子の上に座らせてポーズを取らせ、構図の出発点としました。衣装についてはナポレオンがマレンゴの戦いで実際に着用した制服と二角帽子を借りることができたため、正確に再現されています。
見どころ徹底解説

手袋をした手が示すもの
ナポレオンは顔を画面手前に向け、右手で山頂の方角を指し示し、左手で軍馬の手綱を握っています。この挙手は、必ず目的地にたどり着くという指揮官の意志を表すと同時に、後に続く兵士たちへの命令をも意味しています。素手ではなく手袋をしている点は、征服者としてではなく調停者として見られたいというナポレオンの願望の表れとも解釈されています。
岩に刻まれた3つの名前
前景の岩には「BONAPARTE」「HANNIBAL」「KAROLVS MAGNVS IMP」の文字が刻まれています。ハンニバルとカール大帝は、いずれもアルプスを越えて軍を率いた歴史上の偉大な指揮官であり、ナポレオンを彼らの後継者であるかのように印象づける効果を持っています。カール大帝の名の横に皇帝を意味する「IMP」の文字が添えられている点は、単なる偶然か、あるいはナポレオン自身の野心の表れなのか、今も議論の的となっています。
古典への回帰
熱心な新古典主義者だったダヴィッドは、ナポレオンの若々しい容姿を、古代彫刻に見られる「美しい理想」の美学によって描いています。馬の姿勢や色使いには、ダヴィッド自身が手がけた《サビニの女たち》に登場する馬との共通点が見られ、荒々しく立ち上がる馬の造形には、エティエンヌ・モーリス・ファルコネによる彫刻《青銅の騎士》からの影響も指摘されています。寓意的な象徴を多用する同時代の他の画家たちとは異なり、ダヴィッドは具体的な寓意ではなく、姿そのものの象徴性によってナポレオンを英雄として描き出しました。
5枚のバージョンとその行方
ナポレオンは注文の際、さらに3枚の絵を追加で描くよう要求し、それぞれサン=クルー城、アンヴァリッド、ミラノの王宮に飾るために制作されました。ダヴィッドが自身のために描いた5枚目は、彼が死去するまでアトリエに保管され続けています。
| バージョン | 現在の所蔵先 | 特徴 |
|---|---|---|
| 1枚目 | マルメゾン城 | オレンジ色のコート、白黒斑模様の馬 |
| 2枚目 | シャルロッテンブルク宮殿(ベルリン) | 赤いコート、栗毛の馬 |
| 3枚目 | ヴェルサイユ宮殿(1枚目) | 灰色斑模様の馬、より険しい表情 |
| 4枚目 | ベルヴェデーレ宮殿(ウィーン) | ヴェルサイユ版とほぼ同一の構図 |
| 5枚目 | ヴェルサイユ宮殿(2枚目) | やや年上の顔立ち、微笑を浮かべる |
マルメゾン城の原画は、ナポレオンの兄ジョゼフ・ボナパルトがアメリカへ亡命する際に持ち出され、子孫を経て1949年にマルメゾン城の美術館へ寄贈されました。他のバージョンも、プロイセン軍による接収やブルボン王政復古による撤去など、それぞれ複雑な経緯をたどりながら現在の所蔵先に落ち着いています。
実際に見るには
1枚目の原画はフランス・マルメゾン城の美術館で見ることができます。他のバージョンもベルリンのシャルロッテンブルク宮殿、ヴェルサイユ宮殿、ウィーンのベルヴェデーレ宮殿にそれぞれ所蔵されており、同じ構図がわずかに異なる色使いで描き分けられている様子を見比べることができます。
よくある誤解
本作はしばしば「ナポレオンが実際にアルプスを馬で駆け上がった場面を描いた絵」として紹介されますが、実際のアルプス越えは晴天の穏やかな日に行われ、ナポレオン自身はラバに乗ってガイドに先導されていました。荒馬を乗りこなす英雄的な姿は史実の再現ではなく、ナポレオン自身が望んだ「荒馬を冷静に乗りこなす」というプロパガンダ的な演出です。
FAQ
Q. なぜ同じ構図の絵が5枚も存在するのですか?
最初の1枚を気に入ったナポレオンが、サン=クルー城やアンヴァリッド、ミラノの王宮に飾るための追加制作を要求したためです。
Q. ナポレオンは実際にモデルを務めたのですか?
モデルになることを拒み続けたため、ダヴィッドは自分の息子を代わりに座らせて構図の出発点としました。
Q. 岩に刻まれた文字にはどんな意味がありますか?
「BONAPARTE」「HANNIBAL」「KAROLVS MAGNVS IMP」の文字が刻まれており、アルプスを越えた歴史上の偉大な指揮官の系譜にナポレオンを連ねる効果を持っています。
Q. 実際のアルプス越えとどこが違いますか?
実際は晴天の日にラバに乗って行われましたが、絵では荒天のなか荒馬にまたがる英雄的な姿として理想化されています。
Q. どのバージョンが最も有名ですか?
最初に完成したマルメゾン城のバージョンが特によく知られており、ポスターや切手など幅広い媒体で複製されています。
まとめ
《サン=ベルナール峠を越えるボナパルト》は、史実の細部よりも指導者としてのナポレオン像を作り上げることに主眼を置いた作品です。モデルの拒否という制作上の制約すら逆手に取り、象徴性を突き詰めた肖像画へと昇華させたところに、ダヴィッドが新古典主義の頂点で成し遂げた仕事の本質があります。
