《自殺》とは|亡くなる友のために手放された、謎めいた一枚を追う

拳銃を握ったまま、ベッドの端に崩れるように横たわる一人の男。白いシャツには血の染みが広がり、床にはそれが滴り落ちています。《自殺》(1877〜1881年頃)は、フランスの画家エドゥアール・マネによる小さな油彩画で、チューリッヒのビュールレ財団コレクションが所蔵しています。派手な物語性を一切排したこの絵は、マネの画業の中でも位置づけが難しいとされる、異色の一枚です。

目次

基本情報

作者:エドゥアール・マネ(1832〜1883)
制作年:1877〜1881年頃
技法・素材:油彩・カンヴァス
サイズ:約38×46cm
所蔵:ビュールレ財団コレクション(チューリッヒ)
原題:Le Suicidé
署名:画面右下

一言でいうと

《自殺》は、自ら命を絶ったばかりと見られる一人の男が、拳銃を手にしたままベッドの端にくずおれる姿を描いた作品です。従来の自殺を描いた絵画にありがちな劇的な物語や道徳的な教訓はほとんど取り除かれ、簡素な部屋の中で、ただその出来事の結果だけが淡々と提示されています。

制作背景

この絵はマネの画業の中で、これまであまり研究の対象にされてこなかった作品です。研究者たちは、この絵をマネの様式的な発展のどこに位置づけるべきか、長らく判断に苦しんできました。美術史家イルクは、この絵をギュスターヴ・クールベのリアリズム、とりわけクールベ自身が新たな芸術的姿勢の出発点だと語った《オルナンの埋葬》と結びつけて論じています。

この絵の生々しい写実性から、これは実際に起きた自殺事件をもとにしているのではないかという憶測を呼んできました。かつてマネのアトリエで自ら命を絶ったとされる、彼の助手にまつわる出来事や、作家エミール・ゾラが1866年に取り上げたある芸術家の自殺との関連が取り沙汰されたこともありますが、近年の研究ではこうした具体的な結びつけには慎重な見方が強まっています。むしろこの絵は、自殺という主題が本来、犠牲や理想、英雄的行為といった物語の中でしか歴史画として描かれ得なかった当時のアカデミーの伝統から、マネが意図的に離れようとした試みとして理解されています。

見どころ

手放されない拳銃

専門家たちを長く困惑させてきたのが、男が息絶えたはずなのに拳銃をまだ手にしたままだという点です。通常、人が命を落とせば、握っていた銃は手から離れ落ちるはずです。この不自然な描写について、白いシャツを未使用のカンヴァスに、拳銃を絵筆になぞらえ、画家自身の創作と死とを重ね合わせた象徴的な表現ではないかとする解釈も示されていますが、これはあくまで一つの読み方にすぎません。

削ぎ落とされた物語性

画面には、ベッドと小さな家具、壁に掛かった一枚の絵という、最小限の要素しか描かれていません。伝統的な自殺の図像に付随してきた劇的な背景や道徳的な教訓は一切排除され、ただ出来事の結果だけが静かに提示されています。

純粋な絵具としての血

美術史家リンダ・ノックリンは、この絵に描かれた血の滴を「カンヴァスの表面で純粋な絵具の宝石のように輝いている」と評しています。この描写は、死という主題を扱いながらも、絵具そのものの物質性への関心を失わないマネの姿勢を象徴しています。

評価と受容

この絵は1881年、マネ自身の手によって、結核を患い余命わずかだった友人の作曲家エルネスト・カバネールを支援するための慈善オークションに提供されました。マネ自身もこの頃、梅毒による健康の衰えと、画壇での評価をめぐる苦悩を抱えていた晩年にあたります。その後この絵は、ハンガリーの収集家フェレンツ・ハトヴァニー男爵のコレクションに加わりますが、1945年、ブダペストの銀行の貸金庫から盗まれるという数奇な経緯をたどりました。1948年、美術商フリッツ・ナタンを通じてスイスのビュールレ・コレクションに収まり、現在に至っています。

よくある誤解

誤解①「この絵は実際に起きた特定の自殺事件を記録している」→ 実際は特定のモデルや事件は確認されていない
生々しい写実性から実話に基づく作品だと思われがちですが、実際には特定の人物や出来事との結びつきは確認されておらず、複数の憶測があったものの、近年の研究では慎重に扱われています。

誤解②「この絵は道徳的な教訓を伝えるために描かれている」→ 実際は物語性や教訓性を意図的に排している
自殺という重い主題から何らかの教訓が込められていると思われがちですが、実際にはマネはこの絵で、従来の歴史画的な自殺の表現につきものだった物語性や道徳的な色合いを、意図的に取り除いています。

FAQ

Q. 《自殺》とはどんな作品ですか?
A. マネが1877年から1881年頃に手がけた油彩画で、拳銃を手にしたまま息絶えた男の姿を、簡素な部屋の中に描いています。ビュールレ財団コレクションが所蔵しています。

Q. なぜこの絵は特定の事件と結びつけられてきたのですか?
A. その生々しい写実性から、マネの元助手や、ゾラが取り上げた芸術家の自殺との関連が憶測されてきましたが、確たる証拠はなく、近年ではこうした解釈は慎重に扱われています。

Q. この絵はどのような経緯で現在の所蔵先に至ったのですか?
A. マネ自身が1881年、友人の作曲家を支援する慈善オークションに提供した後、ハンガリーの収集家のコレクションを経て、1945年に盗難に遭い、1948年にスイスのビュールレ・コレクションに収まりました。

Q. 《自殺》はどこで見られますか?
A. スイス・チューリッヒのビュールレ財団コレクションが所蔵しています。

まとめ

物語も教訓も削ぎ落とされたこの小さな絵は、それゆえにかえって見る者の想像をかき立て続けています。友人の窮状を救うためにこの絵を手放したというマネ自身の行為もまた、死という重い主題を描いた作品の来歴として、どこか皮肉な巡り合わせを感じさせます。

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