《エマオの晩餐》とは|一人の老学者を騙すことで、美術界全体を欺いた贋作を追う

蘇ったキリストがパンを裂く、静かな食卓の場面。青と黄の色調の調和、白い陶器の水差し――誰もがフェルメールの筆致だと信じて疑いませんでした。《エマオの晩餐》(1936〜37年)は、オランダの画家ハン・ファン・メーヘレンが手がけた贋作で、現在はロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が所蔵しています。フェルメールの真作として500万ギルダー以上で購入されたこの絵は、たった一人の権威ある学者を騙すことで、オランダ美術界全体を巻き込んだ、史上最も有名な贋作事件の主役です。

目次

基本情報

制作者:ハン・ファン・メーヘレン(1889〜1947)
制作年:1936〜1937年
技法・素材:油彩・カンヴァス(古い布地を利用し裏打ち)
サイズ:約115×127cm
所蔵:ボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館(ロッテルダム)
当時の評価:ヨハネス・フェルメールの真作(発見当初)
購入価格:52万ギルダー

一言でいうと

《エマオの晩餐》は、フェルメールの知られざる初期作品として1937年に「発見」された絵画です。実際には無名の画家ファン・メーヘレンによる贋作でしたが、当時最も権威ある美術史家をも欺くほどの完成度を誇り、フェルメールの画業における「失われた輪」を埋める作品として熱狂的に受け入れられました。

制作背景

ファン・メーヘレンは、南フランス・ロクブリュヌ=カップ=マルタンにある自らの邸宅「プリマヴェーラ」でこの絵を制作しました。本格的な挑戦に取りかかる前、彼はまず腕試しとして、フェルメール風の《ギターを弾く女》《読書する女》、フランス・ハルス風の《酒を飲む女》、テル・ボルフ風の《男の肖像》といった、いくつかの小規模な贋作を手がけています。

《エマオの晩餐》の構図はカラヴァッジョの作品を強く思わせるものでしたが、青と黄色の色彩の調和、割かれたパン、白い陶器の水差しといった細部は、フェルメール円熟期の作品を思わせるように仕上げられていました。ファン・メーヘレンは特に、フェルメールの初期・修業時代――現存する作品が知られていない空白の時期――を狙って制作することで、既存の真作との比較を巧みに避けています。完成した絵は、絵具を長持ちさせるための特殊な樹脂を使い、オーブンで焼いてひび割れを人工的に作り出すなど、あらゆる手段で古さを演出したものでした。画面左上には、フェルメールの署名を模した「IVMeer」という文字がかすかに書き込まれています。

見どころ

「発見」の演出

ファン・メーゲレンは、知人の弁護士C・A・ブーンにこの絵を託し、これがオランダのある旧家の遺産に含まれる真のフェルメール作品だと信じ込ませました。ブーンはこの絵を、当時最も権威ある美術史家の一人アブラハム・ブレディウスのもとへ持ち込みます。1937年9月、この絵を検分したブレディウスは、当初のためらいを乗り越えて真作だと確信し、『バーリントン・マガジン』誌に「美術愛好家の人生において、これほど素晴らしい瞬間はない――未知の巨匠の作品に不意に出会い、それが手を加えられることなく、画家のアトリエを出た時のままの姿でそこにある瞬間なのだから」という熱のこもった文章を寄せています。

フェルメールらしさへの徹底したこだわり

ファン・メーゲレンは、フェルメール作品に特徴的な色彩の調和と質感を再現するため、周到な準備を重ねました。結果としてこの絵は、単なる模倣を超えて、フェルメールの画業そのものに新たな一章を書き加えるほどの説得力を持つに至っています。

静かな「聖堂」となった展示室

1938年、この絵はボイマンス美術館で、1400年から1800年までの450点にも及ぶオランダ美術の名品とともに特別展示されました。批評家アドルフ・フォイルナーは、この絵が展示された比較的静かな一角について、「まるで礼拝堂のように静まり返っていた」と記しています。宗教的な儀式との直接的なつながりを持たないこの絵が、それでもなお訪れる人々に厳粛な感動を与えていたことを、彼は指摘しています。

評価と受容

この絵は1938年6月、レンブラント協会によって52万ギルダーという当時としては破格の価格で購入され、ロッテルダムのボイマンス美術館へ寄贈されました。この取引は、真作の獲得を狙っていたアムステルダムのライクスミュージアムの目と鼻の先で行われたと伝えられています。しかしこの「発見」の裏には、より大きな欺瞞が隠されていました。ファン・メーヘレンはその後も同様の手法でピーテル・デ・ホーホやヘラルト・テル・ボルフ風の贋作を制作し続け、中でも《姦淫の女とキリスト》という贋作を、ナチス・ドイツの高官ヘルマン・ゲーリングに、約200点のオランダ絵画の真作と交換する形で売却しています。

1945年、連合軍がゲーリングの手元にあったこの絵の出所をファン・メーヘレンにまで突き止め、彼は敵国への文化財売却という、ナチス協力の容疑で逮捕されました。死刑に相当しかねないこの容疑を逃れるため、彼は自らがこれらの「フェルメール」の真の作者であると告白します。この告白によって、彼は裏切り者から一転して、ナチスを欺いた国民的英雄として扱われるようになり、最終的には贋作制作の罪のみで有罪となりました。彼は判決の後まもなく、1947年に世を去っています。

よくある誤解

誤解①「この絵はフェルメールの作品を忠実に模写したものである」→ 実際は複数の画家の要素を組み合わせた創作である
既存のフェルメール作品をそっくりそのまま真似たと思われがちですが、実際にはこの絵はカラヴァッジョの構図とフェルメールの色彩・質感とを組み合わせた、いわば独自の「合成」作品であり、フェルメールの空白期を埋める架空の一枚として構想されています。

誤解②「ファン・メーヘレンは告白によってすぐに信じてもらえた」→ 実際は自らの主張を証明する必要があった
自白すればすぐに信用されたと思われがちですが、実際には彼の告白は当初疑われ、自分がこの絵の真の作者であることを証明するために、拘束された状態でさらに贋作を描いてみせる必要がありました。

FAQ

Q. 《エマオの晩餐》とはどんな作品ですか?
A. ファン・メーヘレンが1936年から37年にかけて手がけた贋作で、フェルメールの知られざる初期作品として発表されました。ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が所蔵しています。

Q. なぜこの贋作は権威ある専門家を欺くことができたのですか?
A. フェルメールの現存作品が知られていない空白の時期を狙い、色彩や質感を巧みに再現し、絵具の古びた質感まで人工的に作り出すことで、真作としての説得力を持たせていたためです。

Q. ファン・メーヘレンはなぜ自ら贋作だと告白したのですか?
A. ナチスへの文化財売却という、死刑にもなりかねない協力容疑を逃れるため、自分が絵の真の作者(贋作師)であることを証明する必要があったためです。

Q. 《エマオの晩餐》はどこで見られますか?
A. オランダ・ロッテルダムのボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館が所蔵しています。

まとめ

たった一人の学者の目を欺くことに成功したこの絵は、結果としてオランダ美術界全体、そして国家の威信までも巻き込む事件へと発展しました。礼拝堂のように静まり返った展示室で人々が本物の感動を覚えていたという事実こそ、この贋作が持っていた恐るべき完成度を物語っています。

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