乱れた髪にクジャクの羽根を挿し、月明かりを思わせる淡い光の中に浮かび上がる女性。荒々しい筆致が、まるで彼女が今にも羽ばたいて飛び去ってしまいそうな印象を与えます。《クジャクの羽を持つルイーザ・カザーティ侯爵夫人の肖像》(1911〜1913年頃)は、イタリアの画家ジョヴァンニ・ボルディーニによる油彩画で、ローマの国立近代美術館(ガッレリア・ナツィオナーレ・ダルテ・モデルナ)が所蔵しています。当時のヨーロッパ社交界を熱狂させた、あるカリスマ的な女性の姿を捉えた一枚です。
基本情報
作者:ジョヴァンニ・ボルディーニ(1842〜1931)
制作年:1911〜1913年頃
技法・素材:油彩・カンヴァス
所蔵:国立近代美術館(ローマ)
モデル:ルイーザ・カザーティ侯爵夫人(1881〜1957)
様式:世紀末ヨーロッパ社交界を描いた肖像画
一言でいうと
《クジャクの羽を持つルイーザ・カザーティ侯爵夫人の肖像》は、当時のヨーロッパ社交界にその名を轟かせた侯爵夫人ルイーザ・カザーティを描いた作品です。ボルディーニ特有の躍動感あふれる筆致によって、彼女の髪に飾られたクジャクの羽根と、淡く輝くドレスとが、静止画でありながらも動きを感じさせる姿で表現されています。
制作背景
モデルとなったルイーザ・カザーティは、1881年、裕福な綿花商人の家庭に生まれました(父はのちに伯爵アルベルト・アンマンとなる人物です)。13歳で両親を相次いで亡くし、姉フランチェスカとともにイタリア屈指の資産家姉妹となります。19歳でカミッロ・カザーティ侯爵と結婚し娘をもうけましたが、二人の結婚生活は親密なものではなく、それぞれ別々の邸宅で暮らすようになり、この距離が彼女に自らを自由に演出する余地を与えました。
莫大な富を背景に、カザーティ侯爵夫人は自らを「生きた芸術作品」として仕立て上げていきます。彼女は詩人マリネッティ(未来派の一員と見なしていた人物です)、画家フォルトゥナート・デペーロやジャコモ・バッラ(彼女をモチーフにした「動く目のカザーティ侯爵夫人」という肖像彫刻を手がけています)、ウンベルト・ボッチョーニといった前衛芸術家たちのミューズとなり、ボルディーニのほかにもオーガスタス・ジョンなど、複数の画家によって肖像を描かれています。
見どころ

クジャクの羽根と乱れた髪
彼女の髪には、クジャクの羽根が挿し込まれ、周囲へと広がるように描かれています。この羽根の緑と青の光沢が、暗い背景の中でひときわ印象的な存在感を放っています。
荒々しい筆致が生む動き
ボルディーニの筆致は、細部を克明に描き込むのではなく、素早く引っかくような線の集積によって形を作り出しています。この技法が、羽根や衣装の輪郭を曖昧にしながらも、全体に強い躍動感を与えています。
神話化されない、柔らかな一面
同時代の他の芸術家たちがしばしばカザーティ侯爵夫人を神話的・異国風の姿に仕立てて描いたのに対し、ボルディーニのこの肖像は、より柔らかく女性的な一面を捉えていると評されています。それでもなお、荒く引っかかれたような筆致には、どこか非日常的な、彼女の只者ではない気配が漂っています。
評価と受容
カザーティ侯爵夫人の評判は、ヨーロッパ社交界全体に広がっていましたが、その豪奢な生き方は最終的に彼女を経済的破綻へと追い込みました。1935年までに、彼女は現在の価値で2,500万ドルに相当する負債を抱えていたとされ、所有物の数々は競売にかけられ、その買い手にはココ・シャネルの名前も含まれていました。破産後、彼女はロンドンへ逃れ、娘の援助を受けながら、以前よりずっと質素な暮らしを送ることになります。ボルディーニが描いたこの肖像は、そうした破滅の予兆すら感じさせない、彼女がまだ社交界の頂点にいた時代の輝きを捉えた一枚として位置づけられています。
よくある誤解
誤解①「ルイーザ・カザーティは生まれながらの貴族だった」→ 実際は裕福な商人の娘として生まれている
侯爵夫人という称号から名家の生まれだと思われがちですが、実際には彼女は裕福な綿花商人の娘として生まれ、結婚によって侯爵夫人の地位を得た人物です。
誤解②「この肖像画はカザーティ侯爵夫人を描いた唯一の作品である」→ 実際は複数の画家によって繰り返し描かれている
ボルディーニのこの一枚だけが知られる肖像だと思われがちですが、実際には彼女はオーガスタス・ジョンやジャコモ・バッラをはじめ、当時の複数の芸術家たちによって、さまざまな姿で描かれ続けました。
FAQ
Q. 《クジャクの羽を持つルイーザ・カザーティ侯爵夫人の肖像》とはどんな作品ですか?
A. ボルディーニが1911年から1913年頃に手がけた油彩画で、クジャクの羽根を髪に飾った侯爵夫人ルイーザ・カザーティの姿を描いています。ローマの国立近代美術館が所蔵しています。
Q. ルイーザ・カザーティとはどんな人物ですか?
A. 裕福な家庭に生まれ、莫大な富を背景に自らを「生きた芸術作品」として演出し、当時の前衛芸術家たちのミューズとなった、ヨーロッパ社交界の伝説的な女性です。
Q. なぜこの肖像画は他の画家による作品と違うのですか?
A. 他の芸術家たちがしばしば神話的・異国風の姿で彼女を描いたのに対し、ボルディーニはより柔らかく女性的な一面を捉えている点が特徴とされています。
Q. 《クジャクの羽を持つルイーザ・カザーティ侯爵夫人の肖像》はどこで見られますか?
A. イタリア・ローマの国立近代美術館が所蔵しています。
まとめ
自らを「生きた芸術作品」に仕立て上げた女性を、実在の画家がカンヴァスの上に閉じ込めたという事実そのものが、興味深い逆説を含んでいます。乱れた髪とクジャクの羽根の向こうに垣間見える柔らかな表情は、後の破産劇を知らない私たちにとって、彼女の輝きが最も強かった瞬間の記録として今も残り続けています。
