《精神の状態 I:別れ》(1911年)は、イタリア未来派を代表する画家ウンベルト・ボッチョーニによる油彩画で、ニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵する作品です。駅のホームで交錯する人々と機関車の蒸気を、渦巻くような抽象的な形態で描き出したこの絵は、「別れ」「去りゆく者たち」「残される者たち」という三部作の第一作でありながら、実は同じ主題で二度描かれており、この所蔵版はボッチョーニがパリ旅行を経て、わずか数か月のうちに様式を一新して描き直した、より前衛的な第二版です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ウンベルト・ボッチョーニ(1882〜1916) |
| 制作年 | 1911年(パリ旅行後の第二版) |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 約70.5×96.2cm |
| 所蔵 | ニューヨーク近代美術館(MoMA) |
| 連作 | 三部作「精神の状態」第一作(続く2作は「去りゆく者たち」「残される者たち」) |
| 様式 | 未来主義(キュビスムの影響を強く受けた第二版) |
一言でいうと
《精神の状態 I:別れ》は、駅のホームで人々が波のように押し寄せ、機関車から立ちのぼる蒸気とともに渦を巻くように混ざり合う、慌ただしい別れの瞬間を描いた作品でありながら、実はこの絵は最初に描かれたディヴィジョニスム様式のバージョンとは別に、ボッチョーニが同年秋のパリ旅行を経てキュビスムの影響を大きく取り込みながら、わずか数か月のうちに描き直した、より断片的で前衛的な第二版です。
制作背景
ボッチョーニは1911年の晩夏、駅という場所を舞台に、現代生活における別れの心理的な側面を捉えようとする三部作「精神の状態」の制作に着手しました。この最初のバージョンはディヴィジョニスム(分割主義)の様式で描かれ、現在はミラノの市立近代美術館に所蔵されています。
しかしボッチョーニは同年11月、パリを訪れてキュビスムの実物に触れたことをきっかけに、この主題を根本から描き直すことを決意します。この結果生まれたのが、より断片化された形態と交錯する斜線によって、駅の混沌とした情景を再構築した第二版であり、現在MoMAが所蔵しているのはこちらのバージョンです。画面には機関車の車体番号「6943」の文字が読み取れ、送電線の鉄塔や信号機といった、当時最先端の技術であった鉄道インフラの要素が、渦巻く抽象的な形態の中に組み込まれています。
見どころ

構図と動勢: 画面は、まるで巨大な渦(タービン)のように、あらゆる要素を巻き込みながら回転する構成を取っています。機関車の白い蒸気、送電線の交錯する斜めの線、そして群衆の身体が溶け合うように描かれており、駅という場所そのものが持つ、騒音・抱擁・悲しみが入り混じった混沌を、視覚的な渦として表現しています。
三部作の中の位置づけ: ボッチョーニ自身の言葉によれば、続く「去りゆく者たち」では斜めの線によって「孤独・苦悩・朦朧とした混乱」を、「残される者たち」では垂直の線によって、後に残される者たちが抱える悲しみの重みを表現しようとしています。この《別れ》は、まさに別れの瞬間そのものが持つ、渦巻くような混沌を捉えた、三部作の導入部にあたります。
キュビスムとの融合: 第二版で顕著になった、幾何学的に断片化された形態と重なり合う面構成は、パリで直接触れたキュビスムからの影響を色濃く反映しています。これによりボッチョーニは、当初の未来派が追求していた機械的な速度の表現から一歩進み、より心理的・主観的な体験としての「感情の力学」を作品に取り込むことに成功しています。
評価と影響
「精神の状態」三部作は、ボッチョーニの画業における最も重要な作品群の一つであり、未来派運動全体においても特に重要な位置を占める作品として評価されています。この連作は最終的に4つの完全なバージョン(それぞれ3点1組)として展開されており、ディヴィジョニスム様式の第一次油彩群(ミラノ)、シンボリズムの影響を受けた木炭・コンテ画群(MoMA)、キュビスムの影響を受けた第二次油彩群(MoMA、本作を含む)、そしてドイツの雑誌『デア・シュトゥルム』掲載用に制作された木版画群という、複数の展開を見せています。2014年にはグッゲンハイム美術館の「イタリア未来派 1909-1944」展において、三部作が数十年ぶりに再結集され、その芸術的な重要性が改めて確認されました。
よくある誤解
誤解①「《精神の状態 I:別れ》は一度だけ描かれた単一の作品である」→ 実際は様式の異なる複数のバージョンが存在する
一枚の絵として知られていますが、実際にはボッチョーニは同じ主題を、まずディヴィジョニスム様式で、続いてパリ旅行後にキュビスムの影響を受けた様式で、あらためて描き直しています。
誤解②「この絵は未来派特有の機械的な速度の表現に主眼を置いている」→ 実際は心理的・感情的な体験を捉えることに主眼が置かれている
未来派といえば機械や速度の礼賛というイメージが強いため、この絵もその延長線上にあると思われがちですが、実際には「精神の状態」というタイトルが示す通り、別れという体験がもたらす心理的な混乱や感情の力学を捉えることこそが、この三部作の中心的な狙いでした。
FAQ
Q. 《精神の状態 I:別れ》とはどんな作品ですか?
A. ボッチョーニが1911年に手がけた油彩画で、駅のホームで交錯する人々と機関車の蒸気を、渦巻くような抽象的な形態で描いています。ニューヨーク近代美術館が所蔵しています。
Q. なぜこの絵には複数のバージョンが存在するのですか?
A. 最初にディヴィジョニスム様式で描いた後、ボッチョーニが同年秋のパリ旅行でキュビスムに触れたことをきっかけに、様式を一新して同じ主題を描き直したためです。
Q. この三部作の他の2作は何を描いていますか?
A. 続く「去りゆく者たち」は斜めの線で旅立つ者の孤独と混乱を、「残される者たち」は垂直の線で残された者の悲しみの重さを、それぞれ表現しています。
Q. 《精神の状態 I:別れ》はどこで見られますか?
A. アメリカ・ニューヨークのニューヨーク近代美術館(MoMA)が所蔵しています。
まとめ
《精神の状態 I:別れ》は、駅のホームで人々が波のように押し寄せ、機関車から立ちのぼる蒸気とともに渦を巻くように混ざり合う、慌ただしい別れの瞬間を描いた作品でありながら、ボッチョーニがパリ旅行を経てキュビスムの影響を大きく取り込みながら、わずか数か月のうちに様式を一新して描き直した、未来派における感情表現の到達点を示す一枚です。パリで見た様式に触発され、わずか数か月で全く別の絵に生まれ変わったこの一枚は、110年以上前の熱気を今もそのまま留めています。
