《この人を見よ》(1849〜52年頃)は、フランスの画家・風刺漫画家オノレ・ドーミエによる油彩画で、ドイツ・エッセンのフォルクヴァング美術館が所蔵する作品です。総督ピラトがイエス・キリストを群衆の前に引き出す、聖書の一場面を描いたこの絵は、ドーミエが手がけた数少ない宗教画の一枚でありながら、実は依頼元の意に沿わず、未完成のまま放棄されてしまったといういわく付きの作品です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | オノレ・ドーミエ(1808〜1879) |
| 制作年 | 1849〜52年頃(未完成) |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 162.5×130cm(ドーミエ最大のカンヴァス) |
| 所蔵 | フォルクヴァング美術館(エッセン、ドイツ) |
| 依頼主 | フランス政府(地方教会のための宗教画として) |
| 主題 | 『ヨハネによる福音書』、ピラトによるキリストの引き渡し |
一言でいうと
《この人を見よ》は、鞭打たれ茨の冠をかぶせられたキリストが、処刑を求める群衆の前に引き出される、聖書の一場面を描いた作品でありながら、ふだんはフランス社会を風刺する戯画で知られていたドーミエが手がけた、数少ない宗教主題の作品の一つであり、依頼主の意に沿わなかったために未完成のまま放棄されてしまった、いわく付きの一枚である。
制作背景
1849年、フランス政府はドーミエに対し、地方の教会のための宗教画を制作するよう依頼しました。この絵はその依頼に応えて手がけられたものですが、結局完成には至らず、茶色の濃淡のみで構成された下塗り段階のスケッチとして今日に伝えられています。これは、ドーミエが生涯に手がけた中でも最大のカンヴァスでした。しかし当局はその出来栄えに満足せず、最終的にこの企画は別の画家へと引き継がれることになったと伝えられています。当時のドーミエは、版画や挿絵、風刺画家としてのみ広く知られており、彼が自身の絵画作品を公に展示するようになったのは、それから20年以上も後のことでした。
見どころ

主題
この絵が描くのは、聖金曜日のキリスト裁判の一場面です。総督ポンティウス・ピラトが、茨の冠をかぶせられたキリストを群衆の前に引き出し、「この人を見よ(エッケ・ホモ)」という言葉とともに提示する瞬間を捉えています。左側では、バラバを指し示す人物が描かれ、群衆を扇動している様子がうかがえます。
構図
キリストは、群衆の混乱した情景よりも一段高い台の上に、静止した毅然とした姿で描かれ、その背後にはほのかな光が差し込んでいます。この構図は、キリストを地上と天上の間に位置づける視覚的な仕掛けとして機能しており、人身御供として利用される存在であると同時に、神聖な救世主としても称えられる、両義的な存在感を与えています。手前には、画面いっぱいに配置された群衆の姿があり、鑑賞者自身もまた、この怒れる群衆の只中に立たされているかのような感覚を覚える構成になっています。
未完成であることの効果
今日の視点から見ると、この絵の未完成な状態は、かえって出来事が今まさに進行しているかのような、劇的な臨場感を生み出しているとも評価されています。
評価
ドーミエは、《トランスノナン街、1834年4月15日》や《三等車》に代表されるように、当時のフランス社会の不平等を鋭く批判する風刺画家として広く知られていました。この《この人を見よ》は、彼にとって数少ない聖書主題の作品の一つであり、その点で異色の存在です。しかし、不正な裁判制度という主題自体は、彼が生涯を通じて追求し続けた社会批判というテーマと、図像学的に通じるものがあります。キリストを嘲る群衆の描写は、19世紀の写実主義美術にしばしば見られた、当時の政治的騒乱を想起させる表現にも重なります。この絵は、フランスの作家ミシェル・ビュトールが選んだ「西洋絵画の決定的な105作品」の一つにも選出されているほか、1980年のBBC番組「100 Great Paintings」にも含まれています。
よくある誤解
誤解①「この絵は完成された作品である」→ 実際は未完成のまま放棄された下塗り段階のスケッチである
一枚の完結した絵画として紹介されることが多いため、完成作だと思われがちですが、実際にはこの絵は茶色の濃淡のみで構成された下塗り段階のスケッチであり、依頼主の意に沿わなかったために未完成のまま放棄されました。
誤解②「ドーミエは生前から画家として広く認められていた」→ 実際は風刺漫画家としてのみ知られていた
今日の高い評価から、生前から画家として活躍していたと思われがちですが、実際にはこの絵が制作された当時、ドーミエは版画や挿絵、風刺画家としてのみ知られており、自身の絵画作品を公に展示するようになったのは、それから20年以上も後のことでした。
FAQ
Q. 《この人を見よ》とはどんな作品ですか?
A. ドーミエが1849年から52年頃に手がけた油彩画で、総督ピラトがキリストを群衆の前に引き出す聖書の場面を描いています。フォルクヴァング美術館(エッセン)が所蔵しています。
Q. なぜこの絵は未完成なのですか?
A. フランス政府から地方教会のための宗教画として依頼を受けたものの、当局がその出来栄えに満足せず、最終的に別の画家へと企画が引き継がれたためです。
Q. なぜドーミエがこの主題を描いたことは異色とされているのですか?
A. ドーミエはふだん、フランス社会の不平等を風刺する戯画で知られており、聖書主題の宗教画を手がけることは彼の画業の中でも数少ない例外だったためです。
Q. 《この人を見よ》はどこで見られますか?
A. ドイツ・エッセンのフォルクヴァング美術館が所蔵しています。
まとめ
《この人を見よ》は、鞭打たれ茨の冠をかぶせられたキリストが、処刑を求める群衆の前に引き出される、聖書の一場面を描いた作品でありながら、ふだんはフランス社会を風刺する戯画で知られていたドーミエが手がけた、数少ない宗教主題の作品の一つであり、依頼主の意に沿わなかったために未完成のまま放棄されてしまった、いわく付きの一枚です。170年以上を経た今もなお、この絵は未完成であるがゆえの生々しい緊張感を、私たちに伝えています。

