《絵画芸術》(1666〜68年頃)は、オランダ黄金時代を代表する画家ヨハネス・フェルメールによる油彩画で、オーストリア・ウィーンの美術史美術館が所蔵する作品です。画家自身とおぼしき人物が、歴史の女神クリオに扮したモデルを描く様子を捉えたこの絵は、フェルメールが生涯手元に置き続けた特別な一枚でありながら、後世、アドルフ・ヒトラー自身が購入するという、暗い戦争の記憶をも背負うことになった作品です。
基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 作者 | ヨハネス・フェルメール(1632〜1675) |
| 制作年 | 1666〜68年頃 |
| 技法・素材 | 油彩・カンヴァス |
| サイズ | 120×100cm |
| 所蔵 | 美術史美術館(ウィーン) |
| 別名 | 《絵画芸術の寓意》《アトリエの画家》 |
| 特記事項 | 1940年、ヒトラーが個人的に購入 |
一言でいうと
《絵画芸術》は、後ろ姿の画家が、歴史の女神クリオに扮したモデルを前に絵筆を取ろうとする瞬間を描いた、フェルメールの画業の中でも際立って大規模で寓意的な作品でありながら、彼自身が経済的に困窮していた時期にも決して手放さなかった特別な一枚であり、後世にはナチス・ドイツによる強制的な購入という、暗い歴史をも背負うことになった作品である。
制作背景
この絵は、フェルメールが生涯を通じて手がけた作品の中でも最大級の規模を誇り、明確に寓意的な主題を扱っている点で、彼の画業の中でも例外的な位置を占めています。フェルメール自身が没するまで、この絵を自らの手元に置き続けていた事実は、彼にとってこの作品が特別な意味を持っていたことを物語っています。
見どころ

構図
画面手前には、鑑賞者に背を向けて座る画家の姿が描かれ、その視線の先には、月桂冠を頭にいただき、片手にトランペット、もう片方の手に分厚い書物を持つモデルの女性が立っています。当時のイコノロジー(図像学)の権威チェーザレ・リーパの著作を踏まえれば、この持ち物の組み合わせから、彼女が歴史の女神クリオを表していることが読み取れます。画面奥の壁には、当時のネーデルラント17州(南北分裂以前の統一されたネーデルラント全域)を描いた大きな地図が掛けられており、この地図には、故国への誇りや、統一されていた過去への郷愁が込められているとも解釈されています。天井から下がる豪華なシャンデリアには、ハプスブルク家の紋章である双頭の鷲があしらわれています。画面左手の重厚な織物のカーテンは、まるで鑑賞者をこの私的なアトリエの情景へと招き入れるかのように、大きくたくし上げられています。
画家の正体
後ろ姿で描かれたこの画家がフェルメール自身なのかどうかについては、顔が一切描かれていないため、確定的な答えは出ていません。しかし多くの研究者は、この人物をフェルメール自身の姿を反映したものと見なしています。
数奇な来歴
1675年にフェルメールが没した後、深刻な借金を抱えていた未亡人カタリーナ・ボルネスは、1676年2月、この絵の所有権を自らの母マリア・ティンスへと譲渡しました。これは、債権者による差し押さえを避けるための措置だったと考えられていますが、フェルメールの遺産管財人を務めた、デルフト出身の著名な顕微鏡学者アントニ・ファン・レーウェンフックは、この譲渡が法的に不適切であると判断しています。この絵は1677年、デルフトで競売にかけられ、その後長らく行方が定かでなくなり、一時はフェルメールの同時代画家ピーテル・デ・ホーホの作品と誤って伝えられていました。1813年にはウィーンのチェルニン家のコレクションに加わっています。
1929年にこの絵を相続したヤロミール・チェルニン伯爵は、売却を検討し、1937年にはアメリカ財務長官アンドリュー・メロンと100万ドル(金換算)での交渉も行いましたが、この取引は成立しませんでした。ナチスの高官ヘルマン・ゲーリングもこの絵を強く欲しがっていたと伝えられていますが、1940年、アドルフ・ヒトラー自身が個人的にこの絵を購入し、リンツに建設を計画していた「総統美術館」(結局実現しませんでした)に収める予定だったとされています。第二次世界大戦後、この絵は連合軍によって回収され、1945年にミュンヘンの収集拠点に保管された後、1946年に美術史美術館へ引き渡され、1958年に正式に同館の永久収蔵品となりました。今日この絵は、オーストリアの公的コレクションの中でも最も高い価値を持つ作品であり、同国に現存する唯一のフェルメール作品として知られています。オーストリア政府による調査では、1940年のヒトラーによる購入が「強制下での売却」に該当するかどうかが検証され、売却者チェルニン家の遺族による返還請求も行われています。
研究をめぐる新たな論争
2025年、17世紀オランダ美術の専門家ポール・テイラーは、興味深い異説を提示しました。彼によれば、1676年の法的文書に記された「絵画芸術が描かれた絵」という表現は、当時のオランダ語で絵画芸術一般の寓意画を指す慣用表現として使われており、この文書が指しているのは、実は現在ウィーンにあるこの絵ではなく、今なお行方不明の別の作品である可能性があるといいます。この説はまだ広く受け入れられているわけではありませんが、この著名な絵の来歴にも、なお解明されていない謎が残されていることを示しています。
よくある誤解
誤解①「画面の画家はフェルメール自身であることが確定している」→ 実際は顔が描かれておらず確定していない
広く自画像として語られることから、これが確定した事実だと思われがちですが、実際にはこの人物の顔は一切描かれておらず、フェルメール自身を描いたものかどうかは、あくまで推測の域を出ません。
誤解②「この絵の来歴は制作当初から一貫して明確である」→ 実際は近年、この絵の同一性そのものに疑問を呈する説も現れている
著名な作品として来歴も確立していると思われがちですが、実際には2025年、専門家ポール・テイラーによって、1676年の記録にある「絵画芸術の絵」がこのウィーンの絵とは別の、失われた作品を指している可能性が指摘されるなど、来歴をめぐる議論は今なお続いています。
FAQ
Q. 《絵画芸術》とはどんな作品ですか?
A. フェルメールが1666年から68年頃に手がけた油彩画で、画家が歴史の女神クリオに扮したモデルを描く様子を捉えています。美術史美術館(ウィーン)が所蔵しています。
Q. なぜヒトラーがこの絵を購入したのですか?
A. 1940年、ヒトラーが個人的にこの絵を購入し、リンツに建設を計画していた「総統美術館」に収める予定だったとされていますが、この美術館は結局実現しませんでした。
Q. なぜこの絵はフェルメールにとって特別だったのですか?
A. 経済的に困窮していた時期にも決して手放さず、生涯手元に置き続けたことから、彼にとって特別な意味を持つ作品だったと考えられています。
Q. 《絵画芸術》はどこで見られますか?
A. オーストリア・ウィーンの美術史美術館が所蔵しています。
まとめ
《絵画芸術》は、後ろ姿の画家が、歴史の女神クリオに扮したモデルを前に絵筆を取ろうとする瞬間を描いた、フェルメールの画業の中でも際立って大規模で寓意的な作品でありながら、彼自身が経済的に困窮していた時期にも決して手放さなかった特別な一枚であり、後世にはナチス・ドイツによる強制的な購入という、暗い歴史をも背負うことになった作品です。350年以上を経た今もなお、この絵は美と歴史の暗部が交錯する、忘れがたい物語を私たちに伝えています。

